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音楽会の感想文はこのブログの主たるメニューであるが、もう全然書けてない。溜まりに溜まってもう首が回らない。2013年分はここらでご破算としましょう。
+ + + ◆慶應義塾大学コレギウム・ムジクム合唱団・古楽アカデミー演奏会 【2013年1月5日(土) 18:30~ 慶應義塾大学・藤原洋記念ホール】 ●シュッツ:《宗教的合唱曲集》、《シンフォニア・サクラ集》より* ●ハッセ:《クレオフィーデ》序曲ニ長調 ●ヴィヴァルディ:4Vnのための協奏曲ロ短調 op.3-10 ●ムファット:《音楽の花束》第1巻より組曲第6番ホ短調 ●リュリ:《ロラン》~第4幕最終場・第5幕* ⇒佐藤望/慶應義塾大学コレギウム・ムジクム合唱団* ⇒石井明/慶應義塾大学コレギウム・ムジクム・古楽アカデミーオーケストラ 慶應の教養のいち授業として発足したコレギウム・ムジクム。その合唱団とオーケストラの初めての大規模合同演奏会。 曲数が多すぎて明らかに練習の足りていない作品もあったのだけど(3-10とか)、最後のリュリ抜粋で帳消しかと思う。驚くべきことにちゃんとリュリの舞台上演なのだった。バレエもパントマイムも、合唱もオケも、照明も字幕も手作り。バロックの演奏実践は音程より発音・フレージングが絶対条件になると考えていますが、この点ではオケも合唱も相当に訓練されていた。ただの総合大学の教養の授業で、よくここまでマニアックに仕上げたなあと素直に驚いたのだった。 ※ちなみに年末年始にはコジファントゥッテを上演してしまうみたい。行かれないのが残念。 ◆大野和士/水戸室内管弦楽団 第86回定期演奏会 【2013年1月13日(日) 18:30~ 水戸芸術館コンサートホールATM】 ●ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 op.22 ●ブリテン:《ノクターン》op.60 →西村悟(T) ●シューベルト:交響曲第6番ハ長調 D589 ⇒大野和士/水戸室内管弦楽団 大野さんのブリテンが聴いてみたくて、初の水戸遠征となった。 前半の《ノクターン》ではあの素敵なホールの親密さがぐるっと反転、寒さと孤独と夜の気配が空間を満たして、忘れられない藝術体験になってしまった。振り返ってみると10月のギルクリスト+ノリントン/N響よりさらにきめ細やかな残忍さが全体を覆っていたように思う。西村さんの声質も、バボラークのホルンも、アルトマンのティンパニも、みな冷たく光っていた。 後半、凍りついた心胆を再び温め直してくれたのが、シューベルトの第6。マエストロ大野のシューベルトはまるでロッシーニみたいに、楽しいものも、きれいなものも、美味しいものも、気持ちのいいものも、全部ぎゅうぎゅうに詰まった幸せ空間であった。第4楽章を聴いていてどんどん頬が緩んできたのを覚えている。 この夜、帰りのフレッシュひたち号でNHKスペシャルのダイオウイカを見逃したことを知る。ノクターン第2曲のクラーケンが脳裏に浮かぶ。 ◆東京春祭 ストラヴィンスキー・ザ・バレエ 【2013年4月14日(日) 15:00~ 東京文化会館】 ●《ミューズを率いるアポロ》 →パトリック・ド・バナ(振付) ⇒長岡京室内アンサンブル ●《春の祭典》 →モーリス・ベジャール(振付) ⇒ジェームズ・ジャッド/東京都交響楽団 控えめに言ってうーん…という感じ。自分はバレエ観者にはなれないかもしれないなと改めて思ってしまった。 能や歌舞伎からのエコーで今回のような振付のバレエを見ると、「ルールなんかないのサ!」というルールに縛られてるようですこぶる窮屈に感じる。びょんびょん飛んだり跳ねたりするモダン振付バレエの身体性が、能や歌舞伎ほどには納得できない。いやまったくすとんと落ちてこない。ギチギチのルールの中で身体を満開に咲かせている日本の劇作品のほうが、端的に言って好みなんであるよ。 でもそれゆえに、古典的な振付のバレエをちゃんと観なければばならない。くるみ割り人形とか。 ◆ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ+シャンゼリゼ管弦楽団来日公演@所沢 【2013年6月9日(日) 15:00~ ミューズ所沢】 <モーツァルト> ●交響曲第41番ハ長調 K551《ジュピター》 ●《レクイエム》ニ短調 K626 →スンハエ・イム(S) クリスティーナ・ハンマーストローム(A) ベンジャミン・ヒューレット(T) ヨハネス・ヴァイザー(Br) →コレギウム・ヴォカーレ・ゲント ⇒フィリップ・ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団 初めての生ヘレヴェッヘで嬉しい。 まず前半のジュピター、アンチ通奏低音な演奏実践にすごく驚いたのを覚えている。指揮者を含めて誰も(低弦やファゴットでさえ!)リズムに責任を持っていないように聴こえるんだけれど、しかし中音域にコアのあるオケは、清涼な小川のようによく横に流れてゆく…。これは実践の文法が違うだけなのだね…。いま思い出してみても特異な演奏だった。面白い。 そして後半のレクイエム。これは別次元の名演奏だったと思う。 前半、ヘレヴェッヘが何を指揮しているか自分にはよくわからない局面も多かったのですが、後半にコレギウム・ヴォカーレが入って、あれは声を最上位に置いた指揮なのだと確信。ヘレヴェッヘの両手は合唱とぴたり、、声が拍節を支配しているのだよねえ。声はヘレヴェッヘにとって旋律であり拍子であり和音なのだなあと改めて感じたのだった。 ◆沼尻竜典/東京トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ 第64回定期演奏会 【2013年6月30日(日) 15:00~ 三鷹市芸術文化センター風のホール】 ●プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調 op.25《古典》 ●ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 op.135 →黒澤麻美(S) デニス・ヴィシュニャ(Bs) ⇒沼尻竜典/東京トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ 武蔵野でひっそりと執り行われた演奏会だったけれど、実は日本のショスタコーヴィチ演奏史上、決定的な名演のひとつだったのではないかと思う。からっとドライ、喉ごし鮮烈、、からの、、深い闇。抉られる日曜の午後。指揮者もオーケストラも歌手もお客さんも、あの小さなホールごと闇に沈んだ。 今日の日本でもまだ、演奏することに価値があるように思われがちなショスタコの第14交響曲に、沼尻さんはちゃんと第5や第10と同じ「交響曲」としてメスを入れていた。演奏で精一杯、なんていう時代はもうお終いにしよう。この交響曲では比較的単調になりがちな響きの色づけ、特に弦楽器のアーティキュレーションを丹念に見直すことで、フルカラーのショスタコーヴィチが眼前に現れて、、そして第11楽章のв нааааааас!!!!!!!の絶叫とともにホール中の照明を落とした。 若くて主張のはっきりしたTMPの巧さと、彼らをキレよくドライヴしてゆく沼尻さん。前半のプロコフィエフの第1交響曲もたいへん好みで、この作品のライヴであそこまで納得がいったのは初めてだと思う(プロコの古典交響曲は極めて難しい作品だと僕は考えてる)。あちこちでぶつかり合い反応し合うフォルムによって、ホール中に色や形が散乱していた。実に気持ちよかった。 ◆ブロムシュテット/N響 第1761回定期公演 【2013年9月21日(土) 18:00~ NHKホール】 <ブラームス> ●交響曲第2番ニ長調 op.73 ●交響曲第3番ヘ長調 op.90 ⇒ヘルベルト・ブロムシュテット/NHK交響楽団 先日、Eテレのクラシック音楽館でも放送されたので、多くの方がご覧になったのではないかと思う。言葉には尽くせない稀代の名演奏だった。 前半の第2番では第2楽章の艶と照り、第4楽章の爽快な爆発が印象に残る。こういう演奏をいまでも自在に繰り出すあの老人には心から敬意を表したい。何なんだろう。すごい。 後半の第3番は第3楽章がばらっとほどけて始まったんだけれど、風で揺れる梢が、瞬間的に途方もない複雑性を獲得するような感覚を受け取った。これまでブラームスでは体感したことのない不思議なマチエール。ブロムシュテットはブルックナーでもときどきこういう「自然のような複雑性」を花開かせたりするので、今回も何らかの事故ではなくああいう設計だったと考えている。 + + + (下)に続く。 #
by Sonnenfleck
| 2013-12-28 11:50
| 演奏会聴き語り
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長い文章は書かずにいると書けなくなるなあと思った12月でした。すべての出来事や思いが140字に収まるわけがないのだ。
この11月、敬愛するヴァイオリニスト、エンリコ・ガッティが5年ぶりの来日を果たしました。まずはその初日、何とコレッリの未発表曲の世界初演という前代未聞のプログラムを聴きに行ったのであります。 + + + 【2013年11月21日(木) 19:00~ 白寿ホール】<コレッリ没後300年記念> ●アッシジのソナタ第1番ニ長調 ●アッシジのソナタ第2番イ長調 ●アッシジのソナタ第3番ニ短調 ●アッシジのソナタ第4番ハ長調 ●アッシジのソナタ第5番イ短調 ●アッシジのソナタ第6番ト長調 ●ソナタニ長調 anh.34 ●アッシジのソナタ第7番ヘ長調 ●アッシジのソナタ第8番ハ短調 ●アッシジのソナタ第9番変ロ長調 ●アッシジのソナタ第10番ト短調 ●アッシジのソナタ第11番ホ長調 ●アッシジのソナタ第12番イ長調 ●ソナタイ長調 anh.33 ●ソナタイ短調 anh.35 ○ソナタニ長調 anh.36~Allegro ○アッシジのソナタ第8番ニ長調~Allemanda (Presto) ○ソナタヘ長調 op.5-10~Preludio:Adagio ⇒エンリコ・ガッティ(Vn)+グイド・モリーニ(Cem) コレッリ農園の若い果実が、12個並んでいる。種類はすべて異なる果実。 ネットで子細は調べてもいまいちよくわからないのだけど、この12曲のVnソナタは10代後半のコレッリがボローニャで作曲し、アッシジの聖フランチェスコ教会の図書館に収蔵されていたらしい。 プログラムノートの寺西肇さんの記述をそのまま援用していくと、ガッティはこの手稿譜を注意深く校訂し、今回ようやく演奏可能な状況にこぎつけたとのこと。11月29日-30日にコレッリの生地・フジニャーノで開かれた学会で演奏される予定だったので、この11月21日の東京公演が本当の世界初演だった模様。 12個はいずれも、やがて成熟してのちの作品5に到達する道筋を示していた。旋律の運びはいかにもコレッリ好みで、平明と緊張を行き来しながら小体な世界を形成しているのであります。 ただ、技法が発展途上であるがゆえの未成熟な青臭さは、そのコレッリらしい小体な世界に少ない分量ながらも確かに混在していました。後年であればもっと自在に展開して広がるはずのメロディがすとん…と切れてしまったり、継ぎ目が不自然だったり、フレーズの形に少し無理があったり(ただ、第5番イ短調の妖しい旋律運びなどはコレッリ以前の世界をよく伝えていて、単なる若書き以上の煌めきを放っていた)。 もちろん、こうした青い苦さはコレッリの成熟の土台になっているのだろうけれども、そのことを逆に強く印象づけたのが、一緒に演奏された「作品5には入らなかったソナタ」と、アンコールで取り上げられた作品5-10なのであった。 出版されたものの、作品5の12曲には組み入れられなかった3曲のソナタ。これらはあり得たかもしれない作品5のパラレルワールドとして十分な完成度を誇り、若書きの味から苦みやえぐみだけが注意深く取り去られているのがわかる。 しかしどうだろう。作品5-10のプレリュードの完熟した味わいは…! その第一音から、黄金色の蜜が小さなホールをなみなみと満たしていく。装飾が丁寧に施された旋律線、その甘美にして健康な蜜の味わいに聴衆が息を呑む。ガッティのボウイングが余韻を完璧にコントロールして蜜が消え去ると、皆、痺れ薬から覚めたかのように震える溜息を吐いて、やがてじわじわと拍手が高まっていく。青い果実の酸味に慣れていた数十分の最後に、とどめの蜜なのであった。 なおこの日の装飾音はガッティ不滅の名盤とは少し違って、ちょっと爽やかテイストだったことを書き添えておきたい。 + + + エンリコ・ガッティは、僕がこの世の中で最も尊敬する音楽家のひとりなのですが、ついにこれまで生で体験することができずにいた。 2008年の「目白バ・ロック音楽祭」(これがもし続いていたら、首都圏の初夏はずっと薫り高いものになっていたでしょう)で来日して以来、ガッティはずっと日本には足を運んでくれなかったのだった。 初めて生で聴くガッティの音色は、もちろん録音で慣れ親しんできたとおりのフルーティな甘みを誇っていて、最初の調弦からして芳醇な香りがする。 ところがよくよく聴いていくと、そこには甘みだけではなくて、ハーブのような複雑な野性味がひとつまみ加えられているのがわかる。ボウイングの微かな加減によってこのビターな味わいが存在しているようです。 さらに、今回たいへんに驚きかつ心を揺さぶられたのは、彼の音色が燦燦と輝く太陽のような開放感を伝えてきたこと。密室の悦楽、室内の妖しい遊戯である後期バロック音楽のその入口に、燦然と輝く太陽!コレッリの音楽に「絶対的に不可欠な」強い陽光を、僕はついに聴き知ったように思う。 #
by Sonnenfleck
| 2013-12-23 09:43
| 演奏会聴き語り
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【2013年10月12日(土) 19:00~ 武蔵野市民文化会館小ホール】
●ハイドン:絶望、さすらい人、回想 ●シューベルト:ワルツ op.18-6* 林にて D738 夕べの星 D806 ミニョンに D161 君は我が憩い D776 ●ブラームス:間奏曲 op.118-2* ●モーツァルト:すみれ K476 ●ブラームス:《49のドイツ民謡集》~ かわいいあの娘は、ばらの唇 今晩は、ぼくのおりこうなかわいこちゃん 我が思いの全て 下の谷底では ●シューベルト:丘の上の若者 D702 ●モーツァルト:ロンド ヘ長調 K494* ●シューベルト:死と乙女 D531 ●ブラームス:《49のドイツ民謡集》~ かよわい娘が歩いて行った 静かな夜に ●モーツァルト:夕べの想い K523 ○イダン・レイチェル:静かな夜に ○イギリス民謡:恋人にリンゴを →アンドレアス・ショル(C-T)+タマール・ハルペリン(Pf*) 武蔵野文化会館はわが庵からぎりぎり徒歩圏内なのだが、何しろ大事な公演が平日に集中するので、真面目に会員になってチケットを押さえる気にはなりません。 それでも年に数回は、こうしてどうしても聴きたい音楽会が週末に開催されたりするので気が抜けない。八方手を尽くして、カウンターテナーのスター、アンドレアス・ショルのリサイタルに足を運びました。 + + + ショルを初めて生で聴くのにバロックではないことについて、当初、全く不満を覚えないではなかった。バッハやヘンデルで彼が聴かせる完璧な歌唱を(それから伴奏をつける活きのいいバロックアンサンブルたちを)CDで楽しんできたのだから、これは仕方がないと思う。 でもタマール・ハルペリンとの19世紀リートプログラムに、この夜、僕は打ちのめされたのだった。 まず、何を措いてもシューベルトです。 「カウンターテナーの」という形容詞を、僕たちは無意識に欲する。それは彼らが歌うリートが表層的にはソプラノやテノールのリートとは異質な様相を呈するからだけど、硬い表層に守られて蠢くシューベルトの深淵に一度到達してしまうと、「声の種類」なんていうのは実に大したことのない問題に成り下がる。むしろ、シューベルトの硬い表層は、カウンターテナーの異質性によっていとも簡単に破られる、と書くべきかもしれぬ。ある種の劇的な薬品が染みわたるように、化学反応が起こっているから。 ショルのディクションは、よく聴き慣れた彼のバッハやヘンデルとは少し違っていた。ほんのわずかに均整が崩れて、深々と絶望するような浪漫が灯る。人間らしさに声が湿る。 そのような美しいドイツ語で実践されたシューベルトは、ほんの瞬間的な違和感の直後、そのでろでろとした深淵を覗かせる。これは恐怖であった。《ミニョンに》もだし、《丘の上の若者》も。…《死と乙女》で乙女パートと死神パートを歌い分けたのは、ファンには面白くても、少し表面的な試みだったかもしれないけれど。 そしてモーツァルトのとき、声が急激に乾いてからりと明るいディクションになったのは、まさに聴き逃がせないポイントだったと言える。僕がよく知っているショルの発音実践はこちらだったからだ。 + + + ただしこの日、ショルのコンディションはどうやら万全ではなかった。第一声に僅かにスモークされたような香りがあり、こんなものかなあ年取ったのかなあと思っていたら、前半のあちこちで「…ェヘン」「…コホ」と小さな咳払いを確認。 最後のブラームスではついに歌いながら咳き込んで、一時的に演奏がストップしてしまうという珍しくも気の毒な事態に。それでもすぐさま体勢を立て直せるのはプロだなあと思う。 サイン会のときにお大事に、と声を掛けたら、深く息を吸い込むとどうしてもネ、みたいな反応だった。身体が楽器であればこんなこともあるよね。今度は万全な状態で彼の美声を楽しみたいものです。 #
by Sonnenfleck
| 2013-12-01 09:32
| 演奏会聴き語り
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【2013年10月13日(土) 14:00~ 新国立劇場】●ヴェルディ:《リゴレット》 →マルコ・ヴラトーニャ(リゴレット) エレナ・ゴルシュノヴァ(ジルダ) ウーキュン・キム(マントヴァ公爵) 妻屋秀和(スパラフチーレ) 山下牧子(マッダレーナ) 谷友博(モンテローネ伯爵) →三澤洋史/新国立劇場合唱団 →アンドレアス・クリーゲンブルク(演出) →ピエトロ・リッツォ/東京フィルハーモニー交響楽団 自分が中学生のころに読んだものの本によると「俳句を詠む作法には大きく2通りある」ということであった。ひとつは季語そのものを季語以外の言葉でもって深く説明するやり方、もうひとつは季語と季語以外の事象を衝突させて化合させるやり方。でもいずれの手法に対応するにも自分には才能がないことがわかって、それ以降は俳句の道から遠ざかった。 オペラの演出もだいたいはこの2通りのどちらかで説明がつくんじゃないかなあと思う。上述の俳句ハウツー本は続けて、季語そのものを掘り下げるほうが格段に難しいと断言していた記憶があるんだけれど、これもやっぱり演出に共通するよね。 今回の新国立劇場《リゴレット》、クリーゲンブルクの演出はおかしな異化にはそれほど頼っていなくて、作品そのものの掘り下げを狙いながらオペラの娯楽性を損なわない。 細部は雑な雰囲気もあったので全知全能の演出ではないかもしれないけど、このオペラの腐りきったストーリーの、そのなかでも特に腐乱した部分を明々と照らし出す厭な演出だった。まずはその一点突破主義において、クリーゲンブルクは賞賛されてもいい。 + + + マントヴァの宮廷から場所を移されたのは現代のラグジュアリーホテル。ラウンジをそぞろ歩く若い女性たちが形成する華やかな視界が、オペラを観る空虚な楽しさを増強する。しかし客席側に示されているのはラウンジと廊下だけで、客室の匿名性は絶対。 そんな匿名客のひとりが、ギャングのイケメン若頭・マントヴァ公爵。公爵とその手下のギャングたちは手当り次第に女性を客室に連れ込んでは痛めつけ、残虐非道のリア充生活を送っている。次の標的は道化が囲っているとされる「愛人」とのこと。 この演出で、ラグジュアリーホテルの独特の冷たい静けさは、マントヴァ公爵の人格性の薄さに直結している。彼はセックスマシーンと言うべき正確さで事を終え、すぐに次の仕事に掛かるわけだけれども、その同質感がホテルの廊下に並ぶドアたちと瓜二つなのよね。客室のつくりがどの部屋でも寸分違わないのと、マントヴァ公爵の餌食になる女性に固有名詞が不要なことは、よく似ている。 それとは反対に、人格性が強くて替えが効かないのがリゴレットやジルダ。でも残念ながら、その固有性を活かすところまでクリーゲンブルクが考えていたかどうか僕にはわからない。マントヴァ公爵と廷臣たちの「空虚で楽しい世界」がリアルすぎて、リゴレットやジルダのほうがむしろ奇矯な人物に見えてしまうんだよね。この演出ならオペラ《マントヴァ公爵》と呼ばれるべきだったかも。 + + + 主役の3人はいずれも好印象。リゴレットのヴラトーニャは立派な体格と朗々たる声で、なんで廷臣に加わって一緒に悪さをしないのかわからない。ジルダのゴルシュノヴァは比較的強靱な声質の持ち主で、役の頑迷固陋な一本気とはすかっと一致。 それからマントヴァ公爵のキムは(すでに各所で話題になったとおり)朝青龍によく似た見た目と朗らか残忍な美声の持ち主で、こちらも作品のキャラクタとしっかり合致してしまっていた。 指揮者とオーケストラには少し問題があったと思う。丁寧に硬く小さくまとまっているなあ、たぶんヴェルディをやるにはこれはよろしくないんだろうなあ、と冒頭から感じていたんだけど、この箱庭感はたとえばモーツァルトや《ペレアスとメリザンド》や《鼻》を活かす種類の感覚ではないかしら。ほかの作品で聴いてみたい。リッツォ氏。 #
by Sonnenfleck
| 2013-11-16 11:49
| 演奏会聴き語り
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内容に一部誤りがありました(ご指摘ありがとうございました)。
当該箇所については訂正・削除しました。ご迷惑をおかけした方にはお詫びします。 + + + 【2013年9月16日(月祝) 13:00~ 国立能楽堂】<国立能楽堂開場30周年記念公演> ●能「住吉詣」 悦之舞(観世流) →大槻文藏(シテ/明石の君) 梅若玄祥(ツレ/光源氏) 武田志房(ツレ/惟光) 寺澤幸祐(ツレ/侍女) 大槻裕一(ツレ/侍女) 松山隆之(立衆/従者) 土田英貴(立衆/従者) 角当直隆(立衆/従者) 川口晃平(立衆/従者) 小田切康陽(立衆/従者) 武富晶太郎(子方/童) 寺澤杏海(子方/随身) 武富春香(子方/随身) 福王和幸(ワキ/住吉の神主) 山本則孝(アイ/社人)他 →藤田六郎兵衛(笛) 曽和正博(小鼓) 國川純(大鼓) ●狂言「鶏聟」(大蔵流) →山本則俊(シテ/聟) 山本東次郎(アド/舅) 山本則重(アド/太郎冠者) 山本泰太郎(アド/教え主)他 ●能「正尊」起請文(金春流) →金春安明(シテ/土佐坊正尊) 武蔵坊弁慶(ツレ/本田光洋) 金春憲和(ツレ/源義経) 山井綱雄(ツレ/静御前) 山中一馬(ツレ/江田源三) 政木哲司(ツレ/熊井太郎) 中村昌弘(ツレ/義経郎党) 辻井八郎(ツレ/姉和光景) 本田布由樹(ツレ/正尊家来) 本田芳樹(ツレ/正尊家来) 山本則秀(アイ/召使の女)他 →松田弘之(笛) 幸正昭(小鼓) 亀井広忠(大鼓) 桜井均(太鼓) この日は台風18号が正午に関東地方最接近という最悪のコンディション。鉄道各路線が次々と運転を取りやめるなか、自分の路線は雨風にめっぽう強いためぴんぴんしており、そのまま大江戸線に潜って事なきを得た。千駄ヶ谷ルノアールで軽めのランチ(そして、千駄ヶ谷に行くたびに使ってたニューヨーカーズカフェが閉店しているのを発見!)。 国立能楽堂開場30周年記念公演は、東西の人間国宝たちが一堂に会し、能が3日間+狂言オンリーで1日=4日間が費やされる一大イベントでした。第1希望は有給休暇を取っての9/17(火)、第2希望は9/15(日)だったけど、まあそううまくもゆかない。9/16(月祝)だってそうそうは見られない巨大編成作品による番組だったのだから、これは文句は言いっこなしだ。 + + + まず、この日いちばん好かったことから書きましょう。 ◆鶏聟 吉日の婿入りで舅に挨拶しようと意気込む聟が、しかし自分はマナーを知らないので教えてほしい、と意地の悪い教え手を訪う。教え手は「これこそ当世風である」と騙して、舅に会ったら鶏がつつき合うように振る舞うのがよい、と聟に吹き込む。 そして実践してしまう聟。ところがこの狂言の真骨頂はここからで、奇怪な振る舞いの聟に相対した舅が「これに驚いては物を知らない舅と思われる…!」と考え、同じように鶏の真似をして応対するのだよね。この人間らしい悲哀。完全な真面目。 ◆やはらか狂言 舅役の人間国宝・山本東次郎さん(これまでにもどこかでお姿を見ていたかもしれない)のしなやかな身体に、この日は否応なく引き込まれた。舞台上を浮遊しているのではないかという足運び、泰然と生真面目の同居、柔らかく凛として、しかも聴き取りやすいディクション、、狂言でこんなに透き通った身体感覚を感じたことがなかった僕には、たいへんなショックなのだった。 その「やはらかな」演技は、硬質な山本則俊さんの聟の演技と互いに引き立て合って、藝術としての狂言の深淵をぱっくりと覗かせていた。でも、それでいてくすくすできるのだから、まったく狂言というのは興味深いじゃないですかー。 + + + ◆住吉詣 「源氏物語」第五十四帖「澪標」に基づく、源氏と明石の君の哀しいお話です。 住吉神社に大願を懸けて詣でる源氏の行列。たまたまそこを訪れていた元カノ・明石の君は、行列の麗々しさに気おされながら源氏にひと目会うことを望み、やがて感興を催した源氏の前でひとさし舞う。しかし源氏は留まることなく帰っていく。 ◆人物たちであって人物たちでない 「住吉詣」のコアには光源氏と明石の君がいるけれど、この能には源氏の随臣たちが大勢登場する。源氏の乳母子である惟光は多少の台詞も用意され、人物として機能しているが、それ以外の人物たちはあまりそのようには見えない。 加えてこの公演では、梅若玄祥さんの源氏も、大槻文藏さんの明石の君も、軽やかさより石像のような重厚感を帯びる。より率直に言い換えれば「抑制された人物らしさではなくて、どこまでも人物らしくなさ」を辺り一面に照射していたように感じたのだった。 ●正尊 この公演の少し前に、Eテレ「古典芸能への招待」で放送された「正尊」。頼朝からの刺客・土佐正尊と義経一行のチャンバラ劇です。 神様も亡霊も鬼も何も出てこないあの能は、能のフォームを利用する意味があるのだろうか?陰翳を欠いたドラマトゥルギーと、金春流の不思議な謡い方が精神を酔わせる。どやどやと頭数が揃って、しかし歌舞伎のような群舞の美しさもない。当分、この演目を見ることはないだろうなと思う。 + + + めでたく観能10回目を迎えまして。 あの舞台上の緊張感は、たとえば《大地の歌》の最後の3分間が80分間に引き延ばされたようなもので、およそ現実世界では味わうことができない。クラシック音楽の、弛緩した心地よさより凝縮した緊張感のほうを好む皆さんは、思い切って能に向かってみることを強くお勧めするものであります。 #
by Sonnenfleck
| 2013-11-04 21:33
| 演奏会聴き語り
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