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L'étoile de la danse

c0060659_23165292.jpg【EXTON/OVCL-00472】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ長調 op.43
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団

レコードアカデミー賞大賞!の惹句が、わりとマジで気になって購入してみたのです。日本のオケ録音に大賞が出たことについて、陰謀論者は疑い深い視線を投げかけるのかもしれないけれど、僕は純粋に興味がある。

録音で聴いてきたインバル/ウィーン響のショスタコは、僕にとっては何か、言いたいことを言い切っていないような、噛みしめても繊維質がボソボソと口に当たるような生煮えの雰囲気を感じていた。
ところがインバル/都響のショスタコは、その半端な印象をしなやかに投げ飛ばし、もってインバル流レシピの決定版たるを得てます。ほんとです。

+ + +

ここに録音されたタコ4は、他のどんな演奏にも似ていない。

この演奏は、ザミャーチンの宇宙船インテグラル号のようなディストピア的全能でもなければ、社会主義リアリズムの泥をぼとぼと飛ばすようなどん底でもない。この演奏が表現しているのは、絶望的に乾ききった新古典主義バレエ。個人的にはものすごいショックである。
インバルはこういうショスタコーヴィチがやりたかったんだなあ。それはニュートラルかつ上手で品の佳い音のするオーケストラを絶対的に必要とする。たぶんオーケストラは「機能的」みたいな服すら脱ぐことが求められて、いわんやアクの強いウィーン響では十分にインバルの意志を実現することができなかったのだろうと思う。都響は理想的な道具なんだろうなあ。納得納得。

第1楽章で聴こえてくるのはストラヴィンスキーの遠い残響。アヴァンギャルドが支配する直前、帝政最末期のストラヴィンスキーが生み出していたバレエのように、露西亜の呪術的民話を内包しつつも肌を切り裂きそうな乾いた風が吹き抜ける音楽。この交響曲をマーラーからもアヴァンギャルドからも遠ざけた演奏で聴くのはこれが初めてかもしれない。
バレエを想起させられるのは、インバルが都響に対して命じている、恣意性を排除した音色とリズム感が完璧にハマっているからだろう。
もっとも強烈だったのは、あのプレストのフーガが「優雅」だったことである。いちばんしっくり来る形容詞がよりによって「優雅」だよ?

じっとりしつこいマーラーをやらせると今では世界で一二を争うインバルだけど、マーラー成分が混入しまくってる第2楽章は意外にふわとろ系。バレエのロマンスシーンかというくらい、拍節感を維持しつつふんわりした音響で支配する。

第3楽章もやはり第1楽章と同じ傾向。苛烈な音響や粗雑なアゴーギクは退けられ、キリッと引き締まったリズムと、冷たく乾いた優雅なマチエールで音楽が展開していく。途中の木管隊による斉奏の、どこのものでもない中庸な美しさには呆然としちゃいますよ。これが無個性無個性と貶められ続けてきた日本のオーケストラの「個性」なのかもしれないな。だとしたらこんなに嬉しいことはない。

この楽章、いつもペトルーシュカの最終場・謝肉祭を彷彿とさせるんですが、インバル/都響のこの演奏に振り付けてバレエを上演したら、さぞかしクールだろうな。作りものじみててさ。
by Sonnenfleck | 2013-03-13 23:18 | パンケーキ(20)

インバル/都響<新・マーラーツィクルス>その5@東京芸術劇場(1/20)

c0060659_23334721.jpg【2013年1月20日(日) 14:00~ 東京芸術劇場】
●モーツァルト:Fl協奏曲第2番ニ長調 K314
→上野由恵(Fl)
●マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


くどくどと感想を書く気になれない音楽会。
僕はインバルの全面的信奉者じゃない。しかしインバルに率いられた今の都響が一段階ステージを上がってしまったのは間違いなかった。こういう演奏は好き嫌いの次元で語ってはいけない気がする。

都響マーラーツィクルスの5回目。僕が聴いた芸劇公演は3度演奏されるマラ5のうちの第2回目だった。
白眉は第1楽章と第2楽章。インバルは粘り気を込めつつも違和感のない(もうちょっと言うならベタな)フレージングを全面的に採用していたけれど、縦の一瞬一瞬ではまさに痺れるような音響を作り出していた。特に弦楽の内声・管楽器たちの音色に対する優れたこだわり、マーラーに必要な、切なげに甘えるような音色を実現するセンス、これに恵まれて失敗するわけがないんである。

僕は今回芸劇のRB1列、つまり舞台直上に座ったのだけど、第2楽章に顕著なユダヤっぽいメロディの瞬間のインバルは、恍惚として鼻歌を唄いながらVaやVc、Clにねっとりとした指示を出していた(ちなみにこの席は芸劇のなかでもっとも好い音がする場所と思う)。その結果として都響が啼く。その音響はである。
繰り返すけどこういうマーラーは苦手だ。でもあの響きを評価しないなんて許されない。矢部コンマスの鬼神のようなリードも忘れがたい。

アダージェットがドライだったのも違和感がない。こういうところでインバルが見せる醒めきったバランサーとしての姿は「敵ながらあっぱれ」という感じ。

むろん終演後は凄まじいブラヴォの嵐。僕の席はだいたいステージ上と同じような聞こえ方がしていたはずで、楽員さんたちの喜びと驚きの表情もよくわかる。最後はインバルの一般参賀→インバルがTp高橋首席の手を引っ張って一般参賀その2→さらに矢部コンマスまで捕まえてきて一般参賀その3、という大盛り上がりなのであった。

+ + +

この公演の前日、マーラーツィクルス後期セット券を購入した(本当は芸劇がよかったけど、諸々の事情からみなとみらい)。後期交響曲はインバルの大きくてふてぶてしい自意識をがっしりと受け止めるのだから、これを聴き逃すわけにはいかないんだよね。ただ多くの人たちがそのように考えたみたいで、1回券がほとんど発売されないかも、という回もあると聞いている。。

みなとみらいはベルティーニのマーラーをたくさん聴いた思い出のホールだけど、いつまでも彼の思い出のなかに生きるわけにはいかない。今のハイパーな都響を、きっとベルティーニもにこにこして見つめているだろう。
by Sonnenfleck | 2013-01-27 00:08 | 演奏会聴き語り

インバル/都響<新・マーラーツィクルス>その1@東京芸術劇場(9/15)

c0060659_6114552.jpg【2012年9月15日(土) 14:00~ 東京芸術劇場】
●ベートーヴェン:Pf協奏曲第2番変ロ長調 op.19
→上原彩子(Pf)
●マーラー:交響曲第1番ニ長調《巨人》
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


これまでの自分の聴体験を信じれば、インバルという指揮者には強く同意できる側面とそうでない部分があって、結果として、全面的に好きな指揮者とは言いにくい状況にある。熱狂t的なファンの方が多いのでなんだか申し訳ないのですが。。

インバルが新しく始めたマーラーツィクルスの、この日は記念すべき第一回。
都響のマーラーというと、みなとみらいホールでの故ベルティーニの姿があまりにも鮮明に思い出されてしまう。インバルに対して感じている上述のような思いもあって、少し複雑な気持ちなんである。

ベルティーニの晴朗にして波高からぬ、耽美なマーラーをこころの基準に置いていると、インバルのマーラーの、時には強引と思えるえぐみやしつこさには簡単には感心できない。そんな瞬間は確かに多かった。

でももう少し分解して聴いていくと、マーラーが飾り付けた第3楽章マルティン君テーマのなかのクレズマー要素を非常に的確に再現させているのがよくわかるし(ここでバスドラムに小さくて硬いヘッドのバチを用いて、チンドンの輪郭を際立たせる技などはさすがだ)第4楽章の爆発的な音量の中でも木管隊をけっして埋もれさせない立体感も好きなところだ。インバル、物凄い角度のベルアップを要求していましたね。そして終盤では明らかに後期交響曲の音が先取りされている。

+ + +

ところで今回、もっとも感銘を受けたのはベートーヴェンの第2楽章です。あの官能的肉感的なアダージョはいったい…。プロコフィエフの急速楽章専門家にして重火器系ピアニスト・アヤコウエハラ(第3楽章などあまりのぶっ叩きぶりに笑ってしまった)を包含してもなおあのアダルトな音楽!

とりあえず、ツィクルスその5の安席を会場で買ったのだった。
by Sonnenfleck | 2012-10-02 06:14 | 演奏会聴き語り

インバル/都響 第701回定期演奏会@サントリー(6/19)

c0060659_229059.jpg【2010年6月19日(土) 19:00~ サントリーホール】
●マーラー:交響曲第2番ハ短調 《復活》
→ノエミ・ナーデルマン(S)
  イリス・フェルミリオン(MS)
  二期会合唱団
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団



激しい蒸し暑さ。
W杯は、僕にとっては遠い国の遠い出来事。

インバルは、何度か実演を聴いても、正体が掴めない指揮者であった。全局面に渡ってクリティカルヒット!というライヴを聴いていないのも大きかった。
しかしよく考えると、これまでに聴いたインバルのライヴは、いずれもベートーヴェンだったんだよなあ。徹底解釈者・インバルにとっては、ベートーヴェンは革新的というより古典的で、彼が20世紀から後ろを振り返ってベートーヴェンを捉えているのが、あの演奏からはよくわかる。ピリオド系の人々が尊ぶ「フォルムそのものの運動性」には、たぶん彼は興味がないんだと思う。

それを踏まえた上で、マーラーは、彼の巨大な自意識や解釈したい気持ち、みたいなものが存分に充満できる大きな水槽だということが判明する。アマゾンの白くて巨大な魚が大きな水槽の中を悠々と泳ぐようにして、インバルのトップギアが入る。つまり、非常に壮絶な演奏が展開されることになる。

+ + +

特に第1楽章第3楽章後半の空気感は、忘れることができない。
時折烈しく畳み掛けるような強いテンポをメインとし、ソリッドな響きでもってそれを固めていくやり方。また同時に、インバルが歌いたい、テクスチュアが薄い箇所で急激に歩調を緩めて、とろりとして美しい「澱み」を混ぜるやり方。これは2008年にNHKで視聴した《千人の交響曲》と同じアプローチでありました。第1楽章の第2主題は効果的にポルタメントが用いられ、甘い蜜のようで胸が熱くなったよ。

ただ、この両楽章に特徴的に頻出する破裂音・炸裂音が、調理されないままと言ったらいいのか、原始的な硬い音響で処理されていたのはいささか意外であった。僕の席が打楽器に近かった(というか舞台真横)ので、打楽器の直接音によってマスクされたためかもしれないけど、もっと多層的にうごめく炸裂音を予想してたんだよね。全体を俯瞰する席で聴かれた方、いかがでしたか。

しかし、空気がこんなに張り詰めているとは。。指揮者とオケの緊張感も鋭いし、お客さんもそこから緊張が伝染して厳しく集中しているし、音の行間には空調のかすかなホワイトノイズだけが乗っている。楽章が終わったところでお客さんがふうっと息を吐き出すのがわかる。

第4楽章第5楽章のつくりはオーソドックスで予定調和的。でも感動しちゃうのがこの曲なんだよねえ。在京オケ定演では数年に一度聞かれるかどうかというクラスの、大人数&大音声のブラヴォが飛び交う。

+ + +

この公演では、都響のポテンシャルが最大限に引き出されていたことも触れておきたいなあ。
都響の管楽首席陣はみんな自律的に歌心があって素敵だし(Ob広田氏、Tp高橋氏、独唱に合わせる局面の歌心が素晴らしかったです)、弦楽もやはり、自律的にアンサンブルを形成する意気込みを強く感じる(この日はあの湿気にも関わらず弦楽陣の精度が抜群に高かったが、なかんずくVaとKbが実にクールであった)
矢部コンマスがマーラーで美音を奏するとどうしてもベルティーニのことを思い出しちゃうけど、あの時ともまた違う、第一級のマーラーが繰り広げられた。
by Sonnenfleck | 2010-06-20 22:28 | 演奏会聴き語り

インバル/都響『作曲家の肖像』Vol.76 《ベートーヴェン》@芸劇

c0060659_20121816.jpg【2010年3月14日(日) 14:00~ 東京芸術劇場】
<ベートーヴェン>
●《エグモント》序曲 op.84
●Pf協奏曲第5番変ホ長調 op.73 《皇帝》
→小菅優(Pf)
●交響曲第5番ハ短調 op.67
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


ラザレフ/日フィルから二日連荘で組んでしまったためか、はたまた週日の疲労が蓄積したためか、体調激悪。《エグモント》《皇帝》はほとんど完全に寝スルー。

初めに、残念だった点を書いておくと。
ついにライヴ体験した小菅さんは、これならばどうしてこんなにブログ界隈で評判が高いのか…と首を傾げざるを得ない大味な様子でした。大きなミスタッチ、不安定なテンポ、ドスンバタンと鍵盤を叩きつける重量感、きっと3月14日が絶不調だったのだろうとは思いたいものの。

で。運命ですよ。これ、大名演だったんじゃないですか。
昨年のエロイカで感じざるを得なかった違和感、違和感で構成された音楽、今回もそういったものを予想していたので「眠気は飛ぶけど神経が疲れるだろうなあ」という気持ちがありましたが、蓋を開けてみたら、なんということもない直裁運命だったわけだ。
今日、倍管のモダンフルオケでベートーヴェンを聴く意義は…などという辛気臭い考えもぶっ飛ぶほどのエネルギー。ところどころ「ん?」と思わせるような違和感のある仕掛け、これがほとんどなかったのが逆に新鮮。秘技・サプライズ封じによる逆サプライズ。塩とブラックペッパーだけで軽く味つけされた分厚いステーキに齧りつくような、そういう健康的ワクワク感がこの日の主役だったなあ。解釈者インバルはステーキの後ろに隠れていたよ。

それから都響はいいオケ。やっぱりこれを再認識する。
by Sonnenfleck | 2010-03-28 20:13 | 演奏会聴き語り

インバル/都響 『作曲家の肖像』 Vol.72 《ベートーヴェン》@芸劇

c0060659_6382432.jpg【2009年4月4日(土) 14:00~ 東京芸術劇場】
<ベートーヴェン>
●序曲《コリオラン》 op.62
●Pf協奏曲第2番変ロ長調 op.19
→ゲルハルト・オピッツ(Pf)
●交響曲第3番変ホ長調 op.55 《英雄》
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団


年度を跨ぐこの時期、毎朝晩に電車の中でレイボヴィッツのエロイカを聴いていたのにはわけがございます。今となってみれば何の根拠もないのは明白ですが、なんとなく、インバルのエロイカはレイボヴィッツみたいになるんじゃね?という予想があったものだから。

ところがまあ、それが大外れに外れた。

レイボヴィッツのように水で譬えると、あの録音が「設計された西洋噴水」だとしたら、今回聴いてきたインバルは「細部までマニアックに造り込まれた巨大水槽」でした。噴水と水槽で何が違うかといったら、それは<閉じているか開いているか>だろうと思う。噴水だって循環してるじゃんよ、というのは措いておくとしても、水槽の中に閉じ込められているエロイカの「水量」はそれ自体の厖大なエネルギーを外に放射することなく、ただ不機嫌そうに澱んでいる。
水槽の中には竜宮城セットや藻や田螺や、そういうこまごまとした小道具が配されて、さらに(これが重要だけど)インバルのセンスという巨大な魚が悠々と泳いでいます。インバルは自分のこだわりを生かすためにエロイカの巨大なフォームを拝借しているだけで、英雄交響楽に対して尊崇の念なんかこれっぽっちも持ってない。圧倒的解釈者!

インバルのセンスに共感できた方は、大喝采でしょう。さらにそれをオーケストラ上で実現させた手腕を評価する(造形美至上主義みたいな?)のであっても、大喝采でしょう。終演後の熱気を見ると、事実多くの方がこれを評価し、拍手を送っていたのです。
響きの肌触りはあくまでもノーブル、鞭のように気品がある。水槽の中のジオラマは完璧です。…なのに、何かがどこかが心に引っ掛かってくる。盛んに伸び縮みするテンポか、粘つくダウンボウか、普通は重ならないパッセージが微妙に重ね合わせられる木管か、もっと具体的にここなのですと言うのは僕の力では無理なのだけど、なぜか懐疑に落とし込まれる。各局面において自分の好み・自分のセンスをこんなに揺さぶられるベートーヴェンは聴いたことがないものですから。
自分は水槽を外から眺めているつもりになっているけど、インバルのセンスという巨大な魚は時折、ガラスの中からこちらを見ています。見られているのはどっちだ。

前半の《コリオラン》と第2Pf協奏曲はとても聴き応えのある、しかし普通の演奏だったので、後半のこの思いは余計に募ったわけです。ソロのオピッツも含めて。

+ + +

生で都響を聴いたのはずいぶん久しぶり。やっぱりいい音してるなあ。いいオケだなあ。
この日はお客ノイズが盛大で環境は最悪でしたが、それでもいい時間でした。

3/23のラヴェル・プロはTakuya in Tokyoさんのレヴューに、3/29のプロムナード・コンサートはまめびとの音楽手帳さんのレヴューに、なるほどそれぞれきっとそのようだろうなあという共感を覚えたので、勝手ながらリンクさせていただきました。
by Sonnenfleck | 2009-04-06 06:39 | 演奏会聴き語り

on the air:インバル/都響 《千人の交響曲》

c0060659_6335271.jpg【2008年4月30日 サントリーホール】
●マーラー:交響曲第8番変ホ長調~第1部、第2部(後半)
→澤畑恵美、大倉由紀枝、半田美和子(S)
  竹本節子、手嶋眞佐子(MS)
  福井敬(T)、河野克典(Br)、成田眞(Bs)
→晋友会合唱団、NHK東京児童合唱団
⇒エリアフ・インバル/東京都交響楽団
(2008年6月29日/NHK教育テレビ)

東京時代に最も好きだった、最も足しげく通ったオーケストラが都響だったことを、久しぶりに思い出させてくれる好演でした。

デプリーストがシェフに就任したのと同時に名古屋へ来たため、ここ数年はまったく聴く機会がなかった都響、、このコンサートはぜひ聴きに行ってみたかったんですよ。残念ながら日程も合わずチケットも早々に売り切れたためライヴは叶いませんでしたが、こうして放送してくれたNHKには感謝(稚拙なカメラワークと醜悪な番組構成にも目をつぶろう!)。

+ + +

インバルのマーラーに対しては、小骨が多くて嚥下に苦労するような印象を持っていました。細かな仕掛けの多い演奏、基本的には好きなんですが、ことマーラーに関してはそれ自体の複雑さをストレートに表現するだけで十分じゃね?というスタンスなんですよ。そのため(あえてそういう書き方をすれば)CDで聴いたインバルのマーラーが「賢しさ」を放出するのが厭で、敬して遠ざけていたと。そんな感じです。
しかし番組中でも語っていたように、インバルにとって第8番は特別の作品らしい。
確かに、盛んに口にしていたfestiveという形容詞がそのまま音になっていたんです。

まるっと放送された第1部は、まずその雄渾な流れに驚かされました。
非常に柔和な開始に「あーまたインバル節かよ」と感じたのも束の間、きりりと引き締まったテンポに乗って、太い音の筋がびゅうびゅう流れ始める。ベルティーニのやっていた音楽を思い出して思わず目頭が熱くなりましたよ。ホントに。
いっぽうテクスチュアが薄くなる箇所ではインバルらしいバランスへのこだわりが見え、同時にテンポも緩やかに情熱的になって美しい「澱み」が表出します。この澱みの中に小骨が見えてしまうのが僕の知っているインバルのマーラーだったけれども、この演奏ではあくまでとろりとした蜜状の響きで厭らしくない。なーるほどねー。

第2部は「マリア崇拝の博士」のあたりから。
福井さん始め男声陣は熱演でしたね。女声は澤畑さんと竹本さんが流石の貫禄。
さてもこの後のスケルツォ的シーンについて、インバルの手管と都響の管楽アンサンブルには大きな声で賛辞を贈りたいです。ライヴで、しかもあの快速テンポで、まっすぐ《大地の歌》に流れ込むような煌めきがしっかり表現されるとは。。凄いなあ。。
テノールの「Blicket auf...」から先、音楽がとびきり柔和な表情をしていたのが印象的です。もはや神経質に設計される心配に胸を痛める必要もなく、インバルもオケもステージにいるメンバーがみな音楽に陶酔しているのがよく伝わってまいりました。最後のとびきり下劣なフライングブラボーもこの雰囲気を壊すことはできなかった。

都響の「ニュアンスを汲み取って積極的に表現する雰囲気」は、果たしてしっかりと維持保存されていたように思いました。2004年にみなとみらいで聴いたベルティーニの《千人》と、この日のインバルの造形はやはり様々な面で異なっていたけれど、オケから湧き上がってくる真摯な響きはまったく同じ。安心した。やっぱりこのオケが好き。
by Sonnenfleck | 2008-06-30 06:37 | on the air

インバルのシュトラウスを聴いてみた

c0060659_6384065.jpgインバル/スイス・ロマンドの《英雄の生涯》が素晴らしい。
ついに理想のシュトラウスに見つけたような気がします。

まず冒頭、英雄の主題にメッサディヴォーチェ感があってとにかく驚きました。音がホールの空間に溶け込む寸前、減衰の瞬間をよく吟味して、そこからしなやかに曲線を描きながら新しいフレーズを立ち上げる…。音の鞭に打たれてるような気分です。
あるいは〈敵〉において折り重なる木管の奇怪な分裂感(「分離感」では生ぬるい)、縦方向にすっかり分解されてしまった〈戦場〉。〈業績〉→〈隠遁と完成〉の周辺は冒頭と変わらず、何本もの曲線が絡み合って心地よい滑らかさを生み出している。

基本的には鋭いテンポや冷静な表情を失わず、オケだってベルリン・フィルやウィーン・フィルではないので線はあくまで細いのです。シュトラウスのキラキラや腐臭に満ちた豊満を好まれる方にしてみれば、神経質な貧血演奏にしか聴こえないかもしれません。しかしこの目の細かさには…脱帽。。
自分が知っていたのはせいぜい256色カラーのシュトラウスだったんだなあと。インバル謹製・1680万色カラーグラデーションの威力は凄まじいものがあるようで、、ううむ。
by Sonnenfleck | 2007-03-20 06:42 | パンケーキ(19)