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カテゴリ:展覧会探検隊( 70 )

ギュスターヴ・モロー展@Bunkamura ザ・ミュージアム

c0060659_22374091.jpg昨日夕刻、雨がそぼ降る渋谷へ。
元祖ニート、デ・ゼッサントも推薦のモロー展に行ってきました。

ギュスターヴ・モロー(1826-1898) は不思議な画家ですよね。彼ほど「××主義」というカテゴライズから自由な人はいないと思います。よく象徴主義の先駆とか言われますけど、「先駆」っていうのは後代から見たときにしか意味がない言葉であって、ゼロから(ドラクロワやシャセリオに師事していたとはいえ)あの小宇宙を作り上げたモローの異常な独自性はもっと称賛されてもいいんじゃないかなあ。
(*でもシャセリオのヌードを見ると、虎の巻発見!という気はします)

本展はパリのモロー美術館の所蔵作品を、年代ではなく主題によって8セクションにわけた構成。作品数ではギリシア神話系のものがもっとも多く、ついでサロメ関係、聖書世界という陣容であります。
印象深かったものをいくつか。

《プロメテウス》(1868、油彩) プロメテウスの白い体(セクシャルなものすら感じる)。後景の岩場のそっけない質感、そして対照的に細密で邪悪な鷲の描写。
《出現》(c. 1876、油彩) モロー作品の中でももっとも有名なもの。実物は予想以上に骨っぽい印象が強く、驚きましたです。洗礼者ヨハネの首から差す光は力強く直線的で、またサロメも意外に粗っぽい描線。またこの絵を特徴づける「透明に浮き上がる装飾」もかなり太くはっきりとしたタッチです。でもよく近づいてみると、サロメの纏う金の装飾品とヨハネの首から滴るどす黒い血液が妙に生々しくてゾッとするのでした。

こうやってモロー作品だけを並べて大量に見ると、意外に波のある画家なのだなあという印象を受けます。大傑作ばかりではないのが、この人の魅力のひとつなのでしょうか。
モロー美術館(なんと日本語ページあり)
by Sonnenfleck | 2005-10-20 22:40 | 展覧会探検隊

アジアのキュビスム展@東京国立近代美術館

例によって会期末間際の駈け込み鑑賞会。先日竹橋の近美へ行ってきました。
「アジア」かつ「キュビスム」って…。あたくしルノワールが好きですのよ〜♪的マダムたちにはいかにも人気がなさそうだし、だいいち観るまえに全然想像がつかない。近美の大冒険。出かけた時間のせいもありましょうが、この美術館でこんなに空いてる展覧会に出会うのは初めてかもしれないなあ。これ幸いとジットリ観さしてもらいました◎◎

全体は4つの章立て。
1.テーブルの上の実験
 キュビスムのアジア伝播はやっぱり時差が10年くらいあって、日本や中国でキュビスムが一般化するのは20〜30年代にかけての時期だったようです。このセクションでは、キュビスムと初めて出会ったアジアの画家たちがどのようにこの技法を用いたかということについて、静物画を軸にまとめられています。
 面白かったのはスリランカのジョージ・キートによる《マンゴーのある静物》(1933) ですね。「円いキュビスム」とでも言えばいいのかな、優美な曲線を描く描線に西欧キュビスム的な分析眼は感じられず、むしろ装飾の接近を示している。でもこれが伝統的な唐草模様に端を発しているかというと、それは短絡的すぎるし…インドやスリランカの作家がみんなクネクネした画風でもないわけで…うまく書けないなあ。
それから韓国のキム・スや、フィリピンのヴィセンテ・マナンサラが用いた「透明キュビスム」。画面に透明なキューブを散らす技法はなかなか面白い(単純な例ですが、透明なビニルでできた暖簾をイメージしてみてください。それを通して覗くと視界は不格好に裁断され歪んで−でも透明に見えるでしょう?)。
 このセクションではまだ「キュビスムは楽器を、果物を、テーブルを描かなきゃいけない」という硬直した青さが強く感じられます。

2.キュビスムと近代性
 アジアのキュビスムは、なんらかの政治的な意図を内包することが珍しくなかったようです。機械化・工業化・都市化(都市の暗部)をあからさまにモチーフとした作品の数々。植民地にされた国の作品ばかりなのですが、なんだかものすごく年代が新しい作品が多いのに驚く。1950〜60年代に素直にキュビスムを墨守っていうのは皮肉な感じですね。旧植民地国家にとっての「モダン」は、独立後にようやくやってきたということか。
 それとこれとはまた別の話ですが、以前南条史生氏の講演で聞いた釜山ビエンナーレのレポートによると、強い政治的アピールを持った作品がお隣の国では現在も相当量制作されている由。いろいろ考えさせられます。

3.身体
 「自画像」と「裸婦像」。このふたつはものすごく「西洋的」なテーマなわけです。アジアのどの国も、この主題で絵画を描く伝統を持ってはいなかった。キュビスムがアジアを襲ったとき、顕著な差が出たのは特に自画像の分野だったみたいです。西欧にあっては、対象の表面的な再構成をその発端とするキュビスムと、内面の表出を目的とする自画像とは相容れない(ピカソもブラックも、キュビスムによって自画像を描くことはなかった)。でもアジアの画家たちにとって、キュビスムで自画像を描くという行為になんら破綻はなかったわけです。これはキュビスムが伝播の過程で変質したことを意味するのか、はたまた自画像も静物画でしかなかったからなのか。

4.キュビスムと国土
 本展でもっとも印象深いのはこのセクション。ここに集められた作品こそが「アジアかつキュビスム」というか「アジアがキュビスムをねじ伏せた瞬間」を体現していると思いました。本当にただの一技法になってしまったキュビスムは、アジアの「豊かな農村」を、聖母子像を、十字架降下を、そして国家独立の歴史画を描くためにただ使われることになります。技法が意味をまとうことなんてないという明るい叫び。

この展覧会の切り口は本当に面白いっす。「キュビスム」と「アジア」とは別に西洋/東洋みたいな対立関係じゃないし、だいたい「アジア」なんていう怪しい括りは無意味なんでしょうが、国家と芸術・戦争・アジア諸国にとっての近代・植民地化、この方面のことを考え始める良質の材料になると思います。
10月2日(日)まで。
by Sonnenfleck | 2005-09-30 22:40 | 展覧会探検隊

イサム・ノグチ展@札幌芸術の森美術館

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イサム・ノグチ(1904-1988)の遺作のひとつとなった設計プランが、札幌の《モエレ沼公園》のデザインであります。若い頃から「遊び場」のデザインを夢見ていたノグチが、札幌市の公園造成計画に興味を示したのは当然のことであったでしょう。でもノグチ自身はマスタープラン完成後ほどなくして亡くなり、プランを引き継いだ札幌市が造成に努めてきた結果、今夏ようやく公園の全体が完成。それを記念して、現在札幌芸術の森美術館でイサム・ノグチの特別展が開かれています(九月からは東京都現代美術館で開催)。

本展はノグチ作品のなかでも主に「空間演出(あるいは創造)」と関係の深いものが出品されており、作品数は少ないものの見応えがあります。
目玉は香川のイサム・ノグチ庭園美術館から空輸された《エナジー・ヴォイド》(1971-72、黒花崗岩)。香川では蔵のなかで密やかに展示されているこの作品が、札幌では白昼、美術館前庭の池のなかに水上展示される。黒光りする巨大な環が夏の陽光を浴びて佇むさまは、偉大な鈍重さと停止する時間の静けさを感じさせて、異様な存在感を示しています。でもこれ現美ではどうやって展示するんだろう??

その後、件の《モエレ沼公園》に移動。最寄りの地下鉄駅からバスで30分もかかるド郊外にあるんですが、苦労して行った甲斐はありました〜♪
写真は、公園内の巨大な築山「プレイグラウンド」を下から見上げた図。頂上の人影を見れば、どれくらい大きな構造物かおわかりいただけると思います。噴水やガラスのピラミッド、そして独特な形態の遊具を備えたこの「空間=彫刻」には、ランドスケープを創造するという困難で贅沢な課題を楽しみきったノグチの刻印が確かに刻まれています。
(そういう文脈で考えれば、萬来舎のノグチルームを「破壊」した慶應義塾の蛮行はやはり断罪されるべきだろう。空間そのものを作品としてとらえる考え方は彫刻家ノグチにあって当然のものであったと思う。僕は移築される以前のノグチルームを見学したことはないんですが…)

あたりを飛び交う鮮やかなウルトラマリンのイトトンボがかわいらしくて切ない。そろそろお盆だなぁ。
by Sonnenfleck | 2005-08-08 19:35 | 展覧会探検隊

レオノール・フィニ展@Bunkamura ザ・ミュージアム

夏休みの間の渋谷はキライです。この時期はたとえタワレコに行きたくなっても我慢するし、ブックファーストにもオーチャードホールにも絶対に行きません。昨日は夏休み突入前日ということでいつも以上に浮ついた雰囲気のなか、スクランブル交差点を通るのも嫌になり、シブチカへ下りてすたすたと文化村へ。某所から招待券をいただいていたレオノール・フィニ展がそろそろ会期末なので、駆け込みで見てきました。

レオノール・フィニ(1907-1996) は、ブエノス・アイレス生まれのトリエステ育ち。長らくパリに居を構え、文化人たちとの交流は絶えることなく、パリ社交界きっての不可侵カリスマとして謎多き生涯を送ったらしい。いちおうシュルレアリストに分類されるのだと思うのですが、だいたいブルトンとも仲違いしちゃって「私をシュルレアリストと呼ぶな宣言」してたり、、でもその破天荒な生き方に対して、作風はどうってことのない(ごく普通の凡庸な)シュルレアリスムです。
ちょっと…な作品が目立ちましたが、1950-60年代、それまで堅持していた具象性を一気にかなぐりすてたころの作品群(フィニ研究の文脈では「鉱物の時代」というらしい)は素直に支持できます。これもたぶんアンフォルメルの影響を直に受けていて、オリジナリティの面では弱いんですが、青や緑を交錯させた硬質な抒情はなかなか魅せますね。ただこのあと70年代には再び没個性的なシュルレアリスムに回帰しちゃって、そのまま晩年に至るまで作風に大きな変化はありません。構図や描線や色づかいに特別な魅力があるわけでもない。特に80年代後半からの作品は、妙に思わせぶりというか、狙いすぎというか、ベタな物語性に耽溺するばかりでちっとも面白くない。モダニストの抜け殻みたいでなんだか見てて悲しくなります。

お好きな方には申し訳ないですけど、僕はこの人の感覚とは同期できないかも。うむむ。会期は7月31日までです。
by Sonnenfleck | 2005-07-21 10:27 | 展覧会探検隊

ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]@国立西洋美術館

先週の金曜、上野の西美へ行ってきました。
歴代のザクセン選帝候たちが集めに集めた美術品・工芸品のコレクションを引き継ぎ、展示・修復・研究を行っているドレスデン国立美術館の引っ越し展。やっぱり「日本におけるドイツ 2005/2006」の関連行事です(今年になってからいくつ「ドイツ年」企画に行ってるんだろうか…)。

全体は7つのセクションに区切られています。
1.ドレスデンのKunstkammer
 入場してまず目をひくのは《集光鏡》(c. 1740) 。東洋の磁器に魅了されたアウグスト強王が、太陽光を照射することで磁器を溶かし、その成分を分析させるために製作させたものです。隣にはドロドロに溶解した金属塊のサンプルが展示してあり、その威力を物語る。この区画に並ぶ美しい地球儀・天球儀や計測器具などからは、「世界を『知ること』で征服する」という大きな視点が見て取れるわけです。あとやっぱりデューラーの《ネメシス》(c. 1501) が美しい。あの翼。。

2.オスマン帝国−恐怖と魅惑
 続いてはオスマン製の装飾的な(儀礼用の?)武具を中心とした「トルコ風」の礼賛。《戦棍》(16世紀) の先端に填め込まれたクリアブルーのトルコ石が艶めかしい。

3.イタリア−芸術の理想像
 他国の例に違わず、ザクセン宮廷でもイタリアへの憧憬が高まります。ヴェネツィアの風景画が収集され(同行者は「写実的な洗濯物の描写が汚らしい」と気に入らないようでしたが^^;;)、さらにヴェローナの風景画(《ヴェローナのアーディジェ川》(1747/48) )などで有名であったイタリア人画家ベルナルド・ベロットが招かれて、次第にエルベ河畔から眺めたドレスデンの描写が増えていく。ティツィアーノの《白いドレスの女性の肖像》(c. 1555) の美しい衣紋も見物です。

4.フランス−国家の表象と宮廷文化
 「フランス風」の流行。

5.東アジア−驚嘆すべき別世界
 磁器の白さは、本当に神秘だったんでしょうねえ。アウグスト強王は輸入に飽きたらず、マイセン磁器を作らせてしまいます。有田焼の非常に凝った蒔絵瓶(《染付牡丹唐草文象耳鳥籠付き蒔絵瓶》(c. 1700) /瓶の胴回りに鳥籠がついているんですよ!)をマイセンでコピーした逸品。でも有田焼のマヌケな顔の鳥に比べると、マイセンの鳥は表情が真剣で思わず笑ってしまいます。一生懸命すぎ(笑)

6.オランダ−作られた現実
 レンブラントとレンブラント派。もはや客寄せパンダのような扱いですが…フェルメールの《窓辺で手紙を読む若い女》(c. 1659) はやっぱり見れてよかった。ゆがんだ窓ガラスに映り込む女のはにかんだような表情、目も覚めるようなカーテンの黄緑、ベッドの上の果実は匂い立つようで…。レンブラントの《ガニュメデスの誘拐》(1635) は、最新の洗浄効果によって画面左下からガニュメデスの母親の姿が浮かび上がっていました。鷲以上に暗闇。

7.ロマン主義的世界観
 最後はドレスデン自体が中心となったドイツ・ロマン主義の絵画。名品揃いでしたが、ひとつだけ挙げるならフリードリヒの《月を眺める二人の男》(1819) っすね。画集なんかで見ていたのに比べて本物は全体がずっとオレンジがかっていて、狂気というか、なんだか空恐ろしいものを感じて立ちつくしてしまった。。ロマン主義の絵画はこういうことがあるから油断できないです。

やや地味めな印象はどうしても拭えませんが^^;; ごまかしがない誠実な企画展です。9月19日まで。
by Sonnenfleck | 2005-07-18 13:13 | 展覧会探検隊

小林古径展@東京国立近代美術館

僕は日本画については完全完璧完膚無きまでに門外漢ですが、小林古径(1883-1957) の作品は「見たことがある」という記憶があります。というのも、ほんの一時期、切手を集めるというベタな趣味に走ったことがありまして、そのとき見た15円切手の古径作品《髪》が強く印象に残ってるんですよね。
その《髪》が展示されているとのこと。さっそく竹橋の近美へ行ってきましたー。会期末にしてはそんなに混んでないかなあという印象。お年寄りが多い、というよりそれ以外の年代が極端に少ないっすね^^;;

惹かれた作品をいくつか。
《芥子》(1921/大正10、東京国立博物館) は古径がリアリズムの強い影響下で描いた作品。明治・大正期には歴史画や人物画が多いんですが、そのなかで異彩を放つ、凶暴な緑の生命力。全面を覆い尽くす葉・茎の力感に目が眩む。ここの最下部で見られます。
《白日》(1935/昭和10、MOA美術館) は、大輪の紅蜀葵(もみじあおい)とその下に潜む猫、という構図が美しい。でも一方で「白日」の猫が纏う暗がりがなんとも恐ろしいのだよなあ。
《くろ兎》(1939/昭和14、個人蔵) 。周囲に展示された動物画とは明らかに異質な、、アンチ・リアリズムというか、デザイン化された兎の丸みが強烈です。
《柿》(1934/昭和9、ポーラ美術館) は、枝に寂しく残る柿の実と、美しい柿紅葉、往く秋と来る冬が滲む絶品。もう一度見たい。
《鉢花》(1953/昭和28、山種美術館) は晩年の作品。もはや生けられることもなく鉢の前に横たえられた切り花、描線は鋭利さが薄れ、不思議な空虚さが空間を満たしています(形容矛盾ですが…)。
《髪》(1931/昭和6、永青文庫) 。お目当ての作品です。ぼんやりとしているように見えた女の髪は、実は執念深いほどの細かな描線によって形成されていました。しかし対照的にフラットな女の躰。そして女の周りのうっすらとした闇…。ここの下部で見られます。

これまで愚鈍にもノーマークできた日本画。。悔い改めます。
by Sonnenfleck | 2005-07-15 12:37 | 展覧会探検隊

<写真はものの見方をどのように変えてきたか>:第1部[誕生]@東京都写真美術館

金曜日、みなとみらいへ向かう前に恵比寿の東京都写真美術館へ行ってきました。
1995年の開館から今年で10年になるのを記念して開催されている所蔵作品展。これから11月まで半年以上に渡り、写美の膨大なコレクションを4部構成でクロノロジカルに展示していくようです。第1部は[誕生]。黎明期の興味深い作品が山のように用意されていました。

写真というメディアが一般化し始めたのは1840年代。肖像写真(生死いずれも)の普及に始まり、風景、建築物、美術品が「完璧な再現性」を伴って記録されていきました。彫刻を撮影したとある作品のキャプションに、画家のアングルが当時のフランス政府に「絵画の敵、写真を禁止せよ!」という声明を出していた、という逸話が書かれてありまして、さもありなんという感じでしたね。事実、黎明期の写真家は画家からの転身組が非常に多かったようです。われわれが考えている以上に、当時の人々は写真を絵画の延長線上として捉えていたんでしょう。逆に言えば、ものごとを記録するメディアとして絵画を捉える感覚は、もうわれわれにはありませんよね。面白い。

展示のなかに19世紀後半のエルサレム市街を撮影した作品がありました。
解説によると、これはフランス政府がある写真家に依頼して公式に撮らせたものとのこと。それまで絵画なんかによる、ある種「ものがたり化」されたイメージを聖地に対して持っていたであろう西欧人は、この「実際」を見てどれほど衝撃を受けたことだろう…と。あるいはそもそも「実際」があることなんて認識の対象外だったということも考えられるわけで、、まさにものの見方の大転換ですよね。そしてそれからせいぜい百年ちょっとしか経っていないという驚愕の事実。

残念ながら第1部の開催は本日までです(◎_◎;)興味を持たれた方はぜひ第2部以降にも足を運んでみてください。人も少なくて快適に見られますし。…頑張れ赤字改善。

東京都写真美術館ホームページ
by Sonnenfleck | 2005-05-22 15:53 | 展覧会探検隊

アール・デコ展@東京都美術館

午後から用事があったので、昼前に東京都美術館へ。「アール・デコ展—きらめくモダンの夢—」を見てきました。

日本ではアール・ヌーヴォーに比して認知度の低いアール・デコ。この展覧会は、2003年にロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で開催された「ART DECO 1910-1939」の引っ越し展として企画されました。
入場してびっくり。人がいない(笑)。いつもキャッチい企画展で鬼のように群衆を集める都美とは思えぬこの穏やかさ。鎮座する展示物も一見渋いものばかりです。ノリで入場してしまったカップルとかおばさんとか、、いかにもつまらなそうにスタスタ歩いていっちゃう。でもモダニズム好きには堪えられない陣容です。まあ例によって広く浅くなところなきにしもあらずでしたけど、僕は満足です。

タマラ・ド・レンピッカ《電話Ⅱ》(1930年、ウォルフガング・ジュープ・コレクション)は、今回の展覧会の電車の車内広告に使われて最も目立っている作品です。きつい視線と鋭角的な肉体描写、黒光りする受話器…前回企画展のミュシャとの対比の鮮やかさは見事。
ルネ・ラリックの《ランプ「二羽の孔雀」》(c. 1925、ヴィクトリア&アルバート美術館)も美しかった。上部に据えられた孔雀はかなり精密に描写されていますが、その根本のシェード部分の理路整然とした人工的模様にはドキリとさせられる。モダンが夢見たものはなにか。そして二羽の孔雀は横から見ると真っ平ら。うーん。

ほかにもいろいろ書きたいですが、クラヲタ的には、マティスの《「ナイチンゲールの歌」の哀悼者のための衣装》(1920年、ヴィクトリア&アルバート演劇美術館/画像がないのが残念)に注目。そう、これは、1920年にバレエ・リュスによってストラヴィンスキーの《ナイチンゲールの歌》が上演された際、マティスがデザインした衣装なんですね。白地に大きな黒のくの字形模様が等間隔に並ぶ、シンプルにして大胆な様相。20世紀芸術史の断面を見た気がします。
by Sonnenfleck | 2005-05-15 01:04 | 展覧会探検隊

印象派と20世紀の巨匠たち@ブリヂストン美術館

ちょっと時間が空いたのでブリヂストン美術館の所蔵品展、印象派と20世紀の巨匠たちを見てきました。
今年1月にザオ・ウーキー展を見に行って以来。ここの常設展示は実は名品揃いなんですよねー。今回の企画展はその所蔵品をただ並べただけですが、そもそもターゲットを印象派と20世紀前半のフランス絵画に絞っているために、コンパクトながら統一感があって好感が持てます。

c0060659_16312825.jpgこのCDはアルビノーニのトリオ・ソナタ op. 1の世界初録音盤です。そのジャケットに使われてるのがモネの《黄昏、ヴェネツィア》(c. 1908、油彩、ブリヂストン美術館)。個人的にはモネの絵画のなかでも随一の色彩美を誇る作品だと思ってます。この画像だとちょっと黒ずんでますが、実物を前にすると光り輝くような圧迫感で息が詰まります。
音楽は無限の「実物」が存在し得ますが、絵画はひとつの「実物」と無数の「イメージ」…こればかりはどうか本物を見に行ってくださいねと言うしかないっす。ぜひ。

ほかにはボナールの《海岸》(1920、油彩、ブリヂストン美術館)@幸せいっぱいピンク、禍々しいまでの凶暴さを滲ませたルオーの《赤鼻のクラウン》(1925-29、油彩、寄託作品)、デュビュッフェの《暴動》(1961、油彩、ブリヂストン美術館)なんかが心に残ります。

それにしても入館時間がひどかったのか…おばさんたちがうるさいのなんの!「あたくしルノワールが大好きなんですの。(ブラックを見て)あらこの絵汚いわねえ」、、はあ?
話題の携帯ジャマーにあやかって、スノッブおばさんを散らす装置とか開発できないかしらという(笑)
by Sonnenfleck | 2005-04-22 16:32 | 展覧会探検隊

ラ・トゥール展@国立西洋美術館

金曜日、花見客で混雑する上野でジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を見てきました。
「美術館へ行くのが趣味なんです」という人でも、ラ・トゥールを知っているかというと必ずしもそうではない。1593年にパン屋の息子として生まれたラ・トゥールは、三十年戦争の戦渦に巻き込まれながらも、パリやロレーヌ地方を中心に広く名声を確立していました。1652年に没したのちは急速に忘れ去られますが、20世紀になって劇的に再発見されることになります。フェルメールに似てますね。
今回の展覧会の企画は、西洋美術館が2003年にラ・トゥールの真作《聖トマス》を購入したところにさかのぼります。ラ・トゥールの現存する真作はわずか40点あまり。《聖トマス》はその中でもごく最近発見された作品で、西洋美術館が日本の個人コレクターを経由して買い上げたものです。世界各地に散らばるラ・トゥール作品がこうして日本で一堂に会するのは恐らくこれが最初で最後でしょうね。先年のローマ彫刻展、マティス展と、西洋美術館の最近の企画の充実ぶりには驚かされます。

《聖トマス》(c.1615-20、油彩、国立西洋美術館)は十二使徒の連作のひとつ。このシリーズは大部分が失われ、今日では≪聖トマス≫のほかに数点が残るのみです。小さな目、額に深く刻まれた皺…頑迷固陋な描写に「疑り深い」トマスの逸話が透けて見えますね。衣紋の無骨さが味わい深い。
《ダイヤのエースを持ついかさま師》(c.1636-38、油彩、ルーヴル美術館)は、山手線や東京メトロの車内広告用ポスターに使われているインパクトの強い作品。漆黒の背景から浮かび上がるいかさま師たちの一瞬の動き、交錯する視線、鈍く重く光る金貨、カモにされた坊ちゃんのうぶな表情、どれをとってもあまりの見事さに言葉を失います。リンク先の画像は解像度が低いのが残念。
《聖ヨゼフの夢》(c.1640、油彩、ナント美術館)はこの展覧会の白眉。イエスの義父、聖ヨゼフが眠りこけている傍らに、天使が訪れて何事かお告げを垂れています。口を半開きにして眠る聖ヨゼフ。側に立つ天使の、人間らしさの微塵もない陶器のような顔が、なよやかにしなる指先が、蝋燭の光を受けて妖しく光ります

c0060659_1152324.jpgそれにしても入場者の少なかったこと。。長い間作品の前に突っ立って見ていられる幸せを噛みしめましたが、アートマネジメント的にはかなり気になります。この展覧会、保険料だけでもかなり行っちゃってるはずですから(^_^;)

夕方に入館しましたが、見終わって出るころになってもまだ明るい。ずいぶん日が長くなりましたねえ。
その足で上野公園を散歩して何枚か写真を撮りました。ライトアップされないギリギリの明るさでしたが、夕暮れの青空を背負った満開の桜は実にきれいであります。
by Sonnenfleck | 2005-04-10 12:06 | 展覧会探検隊