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カテゴリ:on the air( 179 )

on the air:BBC Proms Chamber Music 2011 - ルセ/レ・タラン・リリクの小フレンチプロ

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【2011年8月1日 ロンドン・カドガンホール】
<BBC Proms Chamber Music 2011:3>
●クープラン:《諸国の人々》~〈ピエモンテ人〉
●リュリ:バレエ《変装したアムールたち》~アルミーダのモノローグ "Ah, Rinaldo, e dove sei?"
●ラモー:コンセールによるクラヴサン曲集第1番
●モンテクレール:カンタータ《ルクレツィアの死》
⇒クリストフ・ルセ/レ・タラン・リリク
 Eugénie Warnier (S)
 Virginie Descharmes (Vn)
 Yuki Koike (Vn)
 Jocelyn Daubigney (Ft)
 Stefanie Troffaes (Ft)
 Isabelle Saaint-Yves (Viola da gamba)
(2011年8月6日/BBC Radio 3)

今年もプロムスをちょろちょろと聴いてる。オケ物が幅をきかせる本体から独立して、プロムスでは室内楽のシリーズもやってるんですよね。

ルセは、チェンバロのソロだと佳く感じることも多いんだけど、こと自分のアンサンブルであるレ・タラン・リリクを操ると、変にエッジが甘くなったり、逆に締め付けすぎて窮屈だったりで、どうにも音楽がぎくしゃくしてしまう。
今や超優秀な古楽の小アンサンブルがたくさん存在する中にあって、ルセにはそういう体験をさせられることが多いものだから、大きな合奏体を仕切る指揮者としてのルセには期待しないことにしてたのです。得意不得意だってあるんだろうし。

でも、この日のプログラムはなかなか好感が持てた。これはきっと、今回のレ・タラン・リリクの編成が、旋律楽器数本+コンティヌオというところまで小さく刈り込まれていたことに起因すると思う。
大きな合奏体で(たとえば)ラモーのオペラをやるのとは違って、ルセは自分の身体の延長線上に各声部を置くことができる。クープランの〈ピエモントワーズ〉など起伏を付けるのが簡単ではない組曲仕立ての音楽を、小粒にきゅっと引き締めて―これは彼のチェンバロソロ演奏のスタイルとよく似てる―、趣味よく並べていた。身の丈に合う(なんて書いたら失礼なのかもしれないけど)規模の作品については、ルセは限りなく上品な演奏を聴かせてくれる。

リュリも素敵だ。しばしば立ち止まってぼんやりするのが売りのクープランと違って、通奏低音にしっかりした推進力が求められる音楽なのだが、あくまでスマートで小粒な響きを維持しつつ、楚々として前に進んでいる。モンテクレールも同様。

さて以上のような特質から、ラモーはルセにとっては鬼門のような気がしてるんだが(オペラ序曲集とか、巨大編成で録音したコンセール集は…な出来なんだよねえ)、今回のコンセール第1番は少なくとも佳い演奏だったと思う。
たぶんこれはルセの好みで…彼らのフレージングの根底に90年代古楽の「ちょっと遠慮がちな自由」をいまだに残しているためなのか、曲調の切なさと相俟って、〈リヴリ〉に押し殺したような官能が滲んでいたのであった。
by Sonnenfleck | 2011-08-12 08:33 | on the air

on the air:NHKスペシャル「幻の霧 摩周湖 神秘の夏」(7/31)

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これ、2008年の8月に初めて摩周湖を訪れたときに携帯で撮った一枚です。このアングルは、観光客だらけの第一展望台ではなく、ややマイナーな第三展望台から。

この日は曇天ながら霧は発生してなかったんだけど、そのかわり猛烈な風が吹きすさび、実はまっすぐ立ってるのもきつい(画面左奥の湖面が波立っているのがおわかりでしょうか)。低い黒雲がこちらに向かってどうどうと流れてくる。

+ + +

表題は、Nスペ自然特集系らしい真面目で清潔なアプローチで、摩周湖と摩周湖の霧について考察する番組でした。語りに向井理(ヒデタダサマー)

摩周湖の霧は大まかに分けて2種類あるそうです。湖面および外輪山から自前で発生させるものと、もうひとつが、釧路沖の太平洋上の海霧が南風に乗って、釧路湿原を通過する「霧の道」沿いに北上してくるもの。前者しか認識してなかったのでびっくり。まさかあんな山奥に海霧が来てるなんて思わないよねえ。

海霧北上タイプは、外輪山を越えて滝のように湖面に流れ込んでくるために地元では「滝霧」と呼ばれている。でもさすがに、海霧の北上はいくつもの条件をクリアしないと発生しないそうで(摩周湖はなにしろ太平洋岸から70キロも内陸にある)、今回も取材班が2ヶ月も待ち続けてようやく撮影に成功してた。威容であった。

+ + +

このブログを以前からご覧いただいている方にはすでにおわかりでしょうが、僕は北海道が、特に道東エリアが大好きなんすよ。
同じ国とは思われないような奇勝奇景に富み、かつて存在した大和ではない文化がその痕跡をわずかに地名に残し、それでいて日本語はばっちり通じて、食い物も実に美味い。こんな場所が身近にあるわれわれは幸福と言わざるを得ないよね。

そんなわけで、今年の夏休みもまた道東に行くことに決めた。
今度は、この写真の正面奥にそびえる摩周岳(カムイヌプリ)に登る。
by Sonnenfleck | 2011-08-10 20:41 | on the air

on the air:ブロムシュテット@ゲヴァントハウス、豪華三本立て!(7/3)

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日曜の午後に出掛けないのってなんか久しぶり。NHK-FMががっつりブロムシュテット特集を組んでいるので、お茶を淹れて付き合うことにする。

+ + +

【2010年10月1日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●ウェーバー:《オベロン》序曲
●モーツァルト:Vn協奏曲第4番ニ長調 K218
 ○イザイ:無伴奏Vnソナタ第2番イ短調 op.27-2~第2楽章
→アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Vn)
●ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op.68
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


《オベロン》序曲の序奏。Hrの導入のあと、対向配置のVnがふわぁっと広がる空間の美しさはこれぞ独逸浪漫主義である。主部の推進力の若々しさ、そしてそれと共存する響きの柔らかさはブロムシュテットならではで、ああ、献身的で優れたオーケストラでブロムシュテットを聴くのはこんなに愉しいのか、と思う。

ゲヴァントハウスのオケは、ライヴでこんな音が聴けるのか…というくらい整ったコンディションで、驚愕せざるを得ない。終わりごろ、弦楽のめまぐるしいパッセージに、ぽつん、と木管隊の音が垂らし込まれて、絵の具が滲むように音が混ざってゆくブレンドの巧みさ。。
このコンビ、CDを買うまでの興味がなかったが、圧倒的に僕の好みの音楽をやってることに今ごろ気がついた。つーかこれやばいぜ。なんと薫り高い響き。この日放送された作品のなかでは、この《オベロン》序曲がもっとも素晴らしかったよ。

モーツァルトのコンチェルト。僕の愛する《軍隊風》
第1楽章で、独奏Vnが行進し入場してくるその前の、木管のバランスがぞっとするくらい美しかった。それはこちらを威圧する美しさではなく、自らこちらの胸に飛び込んでくる美しさである。第3楽章で一瞬短調に転調する直前、珍しい野草のような不思議な香気のするアーティキュレーションをオケに要求してたりするのもをかし。あらー。ゲヴァントハウスのオケっていつの間にこんなに素晴らしい音がするオケになったんだー。
ソロのシュタインバッハー嬢は、前に何かのコンチェルトを聴いてあんまりいいと思わなかった記憶があるのだが、今回はブロムシュテットの優しい音のブレンドの上で存分に伸び伸びと音楽をしている。

そしてブラ1はやはり、ロハス。ブラ1かと思ったら残像だったでござるというくらい透き通っている。内声の絶妙なコントロールによりハーモニーは深刻さを失い、ところどころふんわりとしたエアの吹き出し口があって、清涼な風が吹いている。ああ…第2楽章きれいだなあ…。

+ + +

【2010年9月24日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


ブロムシュテットのシューベルトは、名古屋で聴いた超速グレートが今なお耳に残るが、この《未完成》もフレーズの輪郭はとてもくっきりしている。

ところが、10月1日のコンサートに比べるとハーモニーに苛烈さや野性味を残しており、僕が知っているゲヴァントハウスの硬い音が、ここではそのまま運用されている模様。シューベルトの音響構造体が「遊び」を持たずに組み上げられた挙句、ギシギシギシ...と軋んでいるような。ブロムシュテットもちょっと肩に力が入ってるような気がすんなあ。
第2楽章はいっそう酷薄な雰囲気。でもブ氏の音楽とはちょっと離れている気がする。ブ氏の通常のやり方で曲に臨んだら思わぬ結果を招いて、ついに引き返せなくなった感。シューベルトにはこういう魔も潜んでいるのさね。

+ + +

【2010年10月8日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス】
●ヒンデミット:交響曲《画家マティス》
●ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》(ノヴァーク版)
⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(2011年7月3日/NHK-FM)


そしていよいよ、十八番が並ぶ10月8日回。
当方は今年の2月頃から、仕事帰りの電車でヒンデミットの意地悪な音楽に癒されるというひび割れた日々が続いたが、ヒンデミットのシステムに親しむことができたのは良い経験であった。おかげで《画家マティス》にもすぐに入り込める。

ヒンデミットへのブロムシュテットの向き合い方は、ウェーバーやブラームスと大して変わらない。柔らかい響きのブレンドを駆使して、ヒンデミットの底意地の悪い音楽(←褒め言葉だからね)を丁寧に再構築していく様子は圧巻。第3楽章のしっかりすっきり整理された響き、好きです。
ゲヴァントハウスのオケも先ほどのシューベルトとは異なり、ブラームスのときのように自然に「呼吸している」様子があって、10月1日公演の出来がスペシャルではないことがわかり安心。どうやら8年間のブロムシュテット時代が、このオケをしっかりブラッシュアップしたようだった。

《ロマンティック》
どこかで身体感覚と結びついた、誇張のないフレージングがやはり好み。
「誇張のきわみ」みたいな演奏も、「誇張しないこと」を意識するあまりガチガチのサイボーグみたいな音楽を作り出してしまう演奏も、ブルックナーには両方が存在するが、ブロムシュテットの曲作りはそのどちらでもない(やはり9月24日のシューベルトは余裕がなかったなあ)。弦楽器奏者の右手のストロークや、管楽器奏者のブレス、あくまでそれらの集合体としてブルックナーを形成している。したがって音楽には誇張がない。

もちろんこの指揮者の場合、そうかといってつまらなかったり、大人しいだけだったりするわけじゃないのが好い。ところどころにあれっ、と思わせるスパイシーなギミックも隠れているのよねえ。

+ + +

老いてなお、ブ氏魂全開。9月のN響客演も楽しみです。
by Sonnenfleck | 2011-07-17 22:58 | on the air

on the air:ル・ポエム・アルモニークのテ・デウム祭り(ビゼーもあるよ)

c0060659_21544071.gif【2011年6月7日 サン=ドニ大聖堂】
●シャルパンティエ:テ・デウム ニ長調 H146
●リュリ:テ・デウム
→Amel Brahim Djelloul, Soprano
 Claire Lefilliâtre, Soprano
 Jean-François Lombard, Haute-contre
 Mathias Vidal, Ténor
 Geoffroy Buffière, Basse
→ジェフロイ・ジョルダン/ル・クリ・ド・パリ
⇒ヴァンサン・デュメストル/ル・ポエム・アルモニーク
(2011年6月25日/France Musique)

ここでのシャルパンティエは梅雨の晴れ間の土曜の朝にぴったりである。

緻密なイネガルを駆使した手弱女ぶりの造形も素敵だが、このように強く気高く、益荒男ぶりなシャルパンティエも好いよね。
デュメストルはところどころ爽やかな装飾を入れたりしているが、基本的には楽譜の持つエネルギーだけで安定的な自動運転に入っている。太鼓は元気印、トラヴェルソの重奏も模糊とせず、通奏低音の弾むアーティキュレーションは飛鳥の仏像のように、優美な衣の下のしなやかな筋肉を感じさす。

いっぽう、リュリはもっとごつい。今度は急に時代が下って(本当は逆だけども)、国芳の武者絵みたいにデフォルメされた漫画風の筋肉を思い浮かべる。リュリに荘重さを感じることはあってもごつさを感じることって普段はあんまりないので、シャルパンティエと並べて聴くと面白いすね。

+ + +

で、上記ライヴのあとの余った時間で放送されたビゼーのテ・デウム(NAXOS 8.572270)が、僕にとっては非常に衝撃的であった。
この曲、ローマ賞を獲ったあたりで作曲されたらしいんだけど、音楽が完璧に社会主義リアリズムをやってる。この単純な拍子にпартияの叡智が、無国籍な叙情的メロディにпионерの安らぎが載っけられてたりしても全然おかしくない。何か、、を讃える方式がたかが数十年で変化するわけがないということの良い例でした。
by Sonnenfleck | 2011-06-27 21:58 | on the air

on the air:シャンゼリゼ劇場の[ガラ・ヘンデル]

c0060659_12592131.jpg【2010年3月19日 パリ・シャンゼリゼ劇場】
<ヘンデル>
●Arrivée de la Reine de Saba Solomon
●« Frondi tenere... Ombra mai fù » Serse (+)
●« Where shall I fly » Hercules (**)
●« Son nata a lagrimar » Giulio Cesare (**/+)
●Scène de la mort de Bajazet Tamerlano (*/+/++)
●« Lascia ch’io pianga » Rinaldo (*)
●« As steals the morn » L’Allegro, Il Penseroso ed il Moderato (*/++)
●« E vivo ancora... Scherza infida » Ariodante (+)
●« Fermati » Rinaldo (*/+)
●« Le lusinghe... Non è amor, nè gelosia » Alcina (*/**/+)
●« Dall’ondoso periglio... Aure, deh, per pietà » Giulio Cesare (**)
●« Venti, turbini » Rinaldo (+)
●« E pur così in un giorno... Piangerò » Giulio Cesare (*)
●« Where’er you walk » Semele (++)
●« Dover, giustizia, amor » Ariodante (**)
●« Se bramate » Serse (++)
●« Io t’abbraccio » Rodelinda (*/**)
●« Da tempeste » Giulio Cesare (*)
●« Voglio tempo per risolvere » Il Trionfo del Tempo e del Disinganno (ALL)

→サンドリーヌ・ピオー(S *)
 マリー=ニコル・ルミュー(Ca **)
 フィリップ・ジャルスキー(C-T +)
 トピ・レティプ(T ++)
⇒エマニュエル・アイム/ル・コンセール・ダストレ
(2011年5月27日/France Musique)

このスター揃い踏み!そしてこの贅沢なプログラム!

予期せず《シバの女王の入城》から始まってとってもハッピー。僕が通っていた小学校の放送部は、朝の学級会を始める時間に、校内放送で毎日々々この曲を流してましてね。僕が生まれて初めて「音楽」として接したバロックは、間違いなくこのナンバー。エマニュエル・アイムはあんまり細部を抉らずにふあふあした作りに仕立ててて、ガラの期待感を高める。

« Lascia ch’io pianga »のピオーはまさしく女王さまで、、ああ、、なんと言ったらよいのか。。これまでに聴いたこの曲のどの歌唱よりもラグジュアリーで、しかし温かく。アマでプロで何度も何度も何~度も聴いて、隅々まで知っているつもりになってたこの曲で泣かされることになるとはうぐぐ。。

ボストリッジのヘンデル・アルバムで苦み120%増しで歌われていた« E vivo ancora... Scherza infida »も、ジャルスキーの声に掛かるとまるで正反対の、愛を告白する歌みたいに変貌しちまうね。

ソロも好いのだが、さらに重唱ナンバーの魅力は筆舌に尽くしがたい。
ああ、ヘンデルフルコースが気持ち良すぎて感想書いてくの面倒くさくなっちゃったなあ。そうそう、こういう気持ちにさせるのがヘンデルだよなあ。というヘンなまとめ方で締めつつ、期間限定ながらオンデマンドで簡単に聴けるのでバロクーな人たちはみんなみんな必ず聴いてください。おしまい。

+ + +

ところでね。NHK様がついにラジオのインターネット配信に踏み切るそうじゃないですか。かつて地吹雪にも負けず、夏の稲妻にも負けず、雑音が混じらないFM聴取に心血を注いだエアチェック小僧としては、ちょっと寂しい気がするくらいのニュースである。でも配信は48Kbpsらしいからな!まだまだ電波の価値はあるな!
by Sonnenfleck | 2011-06-04 13:25 | on the air

on the air:ハーン+ホーネック/ピッツバーグ響からの贈り物

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【2010年5月7or8or9日 ピッツバーグ ハインツ・ホール】
●シベリウス:Vn協奏曲ニ短調 op.47
 ○バッハ:パルティータ第1番ロ短調 BWV1002~サラバンド
 ○バッハ:パルティータ第2番ニ短調 BWV1004~サラバンド
 ○バッハ:パルティータ第3番ホ長調 BWV1006~ルール
→ヒラリー・ハーン(Vn)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op.47
 ○ハチャトゥリャーン:《仮面舞踏会》~ギャロップ
⇒マンフレート・ホーネック/ピッツバーグ交響楽団
(2011年3月21日/WQED)

シベリウスの協奏曲は、これまで僕が聴き得た同曲の演奏の中でも、特に群を抜いて圧倒的であった。
いつもちょっと空気薄めなこの協奏曲の第2楽章において、ワーグナーのように深沈としたエロティシズムを感じることになるとは思わなかったし、ヒラリー・ハーンがこんなに艶やかに歌うヴァイオリニストだということも知らなかったし、また、マンフレート・ホーネックが、これほど巨大にして引き締まり、なおかつ色彩豊かな音楽を作る指揮者なのだということも理解していなかった。第3楽章の弾む筋肉運動に心が萌える。
僕はこれらを聴いてガリー・ベルティーニの音楽を思い出す。なんか、似てる。

そしてまた、アンコールに供されたバッハに心を助けられる。3拍子のゆったりした舞曲に。なんかこの前から生臭くてヤでしょう?でも本当にそうなんだ。

+ + +

ショスタコーヴィチ。ピッツバーグの南西の都市の某シェフがやる音楽とは根本的に違う。
ホーネックはちゃんと、ショスタコーヴィチの「灰色」に微細なグラデーションがついていることをちゃんと知っていて、墨の濃淡だけで巨大な構築物を描き分けている(第1楽章の豊饒なこと!そしてショスタコはハチャトゥリャーンでもエシパイでもない)。そこに必要十分な原色を垂らし込んで、音楽のエロスを失わない。第1楽章のコーダはまるでマーラーである。

第2楽章は冷笑的ではあるが、どこかでコケティッシュな感覚と結びついていて、断面が複雑。遊園地のメリーゴーランドを眺めているようだ、って書くのが妥当かどうか、わからない。

そして第3楽章で否応なく突きつけられる、嫋々とした「うた」の存在。旋律線が本当によく歌っている。そのうえオケは常時、豪奢に分厚く盛られて(各局面で音は小さくなるが、薄弱にはならない)、それによってツェムリンスキーかシェーンベルクみたいな浮遊感が生まれ、一瞬、どこの楽団で何を聴いているかわからなくなる。
こういうのはソヴィエトの指揮者たちからも、また当代の、何でもこなす器用な指揮者たちからも聴き得ない不思議な感覚。すんごく面白い。ベルティーニのショスタコーヴィチってこんな感じじゃなかったかなあ。やっぱり似てる。

第4楽章はストレートなつくりであるが、管楽器のブレンドが本当に巧みで、はっとする瞬間が何度も訪れる。何度も聴いた曲じゃなかったか。こんなに魅力的な音楽だったか。珍妙なアクセントや奇矯なアッチェレランドがショスタコーヴィチに必要かどうか、考えなくちゃいけない。こういう演奏を耳にすると、指揮者の仕事がなんなのかというのがよくわかる。

アンコールにハチャトゥリャーン。いいね。真面目ぶってなくてね。途中、クラリネットソロが先ほどの第2楽章のパッセージを回想してお客をわらかす。
ああ。ピッツバーグに住みたい。こんなシェフとオケが「おらが街」にいるなんて。
by Sonnenfleck | 2011-04-16 09:53 | on the air

on the air:ペライア/ASMFのK491+BWV1058@プラハ

【2010年5月21日 ルドルフィヌム】
<「プラハの春」音楽祭2010>
●ストラヴィンスキー:《ダンバートン・オークス》
●モーツァルト:Pf協奏曲第24番ハ短調 K491
●バッハ:協奏曲ト短調 BWV1058
●ハイドン:交響曲第99番変ホ長調 Hob.I:99
 ○アンコール ハイドン:交響曲第92番ト長調 Hob.I:92~第4楽章
⇒マレイ・ペライア(Pf)/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
(2011年3月19日/Catalunya Musica)

夕食後、どうにも気持ちが塞いでしまって、こういうときは同質の原理だと思ってプレヴィン/ロンドン響の《シンフォニア・ダ・レクイエム》を聴いていたら、またぞろグラグラ。
もうやだ。しにたくない。
何かのスイッチがパタパタパタ、と入って、気がつけばカタルーニャのチャンネルにアクセスしている。いきいきとしてしかもむずかしくないおんがくがききたい。

+ + +

なんちゅうシンプルなプログラムでしょう。
《ダンバートン・オークス》が若干もっさりしているのはご愛嬌だけども、真ん中のモーツァルトとバッハの、無原罪的とでも表現すべき音楽には胸を打たれる。奇矯なものは何ひとつ見当たらなくて、クリーニングしたてでバリっと糊の効いたワイシャツに袖を通すような肌触りが心地よい。いい演奏だな、というより、いい音楽だな、一緒に演奏したいな、と思う。

それでも、1058の第2楽章の凛とした佇まいには、涙が出て仕方がない。
ペライアのタッチは格別に繊細でも特別に優しくもないのだが、一貫して、一定の速度で螺旋を描きながら上昇するような内在的なエネルギーを感じる。トゥッティにもよくそれが波及して、遠慮はないがガサツではないという親密な雰囲気。遠慮されないことの心地よさ、みたいなものが音楽全体から滲み出ている。
遠慮するのも遠慮しないのも、この音楽の間は考えなくてよいということだ。

ハイドンは「究極の平常運転」という感じ。ブリリアント変ホ長調。指揮者ペライアのあり方は彼のピアノとよく似ているようだ。計画通りに運動しているものの近くに身を寄せることができるのは、自分の巡航速度を見失っている者にとっての癒しだろうとさえ思う。

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ブログのスキンを昔に戻した。僕はオレンジ色が好きだったんだ。忘れてたよ。
by Sonnenfleck | 2011-03-19 21:39 | on the air

on the air:カルミニョーラ+VBO[アルビノーニ+ガルッピ+タルティーニ]@紀尾井

「芸術劇場」、4月の番組改編でなくなるらしいですわよ奥様。

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c0060659_102657.jpg【2010年12月1日 紀尾井ホール】
●アルビノーニ:弦楽と通奏低音のための4声の協奏曲
  ニ長調 Op.7-1
●ガルッピ:同ト短調
●タルティーニ:弦楽と通奏低音のための4声のソナタ
  第3番 ニ長調
●ヴィヴァルディ:Vn協奏曲変ロ長調
  op.8-10 RV362 《狩り》
●同:Vn協奏曲変ホ長調 op.8-5 RV253 《海の嵐》
●同:Vn協奏曲ハ長調 op.8-6 RV180 《喜び》
●同:Vn協奏曲ト短調 op.8-8 RV332
●同:Vn協奏曲ハ長調 op.8-11 RV210

⇒ジュリアーノ・カルミニョーラ(Vn)/ヴェニス・バロック・オーケストラ
(2011年2月4日/NHK教育)

さて、アルビノーニは本当におかしな作曲家です。何度かアルビノーニに関してエントリを書こうとしているが、まったくうまくゆきません。
かつて1曲だけ、アルビのOb協奏曲に参加したことがあるんだけど、通奏低音の線が実にぐねぐねしていてすっきりしなかった。各パート、たとえばヴィヴァルディに比べてあまりにも旋律線が長すぎるのが全体的な「変さ」の理由ではないかと踏んでいるが、自信はない。

ガルッピの第3楽章、絶妙にアルデンテ気味でコシのあるイネガルに萌える。そしてアンサンブルの勝手気儘なことといったらない。これはベルギーとかドイツのアンサンブルでは絶対にありえないよな。。

タルティーニの第2楽章の、シナをつくるように捩れたパッセージ。この、ギャラントと言うにはあまりにもぐんにゃりした雰囲気が僕をタルティーニから遠ざけているのだが、VBOはこの曲のこの楽章がいちばん生き生きしてたな。ほんまにおもろいアンサンブルやな(キャラづけ)。

+ + +

カルミニョーラがひらひらっと入ってきて、途端にオケのテンションが上がるのは三鷹と同じ。リュートのタコ系おっさん(大写しになると腕周りのアクセサリがきらきら光ってお洒落!)とチェロのタコ系おっさんの脂っぽさも同じ。カルミニョーラは三鷹よりもうちょっとマジメだった。

[関連リンク]カルミニョーラ+VBO[オール・ヴィヴァルディ]@三鷹(11/28)
by Sonnenfleck | 2011-02-05 10:39 | on the air

on the air:ドホナーニ/ボストン響の生中継を聴く。

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【2011年1月29日 20:00~ ボストン・シンフォニーホール】
●リゲティ:FlとObのための二重協奏曲(1972)
→エリザベス・ローヴェ(Fl)+ジョン・フェリロ(Ob)
●モーツァルト:Vn協奏曲第4番二長調 K218
→アラベラ・シュタインバッハー(Vn)
●ドヴォルザーク:交響曲第7番ニ短調 op.70
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/ボストン交響楽団
(2011年1月30日/WGBH All Classical生中継)

おかかさんのウェブラジオ番組表をありがたく眺めていたら、ドホナーニのライヴが中継されることに気がつき、慌ててWGBHにアクセス。この両者、CD脳からすると見慣れぬ組み合わせですが、定期やタングルウッドではちょくちょく共演しているみたい。僕はこのカップリングは初めて聴きます。

+ + +

まずリゲティの、Fl+Obダブルコンチェルト
ここ1年ほどでバルトークへの個人的親和が急激に高まってからというもの、リゲティの中の「バルトーク性」にも同じような強い共感を覚えるようになっている。
この作品も第1楽章、まずはクラスター風のゆったり模糊とした弱音の漂いに惹かれる。確かに都市的な緊張感もあるが、それとは矛盾して土や草の強い香りもする。緩やかにグラデーションが移り変わる。とても微細で素敵なグラデーション。そして、どこまでも丁寧な音色の捌きかた。ドホナーニらしい。

二人のソリストも、このように視覚効果がなければ、オーケストラの薄さも相まってソロには聴こえない。第2楽章は微細グラデからもう少し動きが出てくるけど、ハルモニームジークみたいな趣き。かわいらしいナンバーでした。

続いてモーツァルト第4Vn協奏曲
実は、生まれて初めて生で聴いたヴァイオリン協奏曲がこの曲でしてね。以来これまで偏愛。したがってドホナーニの指揮でこれが聴けるのは望外の喜びだねえ。
第1楽章のマーチ風主題を聴くだけでもう、その仮借なくエレガントなリズムの踏み出し方に心を鷲づかみにされてしまう。ドホナーニ先生のモーツァルトの美点のひとつが、リズムが絶対に後ろに倒れないのに、別段急いでいるようには聴こえない、その魔法のような時間感覚なのだが、今回もそれがよく聴き取れる。先生も最近、でかいシンフォニーばっかり振ってたけど、モーツァルトを振ると今でもこうしてくっきりとした時間造形になるんだな。すげえな。

第2楽章の、野の花のような透明感、、いや、これなんですよ。ドホナーニを聴いていて幸せなのはこういう瞬間。冒頭の清楚な響きもよかったし、ソリストのカデンツァを受け止めて柔らかい花弁が開くような絶妙なルバートにも身もだえする。
ピリオド以前のモーツァルトのいいところだけが、高圧下に結晶化してきらきら光ってるような感じがするよね。もう20年くらいしたらこういう演奏が大絶賛されるようになって、こっちの方向に揺り戻しがくるんじゃないかと密かに思っている。

ソロのシュタインバッハー嬢は右手の線が華奢で、それがために、主張の強いピリオドアプローチに触らずにこの曲のようなピースフルなパッセージを弾いているといかにもお稽古的で、物足りなさが残るなあ。



休憩後、ドヴォ7。ドホナーニ先生の十八番ですな。
うーん。
なんだか実体感が薄い。思念の音楽みたいになっているぞ。。
WGBHのビットレートは中程度なので、前半みたいに編成が薄い作品だとあんまり気にならなかったけど、こういう厚いロマン派交響曲には向かないのかもしれん。だといいな。第2・第3楽章の寂寞としたさま、特に後者、中間部から主部に帰ってくる局面でのすべすべした移行には、生きる活力のようなものが完全に失われている。いやはや。

…これ、ビットレートのせいじゃないな。第4楽章もどことなくおかしい。
フレーズが浮き上がるジャンプ力みたいなものが、音が沈み込んで消える作用に負けてしまっている。前述のようにリズムが絶対に後ろに倒れないし、響きも往時と同じようにきゅっと引き締まっているので、音のない空隙の存在感がよけいに増しているんだな。
こんなに静かな音楽になってしまったら、このあとはもう行き止まりじゃないか。。モーツァルトは特に変化を感じなかったけど、ドヴォルザークがこういう状態では、ブラームスやマーラーなどいったいどうなってしまってるんだ。。
2011年のドホナーニ、追わねば。
by Sonnenfleck | 2011-01-30 18:32 | on the air

on the air:ケラス兄+ベルリン古楽アカデミーのヴィヴァルディ

c0060659_8483381.gif【2010年10月27日 ハンブルク・ライスハレ】
●ヴィヴァルディ:シンフォニア ハ長調 RV709
  (《ジュスティーノ》序曲)
●ヴィヴァルディ:Vc、弦楽と通奏低音のための協奏曲ト短調 RV416
●カルダーラ:シンフォニア第6番 《San Elena al Calvario》
●ヴィヴァルディ:Vc、弦楽と通奏低音のための協奏曲ハ長調 RV114
●ヴィヴァルディ:Vc、Fg、弦楽と通奏低音のための協奏曲ホ短調 RV409
●ヴィヴァルディ:2Vn、弦楽と通奏低音のための協奏曲ホ長調 RV265
  (《調和の霊感》op.3-12)
●ヴィヴァルディ:シンフォニア ハ長調 RV709
  (《テンペーのドリッラ》序曲)
●ヴィヴァルディ:Vc、弦楽と通奏低音のための協奏曲ヘ長調 RV412
●カルダーラ:オラトリオ《イエス・キリストの受難》より
●ヴィヴァルディ:Vc、弦楽と通奏低音のための協奏曲イ短調 RV419
→ジャン=ギアン・ケラス(Vc)+ベルリン古楽アカデミー
(2010年12月19日/NDR Kultur)

かっこいいなあ。
AAMBはいつものとおりの硬い響き。この響きでヴィヴァルディをやると、イタリアの団体とはまったく違うダンディズムがもあもあと発生して、たいへんなクールビューティ状態である。最後までデレない常時ツンというかさ。

そこへケラス兄さん。古楽専業の凄腕チェリストがうじゃうじゃいるので、モダンのチェリストがヴィヴァルディのコンチェルトをやることはもうなかろうと思っていたのだが、ケラス兄さんがやった。現代のクレバーなチェリスト層の中でも、特にケラス兄は音に艶やかな華があって好きでして、そのためにこのひとはすこぶるヴィヴァルディが似合う。

ヘ長調 RV412は特に佳かったのじゃないかな。氷のように冷ややかなAAMBのリピエーノの上を、さも気持ち良さげに滑走するソロ。注目の右手は、もちろん雁字搦めのピリオドスタイルではないので、音には豊かな太さと滑らかさが与えられる。第2楽章の高級感。
2009年に所沢で聴いた彼のバッハも、ボウイングに独特の艶と、どうやら今どきピリオド由来ではないようである軽やかさ(←たぶんこれ凄いことだと思うよ)を感じて素晴らしかったが、そのときのことを思い起こさせる。当該のエントリはこちらのミスで消失してしまいましたが。。

+ + +

もちろんケラスが登場しないナンバーも佳いのよ。
3-12などほんとうにゴツゴツトゲトゲ、疾風怒濤していて、2010年の今でもちゃんと彼らは彼ららしいヴィヴァルディを維持しているのだ、ということがわかって嬉しい。あの有名な旋律が転用されている《テンペーのドリッラ》序曲からも、いかにも生真面目なAAMBの《春》が窺われる。古楽のネオザッハリヒカイト。
by Sonnenfleck | 2011-01-16 08:54 | on the air