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カテゴリ:パンケーキ(20)( 207 )

低酸素系一家

僕は古楽とピリオド楽器の愛好者だから、これは贔屓に過ぎないかもしれないけど。普段のメインフィールドを古楽に限定している音楽家というのは、高地でトレーニングしているアスリートみたいなものじゃないかと思っている。

古楽を好まない方ほどよくわかっていただけると思うが、たとえばショパンや、たとえばマーラーのように、濃密な「要素」が、古楽には少ない。ピリオドの演奏家は、その「少ない」ところから、微妙なニュアンスを汲み取る能力が強く鍛えられているんじゃないかと思うのですよ。薄い酸素の中で、低い気圧の中で、いかに肉体を操作するかを意識するアスリートのように。

+ + +

c0060659_21404263.jpg【ARCANA/A303】
<ドビュッシー>
●弦楽四重奏曲 op.10 (1893)
●《シランクス》(1913)
●VcとPfのためのソナタ(1915)
●Fl、VaとHpのためのソナタ(1915)
●VnとPfのためのソナタ(1916-1917)
⇒クイケン・ファミリー

高地に家を構えるクイケン一家が、ドビュッシーに下りてきたアルバム。
これを聴いて、そうした考えを確かなものにする。本当に素晴らしい。どのトラックも隅から隅まで音楽している!

弦楽四重奏曲第3楽章の玄妙な味わいは一体何だろう?
モダンのカルテットの演奏では、こうした空気感を味わったことがないのです。バロックの高地で鍛えた繊細なアーティキュレーションをドビュッシーに適用すると、こんなに柔らかな風合いになるのだな。
反対に、第4楽章の水がうねるような盛り上がりは、もしかしたら一流のモダンカルテットに及ばないかもしれない。要素が並列的に扱われるのは古楽では自然なことなのだから、仕方がない。僕はこちらもアリだと思うけど。

Vc+Pfソナタは、ヴィーラント師が巧すぎて。。なんも言えね。。
彼がここで用いている楽器は、彼の長男であるフィリップが1999年に製作したものなんだけど、チェロなのにガンバのように鳴る不思議な音感が漂っている。これはヴィーラントの右腕が、その根幹からメッサ・ディ・ヴォーチェ仕様だからなんだろうと思う。音の粒ひとつひとつがふんわりと膨らんでいる。
エラールを弾く次男ピートは、偉大なる親父と対決はしない。影のように従う。

この調子だと全曲について感想文を書いてしまいそうなので、このへんにしておく。しかしこのアルバムの白眉は、バルトルドのトンデモ柔らかフルートが聴ける、《シランクス》Fl+Va+Hpソナタかもしれん。
by Sonnenfleck | 2010-07-09 21:42 | パンケーキ(20)

おじさんと秘密の花園

c0060659_2337215.jpg【Live Classics/LCL105】
●チャイコフスキー:Vn協奏曲ニ長調 op.35
→ジャンスク・カヒーゼ/モスクワ・フィル
●ショスタコーヴィチ:Vn協奏曲第1番イ短調 op.77
→アレクサンドル・ラザレフ/ソヴィエト国立交響楽団
⇒オレグ・カガン(Vn)

ショスタコーヴィチのVn協奏曲第1番は、ブラームスのPf協奏曲第2番みたいな「協奏交響曲」だと個人的に思っているんだけど、そのくせVnソロパートに名人芸的な箇所があまりにも多いので、だいたいの演奏は、それでいいと思って「協奏曲」の檻の中に寝っ転がっている。
そういう場合、Vnソロには何か責任があるわけじゃなくて(死ぬほど難しいもんね)、指揮者とオケの認識がシンプルすぎるところに理由がありそうです。何しろああいう曲調だから、オケはお団子状に仕立て上げたってなかなか聴き応えがあるし、そういう演奏もずいぶん多いように感じる。

+ + +

オケに量感とほぐれ感が両立している、みたいな演奏はないのかなあと思っていて。…いや、ここにあった。名高い名盤だけども、予想外に素晴らしい。

第1楽章は、メンツの名前からこちらが勝手に想像する暑苦しい重さが稀薄で、むしろ適度に風の吹く冷ややかなマチエールに仕上がっているのが面白い。
それどころか、この沈鬱な曲調の中から多くの段差や間隙を見つけ出して、寒色系グラデを自在に操っているフシさえある。豊かな音色のトゥッティを抑えたり、放したり、それが極めて巧い。ラザレフ36歳くらい?

どこもかしこも響きが緻密で、そのためにトゥッティ内の圧力が異様に高いのに、いちいち身のこなしが素早い第2楽章。これはソヴィエトのライヴとは思えないくらい分離のいい録音コンディションも多分に影響しているものと思うが、いや、やはりUSSR響管楽隊の優秀さが根底にあるんだろうね(スケルツォが最初に回帰したところで続々と表に出てきてソロを迎えるFg、Ob、Hr、Cl、Fg、Fl、コーラングレ、そしてBsClの百花繚乱ぶりは…これは本当に見事としか言いようがない)。

前二つの楽章でも若干ヨタってひっくり返ることのあったカガンのソロは、第3楽章初めまではその傾向を維持するけども、中盤以降、この痛ましいパッサカリアとの親和を強める。
カガンのいがらっぽい音色は、レーピンやムローヴァのようにスマートではなく、かと言ってコーガンのように凍てつきもしない。オイストラフのような全能感もない。しかしその、市井のおじさんが瞬間的にフルスロットルに入ったような集中力の中に、そうでなければと思わせる何かが含まれているように思う。

第4楽章はまことに贅沢な花園状態で、コメントすることがない。この肥沃で傲慢な音響のバランスを整えているラザレフの手腕は絶賛に値するでしょう。

+ + +

カガンのおじさん的味わいに触れるなら、カップリングのチャイコフスキー。ショスタコを繰り返し聴いたあとでは、まるで温泉に入っているような好い気持ちになる。
by Sonnenfleck | 2010-06-05 23:45 | パンケーキ(20)

ようやくドホナーニのマーラー9番を聴いた。

c0060659_13132468.jpg【DECCA/289 458 902】
●マーラー:交響曲第9番
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/
  クリーヴランド管弦楽団

おっCD感想文久しぶりじゃね?的な?

「このブログのキャラクタだからきっとこのCDのこと書くでしょう?」という、傍から見たらそんなことどうも思ってねえっつうのというジジョージバク。この数ヶ月、縄抜けしたつもりになっていたけど、むしろその空白の辛さによって、この強迫観念を自分の力で断ち切るのは無理であるとの結論に達した。断ち切るよりはもがき苦しんでも何かを書いて、乗り越えていくよりほかにないのかもしれない。だからこの演奏のことを書きます。

+ + +

僕がこの曲の中身をちゃんと知ったのは、FMから流れてきたケント・ナガノのライヴと、それからラトルとギーレンのCDだったから、見事にドライなテクスチュア好みに育った(と自負)。
それにしてもこのドホナーニは、ドライマラ9好みの僕でもかなりビビるほど大気が乾燥している(特に真ん中の二楽章に関して)。これまでに聴いてきた一連のドホナーニ録音群の中でも異色の乾燥ぶりと書いてしまいたい。

ウェットな曲づくりは何がウェットを感じさすのかと言うと、まあ要素はいろいろあるけれども、僕は第一にフレーズの収まるところに湿り気を感じる。
各フレーズのしっぽに吐息のような余韻が残っていると、次のフレーズの立ち上がりにその余韻が微妙に重なって襞ができる。さらに、特にオーケストラであれば、楽器ごとのズレは無くなりようがないから、フレーズしっぽ自体にも襞がある。これによって何層もの重なりが湿気に富んだテクスチュアを形づくるというわけ。
(蛇足ながら、湿度には演奏のスピードは関与しないように思う。速くて湿った演奏も、遅くて乾いた演奏もある。)

+ + +

ドホナーニのマラ9は、この人らしくフレーズの設計が隅々まで行き届いて、一片の破綻もない。気になるフレーズしっぽには、憎たらしいことに、余韻の襞まで「設計」されている。
マーラーの懊悩に付き合うことなんて端からドホナーニの頭にはない(この録音を聴いて「苦しむマーラーの姿が表されていないといえよう!」とか言っちゃうのはマヌケです)。ネジやバネや歯車が噛み合って運動しているところに、私小説的なのけぞりや不幸の涙や洟が生じるわけがないんですもの。その意味で第2楽章第3楽章の、触覚に訴えてくる機械的な美しさには心底驚嘆する。ことに後者なんか、ブルレスクに縋りついてでも生きたい作曲者を完全に無視して、テクスチュアで遊んでしまう非道の演奏でありましょう(こりゃまさに二重ブルレスク)。

この作品は両端の二楽章と真ん中の二楽章が別物すぎてさぞかし設計に苦労するんだろうなあと思うんだけど、この録音の第1楽章は乾きと湿り気のバランスが素晴らしい。フレーズとフレーズの連結部分はしっかりしているのにわざと曖昧にぼやかされているので、フレーズたちは間接照明のようにぼうっと暗い部屋に浮んでいるような具合。泣いたり絶叫したりする演奏がお好きな方はここに近寄ってはいけないかもしれない。

第4楽章だけは、湿った旋律美の図面がシンプルに選択されていて興味深い。フレーズしっぽごとに設計されている襞が急に厚くなって響きが前方に滑らかに流れ出す様子が、真ん中の乾ききった二楽章との著しいギャップを形成している。これは、ウソっぽいくらい超高級なクリーヴランド管の弦楽合奏がいい味を出しているとしか言えず、コーダの薄氷のようなpppには、他の演奏では味わい難い冷たい緊張感があります。

+ + +

150→100の初めに。
by Sonnenfleck | 2010-01-11 13:18 | パンケーキ(20)

楽園と禁欲

c0060659_8493953.jpg【ORFEO/C013821A】
<ラヴェル>
●Pf協奏曲ト長調
●左手のためのPf協奏曲ニ長調
→クン・ウー・パイク(Pf)
⇒ガリー・ベルティーニ/シュトゥットガルト放送交響楽団

このCDはベルティーニの数少ないスタジオ録音盤ということで入手していたものです。1981年のベルティーニはここで、チェリビダッケ政権が終わった後のシュトゥットガルト放送響を使い、夢のような人工楽園を造営しています。ベルティーニが伴奏をするラヴェルの協奏曲は(ト長調の方ね)、アルゲリッチをソロに迎えたライヴ録音が先年発売されていますが、あそこに記録されているものに比べるとこちらのスタジオ録音は当然ながら塵ひとつないくらい滅菌されて、構造が燦然と輝いています。

ところが、聴き始めて最も注意を惹くのは、実はクン・ウー・パイクの極端に禁欲的なソロなのでした。僕はこの人がNaxosに録れているプロコフィエフの協奏曲全集が結構好きでこれまでも聴いてきたのですが、記憶にあるそのパフォーマンスに比べても、このラヴェルはあんまりにも静かでたじろがず、騒がず、動かない。凄い。
両手協奏曲第1楽章第3楽章のパイクは、ベルティーニの人工楽園の中を浮遊するだけで良しとしているような雰囲気。Pfソロの録音レベルが極端に低いということ以上に、オケを押しのけて前に出ようなんておこがましいと、そんなふうな姿勢が感じられる。テクニックは抜群な人なので余計そんな感じなのですが、「ピアノ協奏曲」として作曲された音楽の録音で、ピアニストがこんなに脇役を楽しそうに演じている例を僕は他に知らない。

じゃあ真ん中はと言ったら、その第2楽章こそこの録音の肝なのだ。
人工楽園が夜を迎えて閉園した後、相対的にパイクの緩やかなそぞろ歩きがクローズアップされることになります。この楽章のメロディの美しさを、並みの演奏よりもずっとずっと雄弁に語ってくれるのが、ここでテンションが上がってしまうでもなく、ふんわりとしたアーティキュレーションのままでストイックに演奏してしまうパイクの演奏なのですね。
昼間ガチャガチャとうるさい人が、夜になってムード満点になることの嫌らしさを、この罪作りな協奏曲はしばしば教えてくれます。ここでは、そこがよくわかっているベルティーニとオーケストラの強いサポートもあって、パイクの静かな声が静かに響く。とてもいい演奏ですよ。

一方、作品としてより優れる左手協奏曲は、指揮者のほうでかなり熱くなっている感がありまして、透明感のある管弦楽がしなやかに伸び縮みする様子は、クラシック音楽を聴く醍醐味の一つ。ベルティーニが遺したスタジオ録音の中でも、この左手協奏曲の伴奏は忘れてはならないものだと思いますね。パイクもそれがわかってか、両手のときほどには控え目ではなく、華やかな見得を切ったりしている。
by Sonnenfleck | 2009-08-29 08:51 | パンケーキ(20)

ジェールジ、最後のメイ盤

c0060659_6302813.jpg【DECCA/POCL1208】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒サー・ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団
(1990年10月/シカゴ・オーケストラホールでのライヴ録音)

「ショルティの芸術」みたいな国内廉価再発売シリーズにも、この録音だけは登場しません。このディスクだけは絶対的に入手困難であり、タコ10コンプリートのラスボスの一角なのでありましたが、ついに先般、某オークションにて落札に成功しました。えがったえがった。

とりあえず一周聴いてみて思うのは、オケがベラボーに巧いというその点であります。
この交響曲の録音史にはカラヤン/ベルリン・フィルの2種類のスタジオ録音や、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの作曲家追悼ライヴみたいに圧倒的なアンサンブル天国(あるいは地獄)を見せ付けられるものがいくつかありますが、シカゴ響唯一の録音であるこのショルティ盤は、オケメンたちが自分たちの技巧をこれでもかと誇示するような不敵な明るさがあって、カラヤンやムラヴィンスキーとは違う地平に存在しているようです。

この交響曲は本当に変な音楽なので、いかにも雰囲気ありげな肌触りとのバランスに目を配りすぎるあまり、楽天の中に「悲劇的な」調子を混ぜ込むという細工を弄した結果として、これまで聴いた演奏の大部分は火の加減に失敗して生煮え状態になってしまっていたのが現実です。
果たしてショルティの指揮は何を生んでいるか?第1楽章第3楽章の意味深長なアトモスフィアは一顧だにされていませんが、反対に第2楽章、それから特に第4楽章はちょっと類を見ないくらい猛烈な躁状態で、全体を俯瞰すると竹を割ったように明快な構造をしています。1953年の作曲家が脳裏に描いていたのは、たとえばデプリーストやリットンのように真面目くさった生硬な曲づくりではなくて、きっとこのショルティのように突き抜けてしまう音楽だったのだと思う。
アレグロに突入した後の第4楽章は、興奮のあまり息を継ぐ暇もなくて、浅い呼吸による酸欠的な快感を漂わせています。僕がこの交響曲を聴き尽くそうと思ったきっかけは、このアレグロの破滅的な身振りから電波的な何かを受信してしまったためでありますが、ここにきて十全のカーニヴァル状態に浸ることができ、今まさに幸せを噛み締めているところなのです。
by Sonnenfleck | 2009-08-27 06:33 | パンケーキ(20)

先生と愉快なウィーンの面々

c0060659_6282074.jpg【CINCIN/CCCD1021】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調 op.43
⇒ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1978年4月16日/ムジークフェラインザール)

ウィーン・フィルによるショスタコーヴィチの第4交響曲は、ゲルギエフの2006年ライヴがとーっても美しい演奏だったのが記憶に新しいところですが、このライヴよりも前にウィーン・フィルで取り上げられたのは、もしかしたらこのディスクに収められたロジェヴェン先生の1978年ライヴだけなのではないかなと思います。しかしこの交響曲とウィーン・フィルとの(イメージ上での)親和しなさ、聴いてみての(イメージを覆す)親和は、あるいはゲルギエフ以上に強く感じ取られるところ。

第1楽章は(いろいろと楽しいポイントはあるにせよ)、最後のコンマスソロが歴代最高位の放埓な美しさを湛えていることを第一に書いておきます(ヒンク?ヘッツェル?)。その後のファゴットとコーラングレも猛烈に美しい。この背景で、右チャンネルにカラカラカラとガラスが触れ合うような混線があるのですが、それでも、この部分のプレイを耳にするだけでも、この録音を捜し求める価値はあると思います。
すでに後年のロジェヴェンらしくしつこくてマニアックな造形なのに、その捕縛を逃れ出てくる響きは仄暗く、そういえばショスタコーヴィチをこのように演奏する人たちはいないなあと(白々しくも)気づかされます。とてもロシアン・アヴァンギャルドには聴こえず、マーラーというよりベルクの青白い美しさを髣髴とさせる感じ。若き日のロジェヴェンも、自分の振り下ろしたタクトからこのような響きが出るとは思いもよらなかったのではないだろうか。

第2楽章はレントラー風味が思ったより薄くてエッジも立っておらず、最後のチャカポコチャカポコまでぼんやりして、軽い羽毛のような手触りが心地よいです。むしろちょっと散漫な雰囲気になっているのが新鮮。。あーオケはきっとやる気ないんだろうなーいいなあー(笑)

もっそりと始まるも途中から急に集中力を取り戻す第3楽章
ロジェストヴェンスキーがあんまりおかしなことをせず、薄い筋肉質の響きにまとめているのも大きいように思いますが、ワルツやギャロップが鳴り響く遊園地風の箇所に差し掛かって、にわかにオケのテンションが上がるのがわかります。金管コラールはブルックナーみたいで気持ちがよさそうですが、反面ヤケクソのような雰囲気もある。1978年のVPOにロジェヴェン先生のタコ4では、小さな躯体のminiに重量のあるディーゼルエンジンを積んでいるような趣きもなくはない。
ともあれ燃焼の効率は極めて高く、ネタだと思って聴き始めると痛い目に遭います。全編擬似ステレオみたいで実に聴きづらい音質なのに、それを乗り越えてくるものがあるんだなあ。カラヤンがシュターツカペレ・ドレスデンを振った第10交響曲と並んで、異種格闘技の真摯さに心打たれる一枚。
by Sonnenfleck | 2009-08-25 06:29 | パンケーキ(20)

振り返れば死者の歌

c0060659_6364191.jpg【Altus/ALT162】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第14番ト短調 op.135 《死者の歌》
→テレサ・カーヒル(S)
  ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
⇒ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団
(1988年2月8日/ケルン・フィルハーモニーでのライヴ録音)

朝夕は秋風が田圃をわたる羽後から、帝都混凝土炎暑音樂生活に復帰しましたが、こういうときは「音源雑記帖」さんの不思議系のお話を思い出しつつ《死者の歌》を聴く夕涼み。(ほんのり怖い、くらいがいいんです。)
先日三枚まとめて発売された、Altusのベルティーニ・ライヴシリーズから。
こういうレパートリーをちゃんと選んできてくれるのが嬉しい。

「第4交響曲がショスタコの中で最もマーラー似」というのはよく言われることだけれども、第14交響曲の豊かな歌謡性と凄味のある諧謔に惹かれる自分としては、この曲こそショスタコ濾過槽を通過したマーラー・エキスの結晶なのではないかと思ってましてね。《大地の歌》との連関は編成等の表面的なもので、むしろ《子供の不思議な角笛》みたいなグロメルヘンの末裔ではないかと。
ベルティーニを何でもかんでもマーラーと結びつけるのはよくないよねえと思いつつ、この《死者の歌》ライヴには、ベルティーニとケルンのオケがマーラー演奏で使っていた口ぶりや姿勢が色濃く反映されているのも確かで、その点でまさに僕の理想に近いようです。

それは特に、モチモチと弾力に富む急速楽章の肌触りと、緩徐楽章の深く甘い陶酔感によって感じられるところ。
前者はたとえば〈マラゲーニャ〉〈心して〉〈ザポロージェ・コサックの返事〉(ここは重くシニカルに統御された第8楽章の美しいフォルムが聴きものであると言えます)。後者で言ったら〈自殺〉のクライマックスも凄いのだけど、煮詰まってとろとろになったオケの甘みを愉しむなら〈詩人の死〉から〈結び〉にかけての7分間が最強です。第11楽章のパーカッションがこんなに美麗に響いているものがあっただろうか!

バルシャイ+ヴィシネフスカヤによる匕首状の演奏が頭にあるから、最初はこの演奏に驚いたけれど、一度味わってしまうと止まらなくなりますな。カーヒルというソプラノのバターナイフのような甘ったるい声も、DFDのいやらしい歌い口も、全部含めてこのハイパー甘露状態です。唯一「各国語歌唱」であるのが…玉にキズ。
by Sonnenfleck | 2009-08-17 06:40 | パンケーキ(20)

夏の朝のフォルテとピアノ

5月末に雨天で流れた職場の草野球が7月25日(土)に順延になって、週後半のセルフ雨乞いも空しく、土曜日は絶好の野球日和。。やったらやったで気持ちいいし、蝉時雨の中で真っ黒に日焼けするのも悪くはありませんが、これを書いている日曜の朝は身体中がボロ雑巾のようです。東京文化会館のリコーダー音楽祭に行こうと思ってたんだけどこりゃムリだな。
そんなズタボロの夏の朝に、気持ちよく染み入るフランスの音楽たち。。

+ + +

c0060659_6211742.jpg【ERATO(TOWER RECORD)/WQCC175】
<フランス近代ピアノ曲集>
●シャブリエ:スケルツォ・ヴァルス、《牧歌》
●セヴラック:《騾馬ひきの帰還》
●アーン:《エグランティーヌ王子の夢》
●サン=サーンス:ワルツ形式によるエチュード
●ドビュッシー:ピアノのために、2つのアラベスク、《喜びの島》
⇒マグダ・タリアフェロ(Pf)

「私たちは20世紀に生まれた」で拝読して、(汚い言い方で恐縮ですが)ほとんど耳からヨダレ状態になってしまって、さっそく横浜塔で購入したもの。店頭の試聴機で最初のシャブリエを聴き、ぽってりとした分厚い歌心に驚かされたのも大きい。。

ピアノとピアニストのことがなんとなくわかり始めて、しっかりと聴けるようになってきたなあと実感するようになったのは本当に最近のことです。その乏しい感覚からしてみても、タリアフェロという女流の豊饒な表現には何か心を揺さぶられるものが見出されます。
確かに、現代のピアニストが専ら武器にしているような透徹や明晰からは遠いような気がする。微妙な濁りやこごりが音色の中に浮遊しているし、かなり奔放で即興的な雰囲気があります。ただ、その歌い口の濃密さに関しては、現代のクリスタルなピアニストたちが束になってかかっても敵わない重みが漂っているんだよなあ。

このアルバムの後半に収められたドビュッシーなんかその最たる例ですよ。中でもアラベスクについて言えば、今ならもっとスマートに涼しげに、白い麻のジャケットみたいになってしまうようなところを、肉厚の和音で固めてヴォリュームを形成するやり方を採っている。《喜びの島》の豊かな官能性―より正確に言えば明るいエロティシズム―も、そんな肉厚の音色から浮かび上がるものでありましょう。

浪漫とモダンがマーブル状のクリームになって厚く盛られたシャブリエの《牧歌》とアーンの《エグランティーヌ王子の夢》。同じシャブリエでも最初のスケルツォ・ヴァルスやサン=サーンスのエチュードでは、タリアフェロの音色にさらにブリリアントな煌めきが現れます。
素敵なディスク。
by Sonnenfleck | 2009-07-27 06:22 | パンケーキ(20)

編曲者の顔

昨日の皆既日蝕ですが、東京の最大時間である1112頃、思い返せばその後に比べるとなんとなく暗かったかなあ…という感じで。次は2035年ですか。

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c0060659_6482966.jpg【DGG/435 386-2】
<ショスタコーヴィチ/バルシャイ>
●弦楽と木管楽器のための交響曲 op.73a
●室内交響曲 op.83
⇒ルドルフ・バルシャイ/ヨーロッパ室内管弦楽団

コレッリの作品5(Vnと通奏低音のためのソナタ集)をジェミニアーニがコンチェルト・グロッソに編曲したバージョンがあって、マンゼがAAMを振って録音したものを聴いています。しかし全然しっくりきません。マンゼの鋭角的なリズムの取り方は彼のソロであれば功を奏す場合が多いけど、アンサンブルにそれを適用しようとすると鋭角的というより硬直的になってしまうんだよなあ。同じiPodにエンリコ・ガッティの不滅の録音が入っているので、余計にマンゼの分が悪い。

ただ、これはマンゼのせいとばかりも言えない気がしていて、ジェミニアーニの編曲が原曲のシンプルな味わいを生かしていないんじゃないかとも思うのです。もとのソロVnの旋律を1stVコンチェルティーノに弾かせる一方、対旋律をいくつか増やして他のコンチェルティーノに割り振った結果、主旋律としては多勢に無勢となって、響きが装飾的要素に埋め尽くされてしまっている。リズム硬直+響きモヤモヤ、ではちょっとね。。

そんな文脈において。使える楽器が圧倒的に多いし、そもそもソロソナタと弦楽四重奏曲を比べるのもどうかとは思いますが、それにしてもバルシャイの巧妙な編曲技術には舌を巻いてしまいます。
縦横比が保持されて巨大な弦楽四重奏曲に聴こえる場面もあれば、、協奏曲のようにも変化するし(op.73aの第5楽章はVc協奏曲のようです)、時としてまったく新しい交響曲の一場面に聴こえるところもある(op.83aの圧倒的拡がりには聴き惚れるばかり)。それでいて譜面に自分の個性を焼き付けようというような臭みは微塵もなくて、ただ偉大な作曲家のスタイルを誠実に踏襲し模倣しているだけなのだから凄い。

バルシャイがDGGに録音しているショスタコーヴィチのカルテット編曲は、ヨーロッパ室内管メンバーの超絶技巧を聴くのにも最適でありましょう。1989年と1991年の録音ですから、名フィルのフィッシャー親方もきっとFlとして参加しているはず。
それから、マレーヴィチ!
by Sonnenfleck | 2009-07-23 06:48 | パンケーキ(20)

アテナイの楽堂→大爆発

c0060659_7215827.jpg【URANIA/URN22.272】
●ヴェルディ:《運命の力》序曲
●ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》
●スカルコッタス:4つのギリシア舞踊
●ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲変ロ長調 op.56a

●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ長調 op.93
⇒ディミトリ・ミトロプーロス/ニューヨーク・フィルハーモニック

1955年10月1日と2日のライヴ。ミトロプーロスの里帰りドキュメントですな。タコ10演奏史に燦然と輝く1954年スタジオ録音の翌年、ミトロプーロスにとっては2種類目の録音ですが、ようやく某オークションで入手いたしました。えがったえがった。
1953年の初演直後の熱気がまだ残るこの時期、アンチェルやロジンスキーといった熱い指揮者たちが次々と歴史的な録音を成し遂げる中で、ミトロプーロスのスタジオ録音は殺気立っていると書いてもあながち間違っていないような雰囲気を封じ込めている稀有の記録になりましたが、一方でこのライヴはどうであるか?

第1楽章の主部に入ってから、トゥッティを激しく揺らしながら強い諧謔味を醸し出すテクニック!これはスタジオ録音以上の効果を上げていると言わざるを得ません。50年後の現在、第10番の演奏スタイルはムラヴィンスキー流のストイックな表現がすっかり定着してしまったので、ちょっとアダルトなこういう作り方は却って新鮮に響いてしまうのです。ドゥダメルと彼のオーケストラのように素朴な悦楽からだけでは、こういう悲惨さと深沈さを土台にしたシニスムは絶対に合成されてこない。奇怪なワルツ!

で。第10演奏史上、ここに記録された第2楽章が最も速いのであります。
普通4分から4分半のところを3分35秒ですからね。ニューヨーク・フィルは、いや、きっとどんなオーケストラであっても、このスピードで崩壊しないわけがないのです。ただ表面はメタメタに崩れているのだけど(ピッコロ奏者が気の毒すぎる)、基部である低弦の手綱をミトプーががっちりと握っているため、ものとしてはそんなに無理があるようには聴こえないのが面白いところです。これより物理的に遅くてももっと酷く崩壊している演奏はいくらでもある。
ここまで速いと不思議なコミカルさが立ち昇ってきて、20年代の若タコの傲慢なアヴァンギャルドぶりが再び顔を覗かせるんですな。こりゃ面白いよ。。

妙に響きが軽くてメンデルスゾーン風味の第3楽章から、冒頭のファゴットに不思議な節の付いた第4楽章まではあっという間。そこから3段目までのロケットエンジンを切り離して身軽になり、フィナーレへ向かってブッ飛ばすのであります(ただし、やっぱり第2楽章と同じで基部のリズム感は明解そのものですから、根本的に荒っぽくてダメ、という感じはまったくしないのです)。
こういう演奏がもし眼前で繰り広げられたら、身体が痺れてしまって椅子から立ち上がれなくなるでしょう。しかし―幸か不幸か―、この曲で、哀切と悲惨と快楽がマーブル状に入り乱れたこんなマチエールを作る指揮者はもういません。たぶん。

+ + +

アテネのお客さんは第3楽章までずっと咳をしてやかましいのですが、フィナーレの直後は明らかに痺れて、拍手のタイミングを一瞬失っています。ミトプーミラクル。
ベートーヴェンとかスカルコッタスとか、、他の曲は、、気が向いたら聴こう。
by Sonnenfleck | 2009-07-11 07:26 | パンケーキ(20)