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この世界に沈降しようと試みる

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●シューベルト:ミサ曲第6番変ホ長調 D950
→ルート・ツィーザク(S)、ヤルド・ファン・ネス(A)、
  ヘルベルト・リッパート(T)、ヴォルフガング・ビュンテン(T)、
  アンドレアス・シュミット(Bs)
→ミヒャエル・グレーザー/バイエルン放送合唱団
⇒カルロ・マリア・ジュリーニ/バイエルン放送交響楽団

有楽町のお祭りが迫ってまいりましたが。
この1ヶ月でシューベルト世界に馴染むつもりが、どうも上手く入り込むことができずにいます。仕事から疲れて帰ってきてシューベルトを聴くと、死にたくなるような絶望的な気分になるんですよー。そこが問題だよなー。疲れにシューベルトを注いで…(危険混ぜるな)

なのでこの1ヶ月、「Langsamer Satz」さんの、作曲家への深い愛情を感じる「私のシューベルティアーデ」シリーズを拝見してシューベルトに親しんだつもりになっています。今日はLFJ前に、私も「私のシューベルティアーデ」。

「拒絶されるようなシューベルト」が好きな僕にとってジュリーニのシューベルトは温かすぎ、僕なんかが近寄ってもいいのかなと思わせてきたのです。
この最後のミサ曲も初めて聴いたときはあまりの温かさに目が眩み、聴くのが申し訳なくなってしまったのですが、それでも素直に身を委ねる訓練を重ねてきた結果、ようやくここにエントリできるくらいまでになりました。拍の一つ一つ、和音の一色一色がふんわりと蝸牛を振動させるのがわかります。形容詞をつければつけるほど実態からかけ離れてしまうけど。。

古今の作曲家が内面を吐露してきたCredo、シューベルトも暗い内面世界の一端を覗かせます。「Credo in unum Deum,...」は何やら放心したような白っぽさが漂うし、「Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est...」の一文に付された残忍なシンコペーションは何度聴いても身震いがする。なんという恐ろしい音楽を書いているんだろう。
その怖さを引き立たせるような無理な味つけは決して行なわないジュリーニだけど(金管もあくまで柔らかい)、Crucifixusに至るところで、温かい風景そのままに画面から人の姿だけがすーっと消えてしまうような恐怖を演出する。それでも最後のAmenで人を戻してくれるのが、ジュリーニ神の優しいところだ。
by Sonnenfleck | 2008-04-30 06:25 | パンケーキ(19)
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