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DJトリスターノのスカルラッティアーナ@ヤマハホール(6/22)

c0060659_21341637.jpg【2012年6月22日(金)19:00~ ヤマハホール】
●ベリオ:《セクエンツァIV》
●フレスコバルディ:トッカータ第4番、第9番、第8番(第2集より)、トッカータ第8番、第1番、第11番、第12番(第1集より)
●フランチェスコーニ:マンボ(1987)
●トリスターノ:マンボ(2010)*
●同:トリスターノ:Nach Wasser noch Erde(2008)*
●メッシーナ:Radio hat music (2012世界初演)*
●武満徹:《フォー・アウェイ》
●フレスコバルディ/メッシーナ(リミックス):トッカータ第8番(第2集より)*
●スカルラッティ:ソナタト短調 K450、同ト長調 K13、同ニ短調 K141、同ニ短調 K32
●トリスターノ:Franciscana(2012世界初演)*
 ○トリスターノ:Eastern Market *
*ピアノ&エレクトロニクスが使用された作品
⇒フランチェスコ・トリスターノ(Pf)


予想外に仕事が早く片づきwebぶらあぼを覗いていると、当夜の東京がイタリア音楽の特異日だということに気づく。

サントリーではゼッダ/東フィルのケルビーニ→ベリオ→メンデルスゾーン《イタリア》。紀尾井ではブルネロ/KSTのイタリアプロ(レスピーギ、マリピエロ、、)。そしてヤマハホールでは、フランチェスコ・トリスターノのベリオ→フレスコバルディ→自作そのほかという布陣。サントリーと紀尾井はレヴューが多そうだし、もっとも成り行きが読めない第三の道を選択するのはヲタの性である。

局所的に激しく話題を博すコンポーザー・ピアニスト、1981年ルクセンブルク生まれのフランチェスコ・トリスターノを体験してみたいという気持ちも働く。何なのだ彼は。グールドなのかグルダなのか。

+ + +

まず「真っ当な」レパートリーから。
彼がおこなったベリオ《セクエンツァIV》とフレスコバルディのトッカータの連続は、非凡な巧妙さで僕らを化かした。
持続する和音の上に音型が盛り付けてあるという意味では、ベリオとフレスコバルディ(のいくつかの作品)にはほとんど差がない。それを示すためにトリスターノは、YAMAHA製モダンピアノの性能を十分に発揮して、フレスコバルディの和音をきわめて芳醇に引き伸ばす。そうすると、演奏がベリオからフレスコバルディに進んでも、持続する味噌汁の具材が豆腐からなめこに変化したくらいの様相しか呈さないんである。面白いね。

フレスコバルディの譜面に書き添えてある「反復、省略、装飾、即興することは自由」という但し書きを拡大解釈したのが、ジャスティン・メッシーナ Justin Messina(1981- )のリミックスver.トッカータ。
ガタイのいいにーちゃんが電車の中で聞いてるようなHIPHOP風の低音打撃の上に、かそけきフレスコバルディが分解されて浮遊する。後述するトリスターノの自作に比べるとまだ十分にセンスがあって、僕ぁコンポーザーとピアニストが分離した現状を祝うしかない。

スカルラッティ。彼のスカルラッティ撰集が出たら買ってもいいなあと思わす、才気と軽妙が渾然とした演奏でした。ときどきベートーヴェンが挨拶しに来るのも愉快で、ホロヴィッツ流スカルラッティの10年代ナンバリング新作、といったふう。

武満も悪くない。梅雨のごときじっとりとしたタッチ。

+ + +

んで問題は、DJトリスターノの自作なんだよねえ。
後半になってピアノ左手側にキーボードが、譜面代の上にはミキサーとノートPCが登場し、エレクトロニック・パフォーマンスが加わる。見栄えはちょっと格好良さげ。

ところが最初に並んでた2曲、これが本当に噴飯ものの偽フィリップ・グラスみたいなしょーもない音楽で、ショボい効果音の特盛には相当がっくり。メロディも陳腐、ミキシングも陳腐、陶酔する姿も陳腐ときたら目も当てられない。
しかしスカルラッティからシームレスに突入した自作は、スカルラッティのエッセンスをしっかり取り込んだ舞曲風の佳品。これはなかなか素敵だった。

そんな好印象を最後に思いっきり踏みにじってくれたのが、アンコールで取り上げられた1曲。今度は安っぽいメロディに彩られた偽YMO。手拍子SEを自分で流し始めたときにはもののあはれを感じざるを得ず。ベリオやフレスコバルディや武満から、何を彼が感じ取ってあのような演奏をしているのかが問われるほどに。

僕はフリードリヒ・グルダのライヴを知らない世代なんだけど、たとえば彼の一晩のコンサートを聴きに行ったとしたら、こんな気持ちになることもあったのだろうか。。ほらもっとスカルラッティを、もっとベリオを。。
by Sonnenfleck | 2012-06-25 21:36 | 演奏会聴き語り

ビバ!チャコーナ ~ダンサブルなイタリア音楽~@宗次ホール

c0060659_643598.jpg【2008年9月7日(日) 15:00~ 宗次ホール】
●ジローラモ・ダラ・カーザに基づくパッサカリア《小さなジャック》
●メールラ:チャコーナのアリア《恋のリラにのせて》*
●即興演奏:第一旋法による異国風パッサカリア
●カッチーニ:アリア《私の美しいアマリッリ》*
●ファルコニエーリ:フォリア
●フレスコバルディ:フォリアのアリア《そよ風が吹けば》*
●カステッロ:ソナタ第1番
●メールラ:子守歌による宗教的カンツォネッタ《さあ眠りなさい》*
●モンテヴェルディ:アリア《苦しみはこんなにも甘く》*
●即興演奏:パッサメッツォ・モデルノ
●サンチェス:パッサカリアのカンタータ《簒奪者にして暴君》*
  ○アンコール カッチーニ(絶対に偽作):《アヴェ・マリア》*
           フレスコバルディ:フォリアのアリア《そよ風が吹けば》*
⇒アントネッロ+弥勒忠史(C-T *)


いやー面白かったなあ。しかし強い個性同士のぶつかり合いを聴くのは疲れるなあ。

初期バロック苦手の自分には当初やや気の重いプログラミングでしたが…まったくそんなことはなかった。渋みの強いカステッロに悩まされたくらいで、あとはとにかく動きもメロディも豊富な楽しいナンバーばかり。モンテヴェルディの旋律性って革新的だったんだねえ。
しかしその一方でメールラの子守歌による宗教的カンツォネッタ《さあ眠りなさい》は、マリアが赤ん坊のイエスを腕に抱いて左右に揺する音型が、不気味なバッソ・オスティナートにより極めて描写的に用いられる作品。見事に睡魔を呼び起こします。(←寝た)
それからフレスコバルディ!
フォリアのアリア《そよ風が吹けば》はその名前のとおり、フォリアの進行に基づいたアリア。フレスコバルディがこんなに陽気な曲を作ってたなんてなー。

さてアントネッロのコアメンバー3人が激しく「キャラ立ち」した音楽をやるのは十分に予想されていたんですが、カウンターテナーの弥勒忠史氏が、さらに輪をかけて濃いキャラクタ。僕はこの方、寡聞にして存じ上げなかったんだけど、90年代後半にBCJへ参加した後イタリアへ渡ったらしく、現在はイタリアを中心に活躍されているとか。
弥勒氏は、もともとの女声的な美声のうえに日本人離れした表現欲+表現力がある歌い手でありまして、濱田氏の強烈な即興にもまったくたじろがず、「ちょっ、リハと全然違うじゃないッスか!」みたいな感じなんだけどむしろ楽しいぜ的な顔をして歌ってしまう。合間合間の喋くりもリズミカルだし、エンターテイナーなカウンターテナーでした。いいねえ。
公式ブログ見つけた。集英社新書からも出されてるんですね。)

目白バ・ロック音楽祭の最初の年に聴いた《モンセラートの朱い本》以来、相変わらず濱田氏のコルネットとリコーダーは世俗を極めた不良のカッコよさだし、西山さんのハープは官能的に揺らぐし、冷静な石川さんもときどき切れるし、マジな即興らしく綱渡り...な場面もたくさんあったし、アントネッロのライヴはBCJの静かすぎる世界とは対極なんだろうな。
したがって、古楽ライヴといったらBCJしかなかったここ数年の自分を見つめ直さざるを得ない、そういう結果になりました。近江楽堂や新大久保のルーテル教会、白寿ホールやトッパンホールでの古楽ライヴへ日常的に足を運ばれている方は、とても幸運だと思う。

アンコール。「絶対にカッチーニではない人によって作曲された」との前置きののち《アヴェ・マリア》。さらに(名古屋では大変珍しいことに)拍手が手拍子に変わってしまって、「作戦会議」ののち急遽、前半のトリであったフレスコバルディをもう一度演奏してくれました。ノリノリ。

+ + +

来年の3月にも宗次ホールでの公演が決まったみたいです。《笛の楽園》だそうで。
この日限定の特別先行発売で、チケット買っちゃったよ!
by Sonnenfleck | 2008-09-09 06:09 | 演奏会聴き語り