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ハーディング/新日フィル 第502回定期演奏会@すみだ(12/8)

c0060659_5364650.jpg【2012年12月8日(土) 14:00~ すみだトリフォニーホール】
<ショスタコーヴィチ>
●Vn協奏曲第1番イ短調 op.77
 ○パガニーニ:《うつろな心》による変奏曲 op.38
→崔文洙(Vn)
●交響曲第10番ホ短調 op.93
⇒ダニエル・ハーディング/
 新日本フィルハーモニー交響楽団


この日のハーディングのショスタコーヴィチは、会場に大勢つめかけていたタコヲタ諸氏のカタルシス希求を(たぶん)完全に裏切った。のと同時に、ショスタコーヴィチの音楽をもう一段階上に引き上げようというロケットエンジンの火花を、強く強く意識させる快演でもあった。

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そもそもハーディングと新日フィルの共同作業は、指揮者がオケの美点を必要十分に評価するところからスタートしているように思っている。
新日フィルはたいへん器用なオケではあるが、僕はいまだに彼らの演奏からマッシヴな充実を感じたことはない。それは彼らの個性だ。ハーディングはこの個性を十分に活かすことを大前提に、このショスタコーヴィチを構成したんじゃないかな。

ショスタコーヴィチを、量感と、響きがみっちり詰まった重さで捉える向きからすれば、きっとハーディングの音楽づくりは耐えがたかろうと思う。あるいはショスタコ自身ですら「オレは(この時期には!)こんな音楽を生み落としたのではない」と憤るかもしれない。
以前フェドセーエフのときに書いた「ショスタコーヴィチの中期様式」をハーディングはあえて完全に無視している。その結果、あたかも大人が幼時の夢を見るかのように、ショスタコーヴィチのなかに結晶化して眠っているアヴァンギャルドの毒が、じわりと表層に浮かび上がってきている。

かように俊敏な演奏の第10交響曲は、ライヴでは未体験ゾーンである。ラトル/BPOの海賊盤がちょっと似たような雰囲気だったけれど、ハーディングの要求はそれと同じか、さらにもう少しドライに音符の運動性能の向上にこだわっているふうだった。

たとえば第3楽章のワルツが完璧なインテンポだったこととか(これにはたいへん新鮮な感動を与えられた)、第1楽章や第4楽章の木管隊がオルガンのような響きを構成しながら激しく運動していたこととか、ハイドンのように理路整然とした第2楽章とか、枚挙にいとまがない。義体化ショスタコーヴィチ。アヴァンギャルドのゴーストはちゃんと宿っている。

+ + +

崔コンマスのソロは、いち新日フィルファンとしては楽しかった。でもこの協奏曲に高い完成度を期待する聴衆のひとりとしては、音量も音程も発音もすべて、率直に言って物足りなさが残った。おそろしい作品である。
by Sonnenfleck | 2012-12-19 05:43 | 演奏会聴き語り

ハーディング/新日フィル 第497回定期演奏会@すみだ(7/7)

c0060659_22122948.jpg【2012年7月7日(土) 14:00~ すみだトリフォニーホール】
●シューベルト:交響曲第7番ロ短調 D759《未完成》
●R. シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》op.40
⇒ダニエル・ハーディング
 /新日本フィルハーモニー交響楽団


生でもネットラジオでも、聴くたびに印象が変わってしまって、そのへんが扱いに困るハーディング氏。この日の公演では職人的趣味性というか、ギチギチにしろしめす気質というか、彼のそういう側面を特に強く感じさせられたのだった。

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このまえ目白の永青文庫で、細川家の香道具コレクションを眺めてきたんですよ。ハーディングの「統率」は、あのいともまめやかなるオートクチュールに似て、一切の不随意を排除する。排除して、隙間という隙間を随意の螺鈿で埋めていく。暗いと思われた空白も、実は全面がねっとりと黒漆で塗り固められている。

だからあのシューベルトは、僕には極めて不自然に聴こえた。
シューベルトの演奏にあっては、空気の薄さと靄のような余韻がなにより大事だと僕は思っています。第2楽章の終末に向けて空中分解していく様子など(それが意図された結果であるにせよ、そうでないにせよ)いくつかの演奏ではよく表現されているのを知っているだけに、ハーディングの「統率」の高い完成度は不毛な贅沢としか感じられない。
しかしこのような作り込みに対して、東京のオケでもっとも感度が良さそうなのが、たしかに新日フィルなんである。彼らがハーディングをパートナーに選び、またハーディングもそれに応えたのは、本当に納得のいくところでもある。

《英雄の生涯》は、その点ではとてもよくハーディングの特性と合致する(何しろ初めから隙間のない音楽だもの)
たとえば「英雄の戦場」のきれいな捌きなんかは聴いていて胸がスカッとしたよね。あの部分のほとんどクラスターみたいな混雑した響きを、ショスタコーヴィチみたいなダッサダサのリズムに乗せてするっと解体してみせたハーディングの手腕と、新日フィルの細身のアンサンブルは、なるほどいいコンビ。

ことほどさように、蒔絵小箱やつぶらな香炉のごとき凝縮した予定調和で物事は解決されていくのだから、何を反駁することがあるだろうか。ひとまず、その「誂えられすぎ」を退屈と言い換える必要が出てこない限りは。
by Sonnenfleck | 2012-07-09 22:16 | 演奏会聴き語り

on the air:ハーディング/マーラー室内管のブラ3(およびtwitterについて少し)

【2009年3月30日 ブダペスト・バルトーク国立コンサートホール】
●ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90
⇒ダニエル・ハーディング/マーラー室内管弦楽団
(2010年4月4日/NHK-FM)

全編にわたってリズムの取り扱いが衝撃的であった。
宇野功芳が例の新書で、ブラームスは魚座だからウジウジしててだめだ、とか書いてた遠い記憶があるんだけれども、ハーディングのブラームスは「今日の運勢、第1位は魚座のあなた!」みたいな爽快なかっとびセンスに溢れる。
それから、ブラームスが愛するシンコペーションを、あえてしんなりしたブラームスらしさの文脈から切り離すと、シューマンにそっくりの熱狂的な形をしているのがようくわかったですな。

たとえばボールトのブラームスを愛する方にとっては、このハーディングのブラームスは冒涜としか感じられないかもしれません(しかし一方で、この第3交響曲ならではの、後ろ髪を引かれるような終筆の美しさを失っていないのは素敵と言わざるを得ない)。この調子でいろいろ聴かせてほしい。新日でも。

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これだけ書いて本体だけで350字。twitteryな場所には入らない。

土曜朝に移動したNHK『世界遺産への招待状』、3日に放送されたモロッコ・マラケシュの回を見た。かつてのサハラウィ(砂漠の交易民の末裔)のキャンプが、住民たちの移住によってほとんど廃墟と化しているんだけど、まだキャンプに残って移住の是非を巡りあーだこーだと論争し続けているサハラウィもおり。

なんかな。今のクラブログ界隈を見ているようだったんですわ。面白いことを言っていた人たちはみーんなtwitterに行ってしまって、僕のようなうだうだ残留民もおり。この「普通ブログの過疎化」ってきっとクラ界隈だけの現象じゃないんだろうな。でも今さら、普通ブログは離れられ、ぬ。
by Sonnenfleck | 2010-04-10 01:48 | on the air

ハーディング/新日フィル 第442回定期演奏会@すみだ

c0060659_6222828.gif【2009年3月7日(土) 15:00~ 第442回定期演奏会/すみだトリフォニーホール】
●ドビュッシー:《牧神の午後への前奏曲》
●ラヴェル:《ラ・ヴァルス》
●ベルリオーズ:《幻想交響曲》 op.14
⇒ダニエル・ハーディング/新日本フィルハーモニー交響楽団


いやーハーディングは天才っぽいね。
前に関東にばっかり来ている未知の指揮者とか正体がわからないとかいろいろ書いたけど、そんなのは全部撤回だ。今回の演奏でイメージが固まった…どころか、グイと胸倉を掴まれて大外刈をくらい後頭部をぶつけたあげく星が出たような衝撃を受けました。

これまでいろんな《幻想交響曲》を聴いてきて、中には変な演奏だってあったわけですが、この日の「ハーディング版」はそのうち一二を争うインパクト。
元来とんでもなく多くの仕掛けが設えられたスコアだったのに、150年分の埃が詰まって大仰にしか動かないか、あるいは部分的にはまったく働かなくなってしまっていたところを、この午後にハーディングの手で埃が払われた途端、スコアがうなりを上げて凄まじいギミックを聴衆の前にさらけ出したという感じ。こんなに激しく各部分が駆動する曲だったのか......。

+ + +

まず、今回示された第1楽章の厳格すぎる序奏と、後へと続く非常に放埓な起伏は、むしろこの交響曲が《フィガロの結婚》みたいな伝統的スラップスティックコメディの末裔なのかもしれないということを、我々に強く印象づけます。
ハーディングの面白ポーズに導かれた鬼のような形相のオケ、ドリフのコントみたいに素晴らしいノリに基づいてあちこちの楽句が伸縮、デュナーミクも狂ったようにウニョウニョと変化し、バッハみたいに聴こえるところもあればバルトークみたいに聴こえるところもある。もう聴いていて可笑しくてたまらず、吹き出してしまった。マジメなマジメなクラッシックではあるまじき大失態。でも可笑しい!こんなに可笑しいのは初めてだ!

涼しい音色とともに第1楽章の最後でコメディの幕はちゃんと降りて、第2楽章
いや、何かおかしい。
ハープが4台、指揮台の周りを取り囲んでいるのです(これってベルリオーズの指示なのかなあ)。視覚的な効果を除いても、確かにこの楽章はハープが目立つから、音量を増強すればさらにキラキラとするだろうなあと、そういう予想は立ちましたけど、聴いていると思ったより効果がはっきりしないというか、ちょっと企画倒れな感じもしたんですよ。
でもちゃんと考えられてるんですね。チェリのように楽章の最後をディミヌエンドしてふわっと収めた上に、この4台のハープの残響を舞踏会の残り香のようにして散らす作戦が行なわれたわけです。これには思いつきレベルをはるかに超えた美しさが漲る。さても残響が消えた瞬間、袖からスタッフがワラワラと出てきて、あっという間に4台を片づけてしまうはご愛嬌。

第3楽章では侘びた佇まいよりももっとドライに音響のちぐはぐさを狙ったようで、和音を巧みに「重ねない」ことであちこちに微細なズレが生じ、とても面白いことになっていました。ガラスとガラスであれば色が違っていても重ねるとうまく透過するけど、ここではガラスとセラミックとか、土と毛皮とか、そういった組み合わせで響きが作られている感じ。「遠雷」も遠雷を描写するというよりも、楽音であることを強く要請されているように思われました。
(※これは特に前半の《牧神の午後への前奏曲》でも聴かれたやり口で、和音に関するハーディングの好みはもしかするとこういう方面にあるのかもしれない。)

後半二楽章の方向性は予想通りだったものの、その程度の甚だしさに仰天する。フツーの演奏であれば絶対に聴こえないパートが(必然性を帯びて)浮かび上がったりするのは、これはオケの側の30日間ブリュッヘン体験が活きているのかなと思いましたが、それ以上にハーディングの熱いモデリング魂を見せ付けられたような気がします。

特に第5楽章のグロさは類を見ないレベルでして、身の毛もよだつようなハーモニーを抉り出して並べたり、木管をケタケタと笑わせたり、チューブラーベルではなくてちゃんと袖の方で鐘を鳴らしたり、コルレーニョをきつく強調したり、ううむ、、こうやって言葉で書くとどんどん陳腐になってしまうんですけどね。。でも実際のところ、最後の和音が鳴り切ってもフツーの演奏のように歓呼へ雪崩れ込まず、明らかに一瞬、ホール中が呆気に取られて間が空いたのが、このモデリングの強烈さを物語っているのかなと思う。周囲の反応を観察してみても、ちゃんと熱狂と興醒めに二分されていたのが可笑しかった。

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しかし、強い炭酸のように、喉を滑って落ちると途端に思い返しづらくなるプチ不思議。
by Sonnenfleck | 2009-03-11 06:29 | 演奏会聴き語り

ハーディング/新日フィル クリスマス特別演奏会@東京芸術劇場

【2008年12月27日(土)14:00~ 東京芸術劇場】
●ドヴォルザーク:序曲《謝肉祭》 op.92
●エルガー:《愛の挨拶》 op.12
●ヴェルディ:《運命の力》序曲
●ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第7番ハ短調 op.72-7
●同:交響曲第9番ホ短調 op.95 《新世界より》
⇒ダニエル・ハーディング/新日本フィルハーモニー交響楽団


今年のランキングはもう締めちゃったんですが、体調がよくなったので出かけてきました。
初の生ハーディングということで、、やっぱり生で聴いてみないとわからないことが多い。

◆スタイリッシュで、
聞き及んでいたとおり細くて小さい体型ながら、フィジカルな動きをそのまま細かなアーティキュレーションに反映させてしまう手腕。下から掬い上げて空中に放り投げる仕草で音楽を膨らませるところなんか、惚れ惚れとするくらいカッコイイ指揮姿でありました。

◆器用で、
今回のプログラムはあみだくじで決めたんじゃないかというくらい統一感も何もない。
まったく粘りのないするするとした《謝肉祭》序曲から、一転してポルタメントを多用する《愛の挨拶》、遠慮会釈ない強奏でうんりきを聴かせたあとに陽気なスラヴ舞曲が流れたときには、場内から失笑が聴こえたとか聴こえないとか。。
しかしこの頓馬なプログラムが敷かれたために、ハーディングの見事な様式感の捌き分けを聴くことができて幸運であったといえます。こんなに器用にソツなくこなされてしまうとどうしようもないよねえ。。それにしても新日フィルの反応のよさには驚きました。

◆器用で、―貧乏か?
《新世界より》を聴き終えて印象として残るのが、いつもであれば暗褐色暗緑色の団子なんですよ。自分の場合。このドヴォルザークの名曲はメロディもリズムもハーモニーも豊かすぎて、それゆえに隣り合った要素同士が簡単に混ざってしまいがちであり、その結果として後に残るのは団子。
ハーディングはどうしたか?彼はそれらの豊かすぎる素材一個一個に対して、さらに気の遠くなるような細かな演出を施しているのです。普通であれば団子の材料として供出されてしまってもおかしくない経過句的なパッセージのひとつひとつに、あるいは見逃されがちな一瞬の縦構造のバランスに、憎たらしい演出がついている。
僕はラトルの演奏を未だに生で聴いたことがないのだけど、「演出」の積み重ねによって音楽を造形するタイプの演奏、その鬼のようなモデリング能力に、実際に生で接するとこういう感じなのですね。そこに浪漫性の熱っぽさは存在しないかもしれませんが、僕には、これは素直にスゲーと思われたのです。

◇芸劇
2006年のダスビ以来ほぼ3年ぶり。2b出口からのルートは健在でした。
愛知県芸の豊かな(豊かすぎる?)響きでオケを聴くことに慣れきっていたので、意外とデッドに感じられます。でも今度は、ここが自分のホームになるのだ。たぶん。近いし。
by Sonnenfleck | 2008-12-28 08:57 | 演奏会聴き語り

on the air:ハーディング/VPO 《大地の歌》

c0060659_6284830.jpg【2007年10月21日 ウィーン コンツェルトハウス大ホール】
●シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D200
●マーラー:《大地の歌》
→ミシェル・デ・ヤング(A)、ブルクハルト・フリッツ(T)
⇒ダニエル・ハーディング
  /ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2008年8月11日/NHK-FM)

すでにウェブラジオでは何度か出くわしたプログラム。
謎すぎる(そしてしつこい)高校野球の中継で音楽番組がごっそり潰れてしまったNHK-FMの、何とかかんとか生き残っているベスクラでチェック。

《大地の歌》を聴くと東急大井町線の下神明から大井町にかけての眺めが浮ぶので、しかも季節は晩秋だったりするので(超個人的告白)、灼熱の名古屋には全っ然合いません。
まあいいや。
はっきり言って、あっちこっちにぴょんぴょん飛び出した放恣な演奏だと思いました。なのにこの美しさ。ずるい。オケのポテンシャルがずるい。てんでまとまろうとしないのに、個々のプレイヤーの音が強烈に美しいので、偶然に形成された豪奢な厚みに騙される。
第1楽章の冒頭で幾層にもわたる縦構造を作っていたのでハーディングにはギョッとさせられましたが、一方でこの放恣な姿も全部彼の計算だったりするのでしょうか?ますますハーディングが見えない。暑さでますますテキトーになる文章に乗ってしまえば、「騙されてもいいや美しいもの」という感じなんですけどねえ。

オケの公式サイトを見るとこの日はアンゲリカ・キルヒシュラーガーがソリストだったようなんだけど、なぜか歌っているのはミシェル・デ・ヤング。代役だろうか。NHK-FMの節約された女声ではそのことまでは教えてくれなかった。
ヤングは歌い口こそ侘び寂びなのに、声質がセクシーです。このギャップに打ちのめされて、第4楽章第6楽章はぼんやりとしてしまいました。特に前者の楽章は少年と馬のくだりの早口が煩わしくて、いいなあと思ったことはこれまでそんなになかったんだけど、ここでのヤングはディクションも素晴らしくって、あちらにこちらに跳ねまくっているオケの面々によるプレイと合わさってなかなかの響き。
さて後者の楽章は最後の数分間がずいぶん明るくて素直で、楽しくなってしまう。遊んで跳ねまくって疲れたプレイヤーたちがこの最後の数分間に集中する…と考えたハーディングの策略に嵌ったかも。永遠に永遠に明るくったっていいじゃない。。
by Sonnenfleck | 2008-08-13 06:30 | on the air

on the air:ハーディング/東フィルのマラ6

c0060659_6593691.jpg明日あたり感想をUPしますが、このFM放送の前に、老獪なハイティンク/シカゴ響を先に聴き込んでしまったのは失敗だったかも。

【2008年2月14日 東京オペラシティ】
●マーラー:交響曲第6番イ短調
⇒ダニエル・ハーディング/東京フィルハーモニー交響楽団
(2008年5月11日 NHK-FM)

第1楽章。身振り手振りでとにかく何かを伝えたがっている印象が、まずは強い。
各旋律線は一本の太い綱にまとめられて、皆で動揺し、皆で伸縮しています。一糸乱れず「推進していく」統一感という点では、シカゴよりこの東フィルの方がずっと上ですね。オケの方ですっかりやる気になっているというか、指揮者のカリスマに中てられているというか…。よくここまでオケのポテンシャルを引き出したなあと(嫌味でも皮肉でもなく)素直に感心しています。全曲を通じて最も高く評価したいのはこの楽章でした。

第2楽章にアンダンテ、のパターン。清涼感があったけど、それはハーディングもオケも一途に素直に突進していっているのが伝わってくるせいかもしれないなあ。

それでは居並ぶ要素の弁別は?第3楽章スケルツォはラトルそっくりで、つまりグロテスクさを強調し切るのです。そうするとグロテスクなパッセージは効果的に強く浮かび上がるけど、そうでないパッセージは光り輝くグロテスクを目立たせるための「地」になってしまう。。

第4楽章は高血圧気味で、冒頭の和音は物凄くいきり立った響きをしていたけど、この方向で行くとオケの疲労がそのままトーンダウンに直結してしまって、縦の線にいくつもズレが生じ、最後は膨張し切れずにしぼんでしまったような印象。「しぼむ」と、直前に膨張していたときの「皮」みたいなものがヘタレてまつわりついているのが聴こえてくるようで…。

まあこれは夕食後に自室でまったりしながらFMを聴いてるからこそ細かい点が気になってくるだけであって、僕ももしその場に居合わせたら、きっと激しい緊張に苛まれていたことでしょう。大詰めの破綻(これは素晴らしい一撃でした)の後、30秒以上に及ぶ静寂を守った東京の聴衆にこそブラヴォでしょうね。

このマーラーはストレートでした。
ハーディングはそれでもなお、正体のわからない指揮者のひとりです。
シェフを務めるスウェーデン放送響とのライヴがネット上にたくさん出始めたので、拾って聴いていかなくては。個人的にはラヴェルとかベートーヴェンが見極めポイントかな。。
by Sonnenfleck | 2008-05-15 07:00 | on the air

on the air:ハーディング/VPOのマラ10

ハーディング。しょっちゅう東京に来ているようなので、関東の皆さんにはそろそろお馴染みなんですかね。CDもライヴもほとんど聴いたことがない僕には、まだまだ未知の指揮者であると言えます。今度DGからマーラーの第10交響曲をリリースしたようで…。
比べてみようエアチェック。

c0060659_8445286.jpg【2004年12月19日 ウィーン・ムジークフェライン大ホール】
●マーラー/クック:交響曲第10番嬰ヘ長調
⇒ダニエル・ハーディング/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2004年12月19日/NHK-FM)

なぜか2004年はVPOの定期演奏会がNHK-FMで生中継されてて、この演奏も80分のMDに収まるかどうかハラハラしながら聴いていたような記憶があります(確か)。海賊盤も出てますね。
この演奏会はハーディングのウィーン・デビューだったように思いますが、3年後に両者がこの曲の録音セッションを組むことについては、この時点ですでに決定事項だったのでしょうか。

マーラーの第10番って夜にヘッドホンで聴くにはちょっと怖いので、そのスタイルがノーマルな聴取方法である僕にとっては、この曲はあまり馴染みがないのです。
極彩色の曼荼羅のような眺めで、つまり要素の一つ一つに秩序があって意味があるのだろうけど、深く潜り込まねば内容の理解は難しい。でもハーディングがウィーン・フィルに求めているのはグロテスクさではなく、たぶん甘くて優しい歌心なので、どうせよくわからんのだったらそこに耽溺するだけでいいのかなーとも思う。

とすれば、第1楽章の金管絶叫コラールや、第5楽章のクラスターみたいなパッセージ、こういったコワモテ部分でも柔らかく聴かせてくれるこの演奏に、じっくりと身を任せてみるのも悪くないかもしれません。フィナーレの終結への足取りは十分に感動的です。
真ん中の第3楽章には先祖返りしたような「愛らしさ」が充満しているので聴きやすいし、おそらくウィーン・フィルとしても演奏至難ではないのだろう。こういうテクスチュアならすでに手の内に入ってるゼ!という雰囲気。
いかにもリズムが難しそうな第2楽章第4楽章はアンサンブルがざわついていて、今度のセッション録音に期待してしまうところ。それでも前者のトリオ部分と終結部はさすがの美しさ!

「ゲンダイオンガク」ゆえに拍手が不機嫌そうなのも、VPO定期ならでは、でしょう。
by Sonnenfleck | 2008-03-22 08:53 | on the air