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コレッリなんてしらない。

このまえ、ダントーネ/アカデミア・ビザンティナの演奏で、コレッリのop.6-2と6-4を聴いたんです。NHK-FMで。2010年、ドイツのハレでのライヴでした。

気持ちが悪かった。
趣味の悪い夜の蛾のような音楽。
あれほど無残に、品のない装飾をたくさんぶら下げて。白木でできた拍の枠はぼろぼろに蹴破られ、引き攣ったコンチェルティーノのご機嫌を伺うリピエーノ。かつてビオンディもかなり自由に振舞っていたけれども、少なくとも、彼らは音楽の自然な流れを堰き止めることはしていない。コレッリの成立要件が、たとえばヴィヴァルディとはずいぶん違うということがよくわかる結果だった。

僕は、コレッリのop.6に新しい像を示すのはたぶんダントーネだと思っていた。op.6の12曲を心のふるさととする人間として、それなり以上の期待をしていた。
ともかくも新しいコレッリだった。それをコレッリと認識することができれば。

+ + +

c0060659_22123420.jpg【PHILIPS/UCCP3050-1】
●コレッリ:合奏協奏曲集 op.6
⇒イ・ムジチ合奏団
  フェデリコ・アゴスティーニ(Vn)
  クラウディオ・ブッカレッラ(Vn)
  フランチェスコ・ストラーノ(Vc)
  マリア・テレサ・ガラッティ(Cem)
  ペーター・ソロモン(Og)

イ・ムジチの録音をずいぶん久々に聴いてみて、もしかしたら、自分の理想像が限りなくこれに近いのではないか、という(ある種の)恐怖に襲われている。

コンチェルティーノの装飾はほぼまったく存在しない(なんということでしょう!)。通奏低音のリアライゼーションは後ろのほうのダ・カメラになるとほんの少し浮き上がるけど、そんなもんです。もちろん弦楽器はバリバリのモダン奏法で、当たり前だけどピッチは高いし、合奏人数が多くて響きも肉厚。ところが、たっぷりと汁気を含んだがんもどきにかぶりつくようなこの幸福感はなんだろう。

彼らの足回りは決して鈍くない。1991年に、モダン楽器であえて全曲録音している意味は確かにあるっていうことだよな。
ここでは秘密も何もなくて、拍をそのまま丁寧になぞっているだけだと思うんだけど、この作品集はもうそれでよく、特に味つけは必要ないといえよう、とか言っちゃいたくなる完成度の高さ。

+ + +

僕はだいたい、新しいもの、面白いものが好きで、派手にお化粧するスタイルに拒否を感じたことはこれまでになかったのですが、このたびのダントーネ一派のコレッリは、ちょっとそれ違うだろ、と思うのです。声楽に由来するタイプの伸縮、それにともなうスリルの追及は、コレッリには全然合わないんだよ。コレッリがオペラを遺していないというのは、僕らが思っている以上に重い事実なんじゃないかな。

さて、今日もアンサンブル415を聴くしかないんだろか。
by Sonnenfleck | 2011-04-21 22:16 | パンケーキ(18)

punt on a stream

c0060659_636939.jpg【ONYX/4020】
<バッハ>
●Vn+Cemソナタ全曲 BWV1014-1019
●Vnと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021 *
●トリオ・ソナタ ハ長調 BWV529 *
⇒ヴィクトリア・ムローヴァ(Vn)
  オッターヴィオ・ダントーネ(Cem/Org*)
  ヴィットーリオ・ギエルミ(Gam*)、ルカ・ピアンカ(Lt*)

そうは言ってもバッハから逃れるのは難しい。

協奏曲集がとてもよかったダントーネの、今度はムローヴァと組んだVnソナタ集です。この曲集が異様に好きな自分としては、大いに気になっていました。で、今のところの自分の横綱はカルミニョーラ+マルコンなんですけど、しかしこちらの組も初土俵から一気に大関まで駆け上がってきてしまった。かなり素敵な演奏だ。

そもそも、協奏曲のときにダントーネに対して感じたピリオドの新古典主義というのはやっぱりこの曲集でも活きていて、ダントーネはほとんど現実感を感じさせないほどに清潔なアーティキュレーションを展開しているのです(これに比べたらポッジャー+ピノックだって作為を感じさせてしまう)。僕の愛する第2番イ長調 BWV1015の急速楽章が、晴れ上がった真夏の朝にペリエを一気飲みするような、そういったタイプの快感を提供するところまで行っています。装飾も揺らぎもちゃんとあるのに、、なんでこんなに真っ直ぐで爽快なのさ?え?
それでいて少しも量感が不足していない点には驚きで、たとえば第1番ロ短調 BWV1014の第4楽章冒頭の、空気を弾き飛ばすような爆発的なタッチに萌え。

ヴァイオリニストにも触れなくちゃならない。しかしムローヴァとダントーネの音楽的志向がこんなにぴったり合っているとはなあ。。チャイコフスキーなんかを弾いてたころのムローヴァしか知らずにいるのはもったいないですよ。
浪漫的にやればいくらでも崩れる第4番ハ短調 BWV1017の第1楽章では、瑞々しくも一本芯の通ったなだらかな植物のように旋律線を仕立て上げ、それに随行するダントーネのデジタル気味な清潔タッチとともに、非常に完成度の高い一個の箱庭を作り上げています。一体ここにどんなスケールの大きさが必要だろうか?ここに閉じ篭もれば?

この、気品に溢れた植物のような音響体に、僕はフランチェスカッティ+カサドシュの演奏を思い出す。時間の流れを気にも留めない演奏が共通して持っている何かが、やっぱりここにもあるように思います。
by Sonnenfleck | 2009-05-20 06:37 | パンケーキ(18)

土に根を下ろして生きる。

c0060659_6311545.jpg【L'OISEAU-LYRE/4759355】
<バッハ>
●チェンバロ協奏曲第2番ホ長調 BWV1053
●チェンバロ協奏曲第4番イ長調 BWV1055
●チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調 BWV1056
●チェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052
⇒オッターヴィオ・ダントーネ/アカデミア・ビザンティナ

kimataさん大絶賛の一枚。買ってみたのです。

バッハの協奏曲中、ここには書けないような個人的な思い入れもあって1055を猛烈に愛する(鼻の奥がツンとするくらい好きな)ワタクシとしては、まずはトラック4から。
…おいおい。通奏低音の安定感が物凄いぞ。
こういうバッハって長らく聴いてなかったなあ…。
曲調の要請による揺らぎは絶妙なバランスで配合されてます。ミュンヒンガーやリヒターではないですからね。でもこのように横方向の進みゆきが完璧に安定していて、曲芸的なところがまったくなく、人の歩行を想起させるような演奏が、オワゾリールから登場したっていうのが面白い。MAKあたりから始まったのがピリオドの浪漫主義だとしたら、ダントーネがここでやり始めているのはピリオドの新古典主義? いいなあ気持ちいいなあ。

第1楽章はこの傾向が最も強い。ダントーネはソロではあるけども自分のアンサンブルを丁寧に統率することも同時に考えているようで、ソロかつ通奏低音みたいな趣き。こういうのが久しぶりで逆に新鮮。。冒頭からCbとVcが本当にいい仕事をしている。
やはり第2楽章でもVnのボウイングに神経を尖らせていて、浪漫的に歌い崩しやすいこのメランコリックなメロディに枠をつけて確りと支えさせているわけです。「タ~ラ~↓タ~ラ~↓」ではだらしないが、「タ~ラ~↓タッター↓」で応答すれば清々しい。
そして第3楽章。新古典主義の「新」たる所以は、その直前の段階を経験し成果を吸収しているところにあるわけです。ここでは横方向はがっしり安定しながらも、花が方々で咲き乱れているような装飾が散りばめられてとても美しい。結末でトゥッティが下から掬い上げる華やかな装飾を付けていて、、かなりグッとくる。

あと。録音のコンディションが凄まじいレベルだという点も書いておかねばでしょう。
この演奏、1パート1人なんだけど、各楽器の個性が最大限に発揮される形で音が記録されていて、たった5人のトゥッティとは思えないくらい厚みのある響きになっているんです。
チェンバロの仕様については記載がないけど、角の取れた丸い音のする個体で、それがトゥッティと溶け合っている様子を聴いていると「単純に」気持ちがいい。
第2楽章のおしまいで、最後の残響とともに鳥のさえずりが捉えられている。遊び心。

+ + +

1055だけでひとくさり書いちまいましたが、他のナンバーだって素敵なのです。
南国の夜のように甘く暑く揺らいでいる1056のラルゴからは、チェンバロだって撥弦楽器だよねっていうことを強く思い出させますね。結尾で夜の大気が急に流れ込むような通奏低音の捌き方には、非凡なセンスを感じる。
by Sonnenfleck | 2008-09-18 06:48 | パンケーキ(18)