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今夜、すべてのキャバレーで

今夜、すべてのキャバレーで_c0060659_712284.jpg【DECCA/452 601-2】
<BERLIN CABARET SONGS>
●シュポリアンスキー、ホレンダー、ネルソン、ゴルトシュミット
1. だましの世界/2. セックス・アピール
3. ペーター、ペーター、戻ってきて!/4. ハイ・ソサエティーの歌
5. 女の親友同志/6. 私は妖婦/7. 青色の時
8. 脱ぎな、ペトロネラ!/9. 男どもを追い出せ!
10. 過去の男/11. …と仮定して/12. 私は誰のものなの
13. むらさきの歌/14. 男性的―女性的/15. 今日は暴虐のタメランになりたい気分
16. 小さなあこがれ/17. みんな子供にかえろう!/18. ほら男爵
⇒ウテ・レンパー(Vo)
  ジェフ・コーネン(Pf)、ロベルト・ツィーグラー/マトリックス・アンサンブル

ウテ・レンパーは、僕と僕の国境付近とをを結ぶホットラインです。
彼女のおかげでクルト・ワイルを覚え、マレーネ・ディートリヒとエディット・ピアフの一端を垣間見、そしてワイマール共和国に咲いた徒花、キャバレー・ソングに接近する。彼女の歌唱はフシダラで時に毒々しく、毛並みのいいクラシックの歌手たちが近寄らない場末の様子を擬似的に体験させてくれます(それでいて歌唱の土台はガッチリしているのが面白いところ!)
このキャバレー・ソングの一枚も、新宿の組合に未開封で転がっていたのを捕まえました。

これらのうたを聴いていると、やっぱりワイルは「クラシック」に近いのねと感じる。
主題の効果的な回帰や息の長い旋律、鮮やかな和音を自在に操るワイルの技術とは(あるいは好みとは)、たとえばミッシャ・シュポリアンスキーの佳さは異なります。魅惑の主題は出て行ったと思ったらすぐに帰ってくるし、息の短い旋律は簡単に口ずさめるし、これは元気のいい和音・これはセクシーな和音と、キャラ立ちがいかにもくっきりしている。酒を飲みながら、時には雑談のBGMにもなり得る音楽はこうでなくてはならないだろう。少なくとも、眉間に皺寄せてこの曲はこうでございますと語る音楽じゃないよね。

ただし、1曲だけ取り上げられているベルトルド・ゴルトシュミット《過去の男》は和音の展開の先行きがまったく読めず、独特の空虚感があり、非常に不安定な魅力があります。これはワイルと同じクラシック畑の強みを強く匂わせるところだねえ。

レンパー姫、来日予定はないんでしょうか?
# by Sonnenfleck | 2009-06-06 07:12 | パンケーキ(20) | Comments(4)

静かに続くミクラシック

昨年の9月末に見たときには、ヴォーカロイドにクラシックを歌わせるジャンルそのものが停滞している感が強くあって、こりゃもうチェックする必要もないかなと思ったんですよ。でも8ヶ月ぶりにニコニコ動画に潜ってみたら、新しいヴォーカロイドは発売されているし、独自の進化を遂げた作品はUPされてるし、またも活気を取り戻したみたいで。
まず皆さまの目と耳で確かめてみてください。全部ニコニコ動画でゴメンナサイ。

◆ヴォーカロイドの正統:「歌わせてみた」系

【MMD】巡音ルカでカルメン:ハバネラ【偽フランス語】

新しいヴォーカロイドは「巡音ルカ」というらしいです(笑) 英語が発音できる機能を搭載しているみたいで、それをムリヤリ駆使すると、「初音ミク」には難しかった子音の多い言語(フランス語とかね)が比較的うまくいくようです。その例がこちら。1分すぎると耳が慣れます;;

巡音ルカにC.モンテヴェルディのCor mio mentre vi miroを歌わせてみた

逆に英語機能に頼りすぎると、イタリア語やラテン語がうまくいかなくなってしまう欠点もあって、アメリカの田舎の合唱団が、初見で朝の9時に歌ったモンテヴェルディ、みたいな。

【KAITO】マタイ受難曲第57曲アリア(バス)「来たれ、甘き十字架よ」
【KAITO】 海を駆けるオーディン 【レーヴェ】
【KAIKO】 糸を紡ぐグレートヒェン 【シューベルト】

過去に発売されているヴォーカロイドを使った作品も、精緻を極めるようになってきました。この3つは選曲センスも素敵だし、ドイツ語の発音もほぼ完璧だし、個人的には殿堂入り。

【MEIKO】 原光 【マーラー】
【巡音ルカ】マーラー《復活》より第4楽章『原光』(冒頭音量注意)
【KAITO】 目覚めの太鼓(死んだ鼓手)【マーラー】
 →KAITO - Revelge (G.Mahler) Deutsch - VOCALOID(YouTube!)
【初音ミク】 マーラー: ほのかな香りを私はかいだ
【初音ミク】 マーラー: 私の歌をのぞかないで下さい
【初音ミク】 マーラー: 真夜中に
【初音ミク】 マーラー: 美しさのために愛するのなら
【初音ミク】 マーラー: 私はこの世に忘れられた

そしてなぜかマーラーが大流行。《リュッケルト歌曲集》が揃っているのには驚いた。

【鏡音レン・重音テト】ペロタン作曲「アレルヤ」【がくっぽいど】
【Vocaloidの合唱団】 主に向かいて新しき歌を 【J.S.バッハ】
タリス『40声のモテット』をがくぽ40人で合唱した

合唱系だとこのあたりが秀作。

◆ヴォーカロイドと一緒:「参加してみた」系

プーランクの「今日キリストが生まれた」をボカロと合唱(UP主:Bs)
ブラジル風バッハ第5番よりアリア(Sop:初音ミク, Vc:俺×8)(UP主:Vc)

《ブラジル風バッハ》は凄まじい労作と思われます。ぜひ聴いてみてください。

◆ヴォーカロイドの異端?:「ヴォーカロイド器楽」系

【巡音ルカ x 6】 S.S.Prokofiev Toccata Op.11
初音ミクラシック No.23 『道化師の朝の歌』
初音ミクラシック NO.27 『ヴェクサシオン』(画像が怖いので苦手な方はご注意)

最後は、「声にかなり似たもの」を使って「声」ではできないことを表現する方法であるところの「ヴォーカロイド器楽」の系統です。プロコフィエフはやや無理がありましたが(苦笑)、ラヴェルとサティは独特の雰囲気が出て面白いと思います。

+ + +

音楽美学の観点から、ヴォーカロイドによる「模倣」(あるいは「制作」)に関して考えたりすると面白いんじゃないのと思ったりしますが、思うだけで、一体この日常生活においてどの口が声に出して発信することができるのよという罠。
# by Sonnenfleck | 2009-06-04 06:30 | 広大な海 | Comments(0)

on the air:下野竜也/読売日響 第481回定演 [黛]

on the air:下野竜也/読売日響 第481回定演 [黛]_c0060659_6295071.jpg【2009年4月7日(火) サントリーホール】
●芥川也寸志:《エローラ交響曲》
●藤倉大:《アトム》(読売日響委嘱作品/世界初演)

●黛敏郎:《涅槃交響曲》
→東京混声合唱団
⇒下野竜也/読売日本交響楽団
(2009年5月31日/NHK-FM)

先週から2週連続で取り上げられている読響の定期公演。いよいよその後半部分、黛敏郎の《涅槃交響曲》です。

この曲こそライヴで体験してみたかったなあ。
まずは、第1楽章〈カンパノロジーI〉終結部でのブルックナーのような荘厳なマチエールに対する、第2楽章〈首楞厳神咒〉に現れた静けさ(これは物理的音量とは異なる!)から、仏教の感性を螺鈿細工のようにして「交響曲」に埋め込んだことによる効果のことを考えてしまう。
この場合、「地」の側が、仏教にまつわるものごとに比べると圧倒的すぎる力を持っているので、西洋音楽に精通した指揮者がこの作品を解釈することのアンフェアについても思いをいたすところであります。坊さまにも指揮をお願いしてみたらどうなるだろう?サントリーホールではなくたとえば延暦寺で?―しかし、こういったもしもトークも、結局のところ溶け合わない二者同士の独立が前提になっているわけです。そもそもがこういう作品なのだろうか。

もし第5楽章〈カンパノロジーIII〉でこの曲が終結してしまったなら、このモヤモヤした思いも確定的になってしまっていたのかもしれない。マエストロ・シモーノの特性や読響の好みを考えれば、彼らがこのアレグロ・マルカートな楽章に強い意味を感じているのはあまり疑いのないことだと思うし、事実、素晴らしくマッシヴな「西洋音楽」の演奏だもの。
そうなるとその後の第6楽章〈一心敬礼〉の存在がまったく心憎い。螺鈿細工の貝の殻も、土台となる漆器も、すべて砕けて粉々になりながら混ざり合う感覚―この楽章の奇妙な色気に、メシアンのような何かを見つけ出さないわけにはいきません。作曲者も最終的には溶け合いの方向で決着にしたんじゃないかなあ。

猿谷氏によれば、当日の会場には「若人」も多く訪れていて、演奏後の歓呼がなかなか収まらなかったとのことです(確かに拍手の冒頭、いいブラヴォが飛んでいました)。エローラの肉体賛美よりももっと奥まったところにある美のほうに、強く反応していたのかも。
# by Sonnenfleck | 2009-06-03 06:52 | on the air | Comments(2)

優等生は羽目を外さない

優等生は羽目を外さない_c0060659_6303774.jpg緑色のロゴと絶望的に合わないケミカルピンクの液体。

お茶の優等生たる伊藤園がまさかの錯乱ブチ切れ、かと思いきや、もともとハワイの子会社が1987年から発売しているロングセラー「ALOHA MAID」の逆輸入らしいです。

きっつい色彩をしているし、アメリカからの逆輸入ということで不安が募りましたが、想像をはるかに下回る(この使い方でいいのか)あっさりテイスト。炭酸も弱め、かつ甘さもかなり抑えられているのでほとんど後味を残さないし、真夏に飲んでも嫌ではないなあ。これなら。
これはサイケな見かけによらず綿密なマーケティングの産物である可能性が高く、伊藤園の生真面目遺伝子をしっかりと受け継いでいるように思うのでした。

+ + +

で、今年の夏ペプシは「しそ」らしいですな。タンタカタンかよ。ついに日和ったね。。
# by Sonnenfleck | 2009-06-02 06:31 | ジャンクなんて... | Comments(4)

沼尻竜典/日フィル 第610回東京定期演奏会:バター醤油。

仕事のお付き合いで草野球が予定されていた土曜日。
しかし関東に木金と降り注いだ雨のためにグラウンドが使えなくなって中止となり、結局いつものように草食男子室内遊戯のための週末となりました。やったね。。

沼尻竜典/日フィル 第610回東京定期演奏会:バター醤油。_c0060659_6214195.jpg【2009年5月30日(土)14:00~ サントリーホール】
●マーラー:交響曲第10番~アダージョ(全集版)
●R. シュトラウス:《アルプス交響曲》
⇒沼尻竜典/日本フィルハーモニー交響楽団


前回東京を離れて以来、なぜかずっと縁がなくて、丸三年ぶりのサントリーホールでした。あのうら寂しいサブウェイがなくなってる!日フィルを聴くのも本当に久々で、この前は、同じく沼尻のタクトで《抒情交響曲》を聴いたのが最後ではないだろうか。

さてマエストロ沼尻のこういう曲目は、まったくもって聴き逃せません。今回もまた、浪漫的陶酔感を魔術的に合成するこの指揮者の手で、(予想していた通りの)青白く燃えるような静けさが感じられる公演となったわけです。

マーラー第10のアダージョは、数ヵ月前のジンマン/N響による柔弱クリアな演奏が記憶に新しいものの、それに対してこの日の沼尻/日フィルはバター醤油とでも表現したらいいだろうか。ただの醤油ならそれこそ日本中に掃いて捨てるほどいるわけだけど(失礼)、シェフ沼尻の面白いのは、ちゃんと響きにコクがあるという点です。名フィルとのマーラーびわ湖サロメもそうだったように、19世紀末煮こごりミュージックに欠かせない響きの豪華さや濁りを、進境著しいマエストロのおかげで日本にいながら日常的に聴くことができるのは幸せです。

絶叫コラールの金管群にコクと透明感が共存していたのにはさらに驚きでしたが、残念ながらそのあとは厨房が息切れ。。総料理長の指示にコックたちがうまくついていけず、生ぬるい平凡なアーティキュレーションに終始していたということは書いておかなくちゃと思います。前々から、日フィルはこういう最後の詰めが甘いために踏ん張れないことが多いなあと思っていましたが、残念ながら数年前の認識を新たにしてしまうこととなりました。

後半は《アルプス交響曲》。あんまり生で聴く機会はない。
同様に轟音と複雑なテクスチュアに支配された「カテキョー」とは決定的に異なるアルペンの魅力、、これは最後の10分間ほどの、ほとんど宗教的と言ってもいいような静謐な時間に理由が求められます。
この日の演奏は、轟音部分にトゥッティが色めき立っていかにも楽しげな演奏になっていた一方(コバケンといいラザレフといい、たぶんこのオケはこういうのが好きなんだ)、件の10分間がほぼ文句なしに抑制され、炭が奥の方にちらちらと火を保持するような美しい音響が続きました。ここでもやっぱり金管たちの健闘が際立っていたと思う。ただそれとは逆に、1stVnは単に気合いが抜けてしまったみたいに音がスカスカになってしまい、いとも残念度高し。

プレトークでの広瀬大介氏のコメントが功を奏したか、前後半ともに静かな終わり方をする本日のプログラムにあっても、お客さんたちは拍手のタイミングにちゃんと気を配り、後味のよい終わり方でありました。土曜日午後なのに六割の入り、そしてこのタイミングで正指揮者・沼尻を手放す日フィルには、この先もいくつかの困難が立ちはだかっているようにも思いますが、頑張ってほしいものです。
# by Sonnenfleck | 2009-06-01 06:23 | 演奏会聴き語り | Comments(0)