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夜のマンドリン

世界はマンドリンでつながっている。

c0060659_6165492.jpg【EMI/TOCE 3233-34】
●マーラー:交響曲第7番ホ短調
⇒オットー・クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

天下の奇演として知られるクレンペラーの《夜の歌》。
シェルヘンの怪奇趣味や、ラトルのモティーフ遊びに浮気しても、結局ここに戻ってこざるを得ないのは、根本からすっかり毒気に当てられてしまっているからです。

でも、「奇演」や「毒気」といった形容詞は、受容側の小ささを裏付けてしまうようで空しい。
気が遠くなるような激遅テンポが鑑賞の入り口にデロロンと横たわっているために、どうしても誤解されがちだと思うんですが、所詮テンポは相対的なものでしかないと開き直って考えれば、もうちょっと別の入り口が見えてくるような気がします。

この演奏、そもそもテンポ自体にはあまり動きがありません。ルバートによる情熱的な(あるいは情緒的な)表情づけに関して、クレンペラーはほとんど興味がないんだと思う。
じゃあ何に興味があったのか?
第2楽章第3楽章を聴けば、クレンペラーの興味が縦方向の一瞬の層を造形するという点にあったことが易々と想像される。第2楽章では異様に奥行きが広がって(冒頭の木管の鳴き交わし、中間部に一瞬だけ現れる荒んだ風景、豊かに消えていくコーダ)、音楽はヘッドホンから出て聴き手の脳内で定位するのではなく、まさにヘッドホンを通して向こう側の世界が果てしなく続いているような錯覚を覚えます。何やらオカルトめきますが、この非属人的な音運びはむしろ数学さえ連想させる。
いっぽう第3楽章は、2chステレオという事実がいとも簡単に覆されて、聴き手は四方八方から各要素に貫かれます。どうしてラトルが「Leaving Home」でこの曲のこの楽章を取り上げたか、当のラトルの録音よりさらにはっきりと示してくれるというわけ。

さて第4楽章のマンドリンに痺れた結果、いつもディスクを入れ替えるのが面倒になって、鑑賞はここで終了(要キアリク)。最後の楽章はまたいつか聴こう。
by Sonnenfleck | 2008-03-26 06:18 | パンケーキ(20)
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