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先生と愉快なウィーンの面々

c0060659_6282074.jpg【CINCIN/CCCD1021】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調 op.43
⇒ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1978年4月16日/ムジークフェラインザール)

ウィーン・フィルによるショスタコーヴィチの第4交響曲は、ゲルギエフの2006年ライヴがとーっても美しい演奏だったのが記憶に新しいところですが、このライヴよりも前にウィーン・フィルで取り上げられたのは、もしかしたらこのディスクに収められたロジェヴェン先生の1978年ライヴだけなのではないかなと思います。しかしこの交響曲とウィーン・フィルとの(イメージ上での)親和しなさ、聴いてみての(イメージを覆す)親和は、あるいはゲルギエフ以上に強く感じ取られるところ。

第1楽章は(いろいろと楽しいポイントはあるにせよ)、最後のコンマスソロが歴代最高位の放埓な美しさを湛えていることを第一に書いておきます(ヒンク?ヘッツェル?)。その後のファゴットとコーラングレも猛烈に美しい。この背景で、右チャンネルにカラカラカラとガラスが触れ合うような混線があるのですが、それでも、この部分のプレイを耳にするだけでも、この録音を捜し求める価値はあると思います。
すでに後年のロジェヴェンらしくしつこくてマニアックな造形なのに、その捕縛を逃れ出てくる響きは仄暗く、そういえばショスタコーヴィチをこのように演奏する人たちはいないなあと(白々しくも)気づかされます。とてもロシアン・アヴァンギャルドには聴こえず、マーラーというよりベルクの青白い美しさを髣髴とさせる感じ。若き日のロジェヴェンも、自分の振り下ろしたタクトからこのような響きが出るとは思いもよらなかったのではないだろうか。

第2楽章はレントラー風味が思ったより薄くてエッジも立っておらず、最後のチャカポコチャカポコまでぼんやりして、軽い羽毛のような手触りが心地よいです。むしろちょっと散漫な雰囲気になっているのが新鮮。。あーオケはきっとやる気ないんだろうなーいいなあー(笑)

もっそりと始まるも途中から急に集中力を取り戻す第3楽章
ロジェストヴェンスキーがあんまりおかしなことをせず、薄い筋肉質の響きにまとめているのも大きいように思いますが、ワルツやギャロップが鳴り響く遊園地風の箇所に差し掛かって、にわかにオケのテンションが上がるのがわかります。金管コラールはブルックナーみたいで気持ちがよさそうですが、反面ヤケクソのような雰囲気もある。1978年のVPOにロジェヴェン先生のタコ4では、小さな躯体のminiに重量のあるディーゼルエンジンを積んでいるような趣きもなくはない。
ともあれ燃焼の効率は極めて高く、ネタだと思って聴き始めると痛い目に遭います。全編擬似ステレオみたいで実に聴きづらい音質なのに、それを乗り越えてくるものがあるんだなあ。カラヤンがシュターツカペレ・ドレスデンを振った第10交響曲と並んで、異種格闘技の真摯さに心打たれる一枚。
by Sonnenfleck | 2009-08-25 06:29 | パンケーキ(20)

WHO INSIDE

c0060659_620369.jpg【TELDEC/8573-81040-2】
●シュミット:《七つの封印を有する書》
→クルト・シュトライト(T/ヨハネ)
  ドロテア・レシュマン(S)、マリアナ・リポヴシェク(CA)
  ヘルベルト・リッペルト(T)、フランツ・ハヴラタ(Bs/主の声)
→ウィーン楽友協会合唱団
⇒ニコラウス・アーノンクール/
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

このオラトリオはフランツ・シュミットの決定的代表作とされるけど、その生演奏に立ち会う機会は絶無だし、録音だってあんまり多くない。ドイツ語版のヨハネの黙示録を長々とテクストに用いている点、鵺のようなその曲調、さらに独唱合唱オルガン大管弦楽を要するとくれば、その取り上げられにくさは推して知るべしというものです。

ところが、これが新日フィルの7月定期で取り上げられる。2006年の《火刑台上のジャンヌ・ダルク》を思い出すでもなく、さらにハーディングにポストを用意した件を話題に出すまでもなく、このオケの果敢さには本当に頭が下がります。
予習せなと思いアーノンクールの録音をiPodに取り込んで数ヵ月。週に数度は通勤時間に聴いていますが、わけがわからない、まではいかないものの、聴いていて甚だ全貌が掴みにくい作品であります。韻文的というより散文的で、強く自信を深めたシューマンのようでもあり、改心したマーラーのようでもあり、奥ゆかしいオネゲルのようでもある。でも「ここが獅子であそこが蛇で」という分解型の聴取は合わない作品なのかもしれないな。

アーノンクールの録音は2000年ですからコンディションは最新のはずなのですが、響きのマチエールからどこか蒼古とした冷たい重々しさを感じさすのが面白いところですよね。重力が並みの音場より強いために、打ち上げられた音符もすぐに地上に落下してしまうと。アーノンクールの振ったロマン派以降の作品はおしなべてそんな感じがしますが、こういう響きでマーラーの第8番なんかやったらすこぶる素敵だろうと妄想します(ガーシュウィンを追って新大陸に行ってしまった御大を呼び戻すのは…もう無理かもしれませんが)。
これ廃盤になってるんだな。惜しいことだ。

アルミンク/新日フィルのライヴに、いきなりこのレベルを期待するべきじゃないとは思う。
まずは作品の空気に生で触れさせてくれることに対して心からの称賛を加えつつ、その上で(前述の内容とは矛盾するけど)鵺の一部分でもいいから強烈に光るものを聴かせてくれたらなと。ちなみに本公演のヨハネ役は、このアーノンクール盤でテノールを担当しているヘルベルト・リッペルトですね。今週末、期待してますよ!

+ + +

★オットーボイレンで、マンフレート・ホーネック/バイエルン放送響による同曲のライヴを体験されたHIDAMARIさんのレポ。

響話§『七つの封印を有する書』体験[Ⅰ]
響話§『七つの封印を有する書』体験[Ⅱ]
響話§『七つの封印を有する書』体験[Ⅲ]
響話§『七つの封印を有する書』体験[Ⅳ]
by Sonnenfleck | 2009-07-07 06:21 | パンケーキ(20)

ハルニクラス―春のグラス

c0060659_6203597.jpg【DGG/437091】
●グラス:Vn協奏曲
●シュニトケ:合奏協奏曲第5番*
→ギドン・クレーメル(Vn)、ライナー・コイシュニク(Pf*)
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ
  /ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

グラスのコンチェルトは緩急緩の3楽章で書かれていて、ミニマルとネオロマンティシズムの間を悠々と漂っているような、いかにもこの作曲家らしい作品です。3月末には、これをiPodに収めて外を歩くにはまだ寒すぎるなあという日々が続いてエントリできない状態だったわけですが、ここ数日はようやく風の匂いも春らしくなって「まさしく今」であります。あとちょっと暖かくなってもダメだと思う。

これはドホナーニ先生とウィーン・フィルの作り出している音響が、あまりにも繊細を極めているというところに理由がありましょう。感覚をぎゅっと押さえ込んでいた冬から、感覚を開放する方向へ転換した春のスタート地点であれば、この繊細な音響を十分に感知できそうなのです。感覚の開放に慣れてしまったら、わざわざ外に持ち出す意味がなくなる。冷暖房の効いた暗い部屋で聴いていたらいい。
ある方たちにとっては外でのリスニングは邪道中の邪道かもしれませんが、ここでも書いたようにディレクターとしての「外」は案外新しいものを提供してくれるので、そのディレクターがやり方を変えた瞬間、そして受け手も排他性を弱めた瞬間、音楽を中心としながらも色々なものが交錯して何かが生まれる。慣れない音楽を外に、しかも季節の変わり目にあえて置いてみるという作戦は、これまで自分の中では多く功を奏しています。

第1楽章の、花の香りがふうっと漂ってくるような柔らかな音響には驚きます。これは管楽器軍団を中心としたこのオーケストラのポテンシャルによるのだろうけど、同時に放恣になりすぎない制御をドホナーニが加えているのかとも思う。そこを裂いて入ってくるクレーメルの音は苦々しい。
憂鬱なる第2楽章はまさに花曇りの音楽と言ってよいでしょう。今度はオケもソロも、湿気のこもった感傷的な音を滴らせるだけ滴らせています。展開の弱いミニマル・ミュージックの佳さはこういう達人たちによってこそ活きるよねえ。美しい。。
東風と春雷のような運動性が面白い第3楽章。響きの消し方の美しさは、マーラーやシューマンでも聴かれているドホナーニならではのもの。

+ + +

シュニトケは風貌が冷え冷えとしすぎるので、今回はノータッチとさせてください。外で聴いていてもグラスが終わったら再生を終えてしまいますから。。夏になるところでまた。。
by Sonnenfleck | 2009-04-09 06:22 | パンケーキ(20)

on the air:ムーティ/VPOのチャイ5@サントリーホール

c0060659_625373.jpg【2008年9月23日 サントリーホール】
●ロッシーニ:歌劇《セミラーミデ》序曲
●ストラヴィンスキー:《妖精の口づけ》によるディヴェルティメント
●チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 op.64
  ○ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ《マリエン・クレンゲ》 op.214
⇒リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2008年9月23日/NHK-FM生中継)

個人的には食指が動きにくいプログラムが並んだ今年のVPO来日公演。この公演がソールドアウトになったのは、祝日だからということだけじゃなく、最も安心してお金を預けられる曲目だからというのもあったんじゃないかなあ。ブル2やロータを想像するのはかなり難易度高いけど、これなら何となく横綱相撲っぽくないスか…という心理で。

で、どうでしょう実際のところ。
《セミラーミデ》序曲は軽ーく腕ならし。。強奏で音に混濁が少ないってのは最近はだいぶん常識的なスペックになってきてるけど、VPOの場合は夾雑物が極めて絶妙なバランスで混じっているのが面白いですよね。それでいてきれいな音だなあ…と心から思わせるのがこのオケの凄味だよなあ。自分にはその「夾雑物」が何であるか言い当てることができないし、VPOを心から愛しておられる方からしたらバカタレ!と言われても仕方がないですが。
ムーティが仕掛けるロッシーニ・クレシェンドは、糊がぱりっと効いていて爽快です。
最後の見得の切り方だけ「ドガガン!」とゴツいのもムーティ風。

ストラヴィンスキー・マラソンの途中で《妖精の口づけ》を聴いたときはなんと保守的な肌触りの曲だと思ったんだけども、このプログラムの中ではずいぶん革新的に聴こえます。
ただチャイコフスキー・インスパイヤの作品だし、もともと挑発的な棘はほとんど生えていません。品質のいいホイップクリームのようになめらかでふんわりした響きが支配的だったように思いますね。この作品がいちばん気持ちよかったなあ。

チャイコフスキーの第5交響曲
歩みはどっしりがっちりしているし、アクセントの癖が強いために目鼻立ちはかなりくっきりしている。しかしまずもって響きが明るい。中音域から高音域にかけてが極めてブリリアントな発色であり、低音域はフォルムづくりの材料だわ、と割り切るくらいのバランスにするとこういう感じになるのかな。暗くて黴臭いチャイコフスキーとは一線を画しますね。
ところどころ、ぐわあぁぁぁっと熱烈なテヌート+レガートが巻き起こる場面がありますが(あれほどオトコっぽい、膏っぽい、ツンデレオヤジっぽい第2楽章は今や少数派)、これはムーティらしい強引なドライヴをオケが愛して理解している、幸福な状況でありましょう。

や、実はiioさん「魔神」という表現が、こんなチャイコフスキーを作り上げている今のムーティにはどうしようもなくよく似合うということを、一言申し上げておきたし。
by Sonnenfleck | 2008-09-24 06:28 | on the air

on the air:ハーディング/VPO 《大地の歌》

c0060659_6284830.jpg【2007年10月21日 ウィーン コンツェルトハウス大ホール】
●シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200
●マーラー:《大地の歌》
→ミシェル・デ・ヤング(A)、ブルクハルト・フリッツ(T)
⇒ダニエル・ハーディング
  /ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2008年8月11日/NHK-FM)

すでにウェブラジオでは何度か出くわしたプログラム。
謎すぎる(そしてしつこい)高校野球の中継で音楽番組がごっそり潰れてしまったNHK-FMの、何とかかんとか生き残っているベスクラでチェック。

《大地の歌》を聴くと東急大井町線の下神明から大井町にかけての眺めが浮ぶので、しかも季節は晩秋だったりするので(超個人的告白)、灼熱の名古屋には全っ然合いません。
まあいいや。
はっきり言って、あっちこっちにぴょんぴょん飛び出した放恣な演奏だと思いました。なのにこの美しさ。ずるい。オケのポテンシャルがずるい。てんでまとまろうとしないのに、個々のプレイヤーの音が強烈に美しいので、偶然に形成された豪奢な厚みに騙される。
第1楽章の冒頭で幾層にもわたる縦構造を作っていたのでハーディングにはギョッとさせられましたが、一方でこの放恣な姿も全部彼の計算だったりするのでしょうか?ますますハーディングが見えない。暑さでますますテキトーになる文章に乗ってしまえば、「騙されてもいいや美しいもの」という感じなんですけどねえ。

オケの公式サイトを見るとこの日はアンゲリカ・キルヒシュラーガーがソリストだったようなんだけど、なぜか歌っているのはミシェル・デ・ヤング。代役だろうか。NHK-FMの節約された女声ではそのことまでは教えてくれなかった。
ヤングは歌い口こそ侘び寂びなのに、声質がセクシーです。このギャップに打ちのめされて、第4楽章第6楽章はぼんやりとしてしまいました。特に前者の楽章は少年と馬のくだりの早口が煩わしくて、いいなあと思ったことはこれまでそんなになかったんだけど、ここでのヤングはディクションも素晴らしくって、あちらにこちらに跳ねまくっているオケの面々によるプレイと合わさってなかなかの響き。
さて後者の楽章は最後の数分間がずいぶん明るくて素直で、楽しくなってしまう。遊んで跳ねまくって疲れたプレイヤーたちがこの最後の数分間に集中する…と考えたハーディングの策略に嵌ったかも。永遠に永遠に明るくったっていいじゃない。。
by Sonnenfleck | 2008-08-13 06:30 | on the air

シト変容

c0060659_75168.jpg【DECCA/POCL-1218】
<R. シュトラウス>
●交響詩《ドン・ファン》 op.20
●《メタモルフォーゼン》
●交響詩《死と変容》 op.24
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

「ヱの字<序>」のDVDが出たみたいで、ちょっと興味があります。まあいいけど。

さて、こつこつ蒐集中のドホナーニ。オケの美感が厳しく要求されるシュトラウス作品集が、上前津のサウンド・ベイ・リパブリックに転がっていました。まだ店頭にあるんだなあ。ヤフオクではそんなに珍しい出物でもないようだけど、実物を探し当てる楽しみは大きい。
1989年の録音ということは、D先生とVPOの関係がフツーであった最後の頃でしょうか。
shuさんtakさんも軒並み高評価を与えておられる演奏なので、固唾を呑んでPLAYボタンを押してみましたが、、なるほどねえ、、こりゃーいいわー。

《死と変容》に大推薦マーク。
冒頭の苦々しく切ない後悔が心にしみます。ドホナーニは音が拡大しすぎないようにきつく手綱を締めていますが、それでもクリーヴランド管に比べると奏者自身の裁量に任されている領域が広いみたいで、VPOの甘い香りがあちこちから立ち昇っている。「甘苦さ」こそ音楽が表現しうる最高の感情のひとつでは?
ティンパニの一撃で主部に突入してからは、例によって流線型のフォルムでもって音楽が後ろにビューンと飛び去っていきます。ただしこの演奏で興味深いのは、(録音コンディションのせいかもしれないが)いつものドホナーニではあまり聴かれない響きの混濁があるというところ。特に最初の「変容」の主題近辺で顕著なのだけど、これはこれで味わいがある。VPOからの要求が想像されますね。
2回目のティンパニアタックの直後、ほろほろほろっ...と音符が抜けていく瞬間が絶美であり、総括するようにゆったりしたテンポで「変容」の主題が現れるところでは、涙腺が刺激されて困ります。響きを美しく抜いていくテクニックは、ドホナーニの必殺技!

《ドン・ファン》はちょっと引き締めすぎかなあ。
一方で《メタモルフォーゼン》は予想外に透明を極めていて驚きました。やけに明るい響きをしているのが物凄く効果的。ラヴェルみたいに聴こえる。
by Sonnenfleck | 2008-05-13 07:06 | パンケーキ(20)

on the air:ハーディング/VPOのマラ10

ハーディング。しょっちゅう東京に来ているようなので、関東の皆さんにはそろそろお馴染みなんですかね。CDもライヴもほとんど聴いたことがない僕には、まだまだ未知の指揮者であると言えます。今度DGからマーラーの第10交響曲をリリースしたようで…。
比べてみようエアチェック。

c0060659_8445286.jpg【2004年12月19日 ウィーン・ムジークフェライン大ホール】
●マーラー/クック:交響曲第10番嬰ヘ長調
⇒ダニエル・ハーディング/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2004年12月19日/NHK-FM)

なぜか2004年はVPOの定期演奏会がNHK-FMで生中継されてて、この演奏も80分のMDに収まるかどうかハラハラしながら聴いていたような記憶があります(確か)。海賊盤も出てますね。
この演奏会はハーディングのウィーン・デビューだったように思いますが、3年後に両者がこの曲の録音セッションを組むことについては、この時点ですでに決定事項だったのでしょうか。

マーラーの第10番って夜にヘッドホンで聴くにはちょっと怖いので、そのスタイルがノーマルな聴取方法である僕にとっては、この曲はあまり馴染みがないのです。
極彩色の曼荼羅のような眺めで、つまり要素の一つ一つに秩序があって意味があるのだろうけど、深く潜り込まねば内容の理解は難しい。でもハーディングがウィーン・フィルに求めているのはグロテスクさではなく、たぶん甘くて優しい歌心なので、どうせよくわからんのだったらそこに耽溺するだけでいいのかなーとも思う。

とすれば、第1楽章の金管絶叫コラールや、第5楽章のクラスターみたいなパッセージ、こういったコワモテ部分でも柔らかく聴かせてくれるこの演奏に、じっくりと身を任せてみるのも悪くないかもしれません。フィナーレの終結への足取りは十分に感動的です。
真ん中の第3楽章には先祖返りしたような「愛らしさ」が充満しているので聴きやすいし、おそらくウィーン・フィルとしても演奏至難ではないのだろう。こういうテクスチュアならすでに手の内に入ってるゼ!という雰囲気。
いかにもリズムが難しそうな第2楽章第4楽章はアンサンブルがざわついていて、今度のセッション録音に期待してしまうところ。それでも前者のトリオ部分と終結部はさすがの美しさ!

「ゲンダイオンガク」ゆえに拍手が不機嫌そうなのも、VPO定期ならでは、でしょう。
by Sonnenfleck | 2008-03-22 08:53 | on the air

僕は視る人形

c0060659_636063.jpg【DECCA/476 2686】
●ストラヴィンスキー:《ペトルーシュカ》
●バルトーク:《中国の不思議な役人》
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/
  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

うーむ。またドホナーニ。
「推薦」連発してるレコ芸のセンセイみたいな気分。

ですが、ドホナーニはここでもずいぶんと素晴らしい仕事をしているので、またしても「いい!」と言わせていただきます。仕方ないですわ。

この2曲が録音されたのは1977年の12月でありまして。
ヒストリカルをほとんど聴かず、クラにまつわる「脳内補正神話」みたいなものが好きでない僕としても、こんな響きを証拠として提出されたら、ウィーン・フィルがこの時期にあってもその独特の響きを維持していたらしいことを認めないわけにはいきません。木管のソロからトゥッティの爆発に至るまで、どこもかしこもこってりとした美音。
そんな状況で、今の彼のやり方にまっすぐ通じるような、恐ろしく精密で非人間的なリズムや縦の構造を実現してしまったことで、若き日のD先生はきっと団員から蛇蝎のごとく嫌われたことでしょう。これはさぞ激しいリハが繰り返されたのだろうと勘繰りたくもなります。

基本的なテンポ設定は速くはありません。速くないけど、響きが消えていくところにやはり気を遣っているようなので、もたれたりはしない。
美しい響きが充満している中で、特に第3部と第4部の充実には目を見張ります。前者ではムーア人とバレリーナが一緒に踊る場面がまさに「痛ましく」演奏されていて、ため息が出ますね。見せ付けられる者は、空しく苛立ちつつ美に見蕩れるという屈折した感情を持つわけで。この曲がった愛と痛ましさはまさしくミシマの世界。
で、そんな密室などなかったかのように、華やかな謝肉祭が第4部で描写されます。
〈熊を連れた農民〉から〈商人と二人のジプシー娘〉にかけての30秒間、目も眩むような響きが構築されてます。どこか一箇所聴いてほしいとしたら、ここ。

せっかく豪ユニバーサルが覆刻してくれたのに、たぶんすでに廃盤。
入手は困難ですが、探す価値大有りです。あ、もちろん《マンダリン》も色気のある演奏。
by Sonnenfleck | 2008-03-07 06:39 | パンケーキ(20)

ネパールから来た海賊(その三)

c0060659_754345.jpg【KARNA MUSIK/KA-277M】
●モーツァルト:交響曲第32番ト長調 K318
●同:Fl協奏曲第1番ト長調 K313
→ヴォルフガング・シュルツ(Fl)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒ベルナルド・ハイティンク/ウィーン・フィル
(2006年6月14日/シャンゼリゼ劇場)

ネパールから来た海賊(その一)で扱ったハイティンク/VPOのタコ10は2006年6月8日のウィーン・ライヴでしたが、今回取り上げるのは1週間後の6月14日、パリ・ライヴの模様です。たった1週間の日付違いでも買い逃せないのがタコ10マニアの宿命。観賞用・保管用・布教用の3点買いをやらかすヲタク保守本流の方たちと大して違わんなあ(苦笑)

今回も先にショスタコーヴィチから書きましょう。
これまでハイティンク×ショスタコのベストフォームは、

□ コンセルトヘボウとの第13番(1986年スタジオ録音)
□ シュターツカペレ・ドレスデンとの第8番(2004年ライヴ)

であることよのうと思ってまいりましたが、このウィーン・フィルとの第10番(2006年ライヴ海賊盤)は、その殿堂に加わってしかるべき演奏であるように、最初は思われました。

基本的なスタイルはウィーン・ライヴとほっっとんど変わらないのですが、ウィーン・ライヴを聴いて気になった第3・第4楽章の「唐突さ」について基本的にはかなり改善しているといいますか、ハイティンクの要求する彼のスタイルに関してオケの側からの理解が得られたような感じ。しかもVPOはそれを理解し実行した上で、さらに持ち前の甘く切ない滑らかさを出し惜しみすることなく放出してくれてるんですね。そうしたらもう完璧じゃないですかー。いやーウィーン・ライヴはパリに向けた公開ゲネプロだったのか、それともソトヅラがいいだけなのか…。

前回やらかしてくれた第1楽章第2主題のFlも今度はミスをやらかさず、安心してたんですよ。
ところが!
第3楽章では悲劇の携帯着メロ乱入。こればっかりは仕方がないとはいえ。
今度は第4楽章の序奏で、ファゴットが運指ミス?により奇怪な装飾音を挿入してしまって派手にズッコケ。そのあと第4楽章は全体的に縦の線がどうにも噛み合わない。惜しすぎる。。ミスばっかり取り上げてケツの穴が小せえなあとお思いかもしれませんが、ヲタ的個人的な好みからすると、ライヴの熱気に加えて瑕のない美しさをやっぱり望んでしまうわけで。第1楽章から経過してきた演奏全体のよさでカバーできるレベルを超えてるのです。
最後はさすがの貫禄で立ち直り、堂々完走してくれましたが、もうちょっとムラっ気を無くしてくれたら、本当に文句のつけようがない演奏だったと思う。うーむ。

+ + +

前半のモーツァルト・プログラムはウィーン・ライヴのときと微妙に変わっておりまして、協奏曲がブレンデルのPf第27番からシュルツのFl第1番に差し替え。
交響曲第32番は単一楽章の序曲スタイルですが、こういうのをやらせると本当に横綱相撲ですわなあ。どこかのパートを引き上げて輪郭とするのではなく、幕の内弁当のようにすべての形をありのままに提示して充実させる温かい響きはハイティンクならでは。VPOも古典派をやれるときは実に嬉しそうで、音が浮ついている。
Fl協奏曲第1番はシュルツの美音もさることながら、趣味のいい上品な伴奏に心惹かれます。いくらピリオド贔屓でも、こんなに柔らかい音を20分以上(交響曲も含めれば30分近く)聴かされると、評価軸がグラつきます。いいなーモダンもいいなー。。
by Sonnenfleck | 2007-09-11 07:17 | パンケーキ(20)

ネパールから来た海賊(その一)

最近海賊盤の話題が多いですね。。闇夜に気をつけるなりしたほうがよいでしょうか(笑)
2005年くらいからアリアCDのサイトで見かけるようになったネパール(!…リマスタリングはドイツらしいけど)の海賊レーベル「KARNA MUSIK」。この4月に活動終了との告知がありまして、慌てて必要な2アイテムをオーダーしました。
今回はそのうちの1つ、ハイティンク/VPOのライヴについて。

c0060659_630199.jpg【KARNA MUSIK/KA-261M】
●モーツァルト:交響曲第32番ト長調 K318
●同:Pf協奏曲第27番変ロ長調 K595
→アルフレート・ブレンデル(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒ハイティンク/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2006年6月8日/ムジークフェライン大ホール)

タコ10コレクターのプライドをくすぐる「ウィーンのタコ10」。これ以外ですと2001年にロストロポーヴィチが振った演奏しか知りません。
ハイティンク指揮のものとしては3種類めの第10ですが(1枚目は77年のロンドン・フィル、2枚目は85年のコンセルトヘボウ)、このウィーン・フィル盤、ちょっと不思議な演奏です。。

第1楽章冒頭の悲劇的な響きが、チャイコフスキーのように甘く切なく滑らかに流れ出す。ソヴィエト時代のささくれ立った録音がデフォルトで設定されている耳には…明らかに異質に聴こえるんですが、ここの弦楽合奏は有無を言わせない美しさであります。こんな音を出すウィーン・フィルも恐ろしいけど、これを引き出すハイティンクの手腕にも唖然とする。
ここで第2主題のFlソロがおしまいのほうで致命的に音を外してしまうんですが、(そのためか)展開部に至るまで緊張感は持続して、弦のユニゾンとスネアの後ろでひらひらと木管群が飛び回る様子が大変美しい。この作品の「声を上げて絶叫」ではない箇所について、多くの演奏は音を無機質に、硬くすることで対応しているんですが(それがどこまでオケ全体で徹底されているかによって成功する/しないが決まっているようです)、ここではまったく逆のアプローチで、不思議と退廃的な雰囲気に持ち込むことに成功してるんですね。面白い。

第2楽章の速いテンポはこれまでどおり。ハイティンクがムラヴィンスキー寄りの解釈を示しているという点で興味深いのですが、この楽章の醍醐味である木管の奇怪なユニゾンの存在感がLPOよりもACOよりも格段に上で…さすがVPO。。しかし第1楽章の様子からもっと円やかな演奏が予想されていましたが、意外に残忍な追い込みが効いていて濃い口。

第3楽章の造形は極めてオーソドックス。エリミーラ主題のHrが静かで美しいのはいかにもですが、中間部のドンチャン騒ぎがどうにもマジメで…ここだけはちょっと物足りないかなあ。。そしてDSCH主題が滑らかなレガートによって紡ぎ出される様子は違和感アリアリ(苦笑)

第4楽章はふわふわと唐突に始まってしまい、ここもちょっとおかしな印象を受けます。第1楽章の柔らかさは巧まざる気まぐれの成果なのか?ハイティンクの旧録音はもう少し充実してたぞ。。
アレグロには快速テンポで突入しますが、ここはハイティンクのペース。これまでの彼の録音と同じスタンスで、あくまで腰軽に醜く薄くやるんですねー。おかげで今度はウィーン・フィルがいきり立ってドンチャン騒ぐ様子が垣間見えるのです。マジメな上司が無理して騒いでるみたいでちょっと気恥ずかしいのですけど、それでもコーダはR.シュトラウスのように光り輝いていて風格があり…何と言ったらいいのか…オケがショスタコの語法と別の立ち位置にいることによって出来上がった不思議な演奏。

+ + +

そして実は前半のモーツァルト2曲が超絶名演なのでした。ブレンデル久しぶり。。
by Sonnenfleck | 2007-07-03 06:39 | パンケーキ(20)