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2008年 05月 17日 ( 1 )

on the air:ハイティンク/シカゴ響のマラ6

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自主制作CDにして売ってる演奏?をオンデマンドで流してしまうシカゴ響萌え。

【2007年10月 シカゴ・シンフォニーセンター?】
●ワーグナー:《ジークフリート牧歌》
●マーラー:交響曲第6番イ短調
⇒ベルナルト・ハイティンク/シカゴ交響楽団
(2008年5月11日/BP CSO RADIO BROADCASTS)

6番が直情的な作品だと思い込んできた僕のような温いマーラー好きにとっては、実に衝撃的な内容でした。
つまり、そのようにしか聴けなければ、この演奏はひたすらフラットで停滞した状態にしか聴こえない。一方、6番でもマーラーはいつもと同じように(たとえば3番や7番のように)立ち止まったり意識を拡散させたりしてるんだと気づけば、これほど上質な演奏はなかなか考えにくい、ということなんです。

スコアを持たずに例を挙げるのは非常に困難なんですが、たとえばスケルツォがこんなに情報の多い楽章だということに僕は気がついていなかった。和声形成に音色の要素をふんだんに、ただしグロテスクに陥ることなく取り入れて、しかも破綻させない(ここが凄い)。音色をセリー的に捉える考え方の手前まで近づいてるんではないか。多種多様な音色要素があちこちから断片的に聴こえてきて、ゾクゾクいたします。

アンダンテも表層的にはさっぱりしたものです。ただ、数多くの「推進している」演奏の中にアンダンテを聴くと、箸休めとして流すか、さもなくば浪漫的に(≒グロテスクすぎる)加工を加えてしまっているケースが多いように思うんですが、ハイティンクはそんなことはしない。
中間部の一歩手前に聴かれる木管群のクロマティックな旋律、これをよく聴けば、そのブレンドの絶妙な匙加減に舌を巻かざるを得ないんですよ。今度は「図」も「地」もない「要素のフラット化」とでも言ったらいいのか。終結部に向かって一途に盛り上がっていく箇所がなぜ醒めているかと言えば、ハイティンクのやり方ではこの「泣かせる」箇所に大きな価値を見出さないのが当然のことであるからです。揺れ動きながら拡散していく意識を聴くのが、このアンダンテの主たる目的ということでしょうか。

それでいてフィナーレは凄まじい高潮を見せる。この、高潮の中に複数の楽想が並存する箇所は、いくつもの柱が音を立てて地面から突き上がってくるような印象を受けます。大切なのは、柱が一本きりではないということ!
コーダに突入すると、その居並ぶ柱が一気にすべて苔むし、朽ち果ててしまう。この空気の変化は強烈ですね。視点がすぅーっと後退して響きが急激に拡散し、全景が見渡せたところで、柱廊は秩序立って崩壊。「破綻」そのものが破綻していては元も子もない、ということを知り抜いたハイティンクの設計が光る瞬間であります。

+ + +

で、前半の《ジークフリート牧歌》がこれまた美しいんですよ。絹に顔を埋めるよう。。
なんでこれを余白に入れなかったんだろうか>CSO・RESOUND
by Sonnenfleck | 2008-05-17 05:52 | on the air