![]() <ブラームス> ●Vn協奏曲ニ長調 op.77 →ジノ・フランチェスカッティ(Vn) (1974年4月27日、ハンス・ロスバウト・スタジオ) ●セレナーデ第2番イ長調 op.16 (1978年5月16日、ハンス・ロスバウト・スタジオ) ⇒エルネスト・ブール/SWR交響楽団 ―あなたはどのヴァイオリニストがいちばん好きですか? という質問をもらったら、たぶん、僕はレオニダス・カヴァコスかクリスティアン・テツラフかエンリコ・ガッティかで迷ったあげく、結局ジノ・フランチェスカッティと答えると思う。 もともとロベール・カサドシュの相棒として彼のことを知ってから今日まで、そんなにたくさんの彼の録音を聴いたわけじゃないけれど、悲劇ぶらずアダルトな彼の唄い口や、細くてもきらきらした美しい音色に魅せられてきた。 ブラームスの協奏曲が得意だったフランチェスカッティは、5つか6つくらいの録音を残している。今回、SWRのアーカイヴから掘り出された当録音はヴァイオリニスト72歳、キャリア最後期の演奏にあたり、フランチェスカッティの晩年を伝えるものとして貴重な存在(もっとも彼は1991年まで長生きしたんだけど)。 晴れた日曜日の午後にじっくりと聴いて、まずはその技巧がほとんど衰えていないことに吃驚してしまった。老境のフランチェスカッティが「ブラームス」として提出してきたのは、うだうだと悩み苦しみ抜いたあげく枯れていくヨハネスではなく、かつてカサノヴァだったことを隠そうともしない自信たっぷりのヨハネス。上のほうで書いた涼しげな行書体が70歳を過ぎてなお維持されていて、若いころの録音と同じように貴公子のようなブラームスが繰り広げられている。 年老いたヴァイオリニストはボウイングの自制がきかずに悪魔のようなフレージングになっちゃうことも多いように思いますが、フランチェスカッティは地上に留まっているようです。燦々と太陽が照るような第3楽章のボウイングに惚れ惚れ。 余白に納められているのは第2セレナーデ。 ディスク全体を通してもブール/SWR響らしさ、みたいなものはほとんど感じないが、協奏曲の美しい第2楽章の冒頭を飾るObがものすごくペェペェした音で、いつでもリームとか始められますぜマエストロ、という空気が微笑ましい。 ▲
by Sonnenfleck
| 2013-03-04 22:04
| パンケーキ(19)
古漬けのなかでも比較的漬かりが浅いほうから。。
晴れた休日の午後に所沢に向かう西武新宿線の車窓が、たまらなく好きなんだよね。 あの変わりばえのしない多摩の平和が、この路線に凝縮されてると言っていいだろう。年に数回の所沢ミューズ遠征のお楽しみ。 ミューズのロケーション、航空公園駅から広い道をてくてく歩いて15分というのも好い。 + + + ![]() ●グリーグ:組曲《ホルベアの時代から》 ●ブラームス:交響曲第2番ニ長調 op.73 ●ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14 ○ベルリオーズ:ラコッツィ行進曲 ⇒ヴァレリー・ゲルギエフ/ マリインスキー歌劇場管弦楽団 ゲルギエフ。これまでの音盤やエアチェックから判断すると、彼が得意でしっかりモノにしている作品とそうでない作品との演奏の差があまりにも著しく、そこがちょっと不思議な指揮者です。 そんな印象も手伝って、ライヴではあんまり聴いていません。これがたぶん、2003年に読響とベルリオーズのレクイエムをやったとき以来の生ギエフ。あのときはサントリーホールの1階前方の席で、指揮者の汗が飛んできそうな熱演だった。この日はアークホールの3階正面に座る。 まず組曲《ホルベアの時代から》。 小さく刈り込んだ編成の弦楽合奏の前にゲルギエフが立つと、実はこの日いちばんの予想覆しが。小体でふあふあと柔らかくまとまった、たとえばルドルフ・バウムガルトナーのような感触の響きがホールに流れ出したんである。 彼の中にある「ぼくのかんがえたりそうのようしき」で作品を整えることに成功すると、自信たっぷりの、文句の付けようがない音楽が生み出されるのだ。ゲルギエフを全面的に評価している人たちはこれが好きなんだろう。これならわかる。。 で、2曲目のブラ2は急に自信のない、へなちょこの演奏になってるんだなあ。 ブラームスは怖い。世界で一流のマエストロのひとりと目されている人物でも、準備や理解に不足があると全然料理にならない。彫り込みの浅い習作みたいなブラームスもどきを楽しめるほど、僕はゲルギエフを愛していない。 でも今日のゲルギエフは、ブラ2なら表層的にぴたりとはまるであろう過激なドライヴ感を封印してたのです(僕らが「ゲルギエフに期待する」ようなアレです)。培養中の「りそうのようしき」が彼のなかで熟成されて、いつか僕たちの前に出てくる前兆として捉えたいと思う。 そして休憩を挟んだ幻想交響曲は、極上のエンターテインメント! ホルベア組曲と一緒で、やっぱり彼は一度モノにしてしまうととてつもないパワーを発揮して、全身から音楽を放射するような演奏を仕上げてしまう。こういうところは天才なんだなあ。 第2楽章の、絢爛にして遠くが見渡せないほど巨大なワルツ。鮮やかすぎて酔いそうなくらいの演奏実践だったことよ。得意なんだなあゲルギエフ。本当に。 + + + このあとゲルギエフはどうなっていくんだろう。 作品の消化は彼のなかで進んでいくんだろうか。彼の理想のベートーヴェンやブラームスが完成するまで幾度失望させられるかわからないけれど、そっと頭の片隅に置いておくくらいのことはしたいと思う。 ▲
by Sonnenfleck
| 2013-02-04 23:10
| 演奏会聴き語り
![]() ●エスケシュ:Vn協奏曲(2009)※日本初演 ○同:《nun komm》 →ダヴィド・グリマル(Vn) ●ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98 ⇒クリスティアン・アルミンク/ 新日本フィルハーモニー交響楽団 今をときめく、とされているコンポーザー・オルガニスト、ティエリー・エスケシュのVn協奏曲を初演コンビで、ということなら期待はいやが上にも高まらん。 さあれども勝敗は…。 東前頭筆頭バルトーク、西前頭三枚目シュニトケ、呼び出しはマルティヌー、行司はブリテン、正面審判長はショスタコーヴィチ、東のバルトークが諸差しでシュニトケを寄り切り、千秋楽に勝ち越しを決めました、といったふう。 60年くらい前の音楽と紹介されても、それほどの違和感はない。極めて保守的かつ適 度 に 良くできた音楽で、バルトークやショスタコのVn協奏曲第3番を求めていた向きにはめっけもんかもしれませんね。 勝手に熱狂的革新的かっこいいコンチェルトを期待していた僕は、細切れに過ぎて痙攣的なリズムや、既聴感が拭えない楽想にがっかり。バルトークによく似た1.5級品ならバルトークを聴きます。 アンコールのnun kommという無伴奏曲のほうが、20世紀音楽のイミテーションとしてはずっと高級だった。より凝縮してる。ソロVnのグリマルはカントロフを図太くしたような音で、かなり好みでありましたが。 + + + さて音楽監督アルミンクはプレトークのなかで「エスケシュのVn協奏曲は安心感が反対要素によって打ち消される場面ばかりだが、最後はパッサカリアのテーマが安心感をもたらす」みたいなことを言っていたが、この晩のブラ4がもたらしたものは何だったか。 少し辛めに書く。 つまるところアルミンクは安心しきって棒を振っていた(何しろエスケシュを振るのは指揮者にとっては「悪夢」だそうだから)。オケも安心して自分たちが知っているブラ4を自分たちが知っているやり方で演奏していた。 別に僕は、珍演奇演至上主義者ではない。でも、新奇でないならもっとディテールの詰めを緊くしなければ、今ブラームスを演奏する意味ってあるのかな。それが指揮者と演奏者の「安心」や「満足」に繋がってるってんなら僕は何も言わずに立ち去るけど、それならアマオケと変わらない。パッサカリア縛りで意欲的なプログラムだぜ!って叫ぶ前に、やるべきことがたくさんあったような気がするのだ。 アルミンクは、第1楽章を同質なメゾフォルテの果てしない連続体として示した。あの第2楽章を少年の幼い妄想みたいな音楽に導いたし、第4楽章をぎゃんぎゃん鳴り響く何か別のものに変えた(オケもけっこう責任が重い)。第3楽章だけはリズムの角がよくきまり、サイダーのようにこざっぱりして好かったけれども、よく練られたうえでの回答なのかどうかはわからなかった。この演奏会に関するレヴューは比較的好意的なものが多いようだが、僕はそうは感じなかった。 ああアルミンク。僕はあなたをこれまで珍曲でしか聴いてこなかったが、それでも負うた恩は多い。現時点での、ブラームスにおける、そうした予防線を「限界」というワードに張りたい。そういう気持ち。 ▲
by Sonnenfleck
| 2012-05-30 21:00
| 演奏会聴き語り
![]() <ブラームス> ●Pf三重奏曲第1番 ロ長調 op.8 ●Pf三重奏曲第2番 ハ長調 op.87 ●Pf三重奏曲第3番 ハ短調 op.101 ●Hr三重奏曲変ホ長調 op.40 * ⇒スーク・トリオ ヨゼフ・スーク(Vn)、ヤン・パネンカ(Pf)、ヨゼフ・フッフロ(Vc) →ズデニェク・ティルシャル(Hr *) チェコのバイオリン奏者、ヨゼフ・スークさん死去(asahi.com/7月8日) 7月6日、ヨゼフ・スークが亡くなった。僕はこの人の音楽から、独逸浪漫の何たるかをたくさん教わったと感じているが、最後に感謝と追悼の気持ちを込めて、ブラームスの3番目のピアノ・トリオを聴くことにする。 + + + ブラームスのトリオの中では、第3番ハ短調の熟成された浪漫にもっとも強く惹かれます。作品番号からわかるように、この曲はブラームスが交響曲第4番を通過した1886年の夏になって取り組まれ、ハ短調の調性感を円やかにぼやかすほどにゆったりとリラックスした作曲家の姿が想起されるんですな。 聴きどころは数多いものの、もっとも味わい深いのは第1楽章の第2主題だと思う。この主題では3人がユニゾンで憧れに満ちて胸苦しい、いかにもオトコっぽい主題を歌うのだが、この局面でのスークはまるでヴィオラか、さもなくばチェロというくらい、深々と照る黒い漆器のような音色で2人をリードするのです。 展開部のあとに第1主題ではなくこの主題が帰ってくるなど、胸熱のきわみといえよう。再帰したスークの歌い回しには若干の興奮と、興奮を抑えようとする精神の働きがともに見られ、漆器に盛られたブラームスのメロディは見事なバランスによって大事に大事に守られている。これが浪漫ではないか? 氷雨の中をとぼとぼ歩く不幸とそこにおける微妙な自尊心を漂わせた第2楽章などもたいへん佳いし(パネンカの心細いタッチは見事の一言)、第3楽章ではフッフロが素朴な温かみを添えて、この楽章の懐かしい雰囲気を醸成するのに一役買っている。フッフロの音色はちょっとくすんだキャメル色で、実家にあった古い石油ストーブなどを思い出さす。 第4楽章は再び炉に火が入って燃え上がるが、それでも案外あっさりしているのがブラームス後期だっすな(レーガーなら同じ主題で3倍くらい長く作曲しそう)。スーク・トリオのエッジは今日のハイパー室内楽の基準で言えばちょっぴり緩めだが、スークが形作る高音の輪郭線には独特の香気がある。お疲れさまでしたスーク先生。そしてこれからも、僕に浪漫を教えてください。RIP. ▲
by Sonnenfleck
| 2011-07-11 06:20
| パンケーキ(19)
▲
by Sonnenfleck
| 2010-07-19 22:56
| 広大な海
4月28日のデュトワ/フィラデルフィア管との超対決、5月3日の怒号飛び交うLFJ出演などのレヴューが上がるにつれ、この伝説を聴き逃すわけにはゆかぬと思われて、5月5日の当日券に並ぶことにした。
カラヤン広場に薫風吹き抜けるこどもの日、30枚の当日券を求める長蛇の列は、おのおのの時間を心地よい期待のうちに過ごしたものと思われる。あの中の誰が、その後展開されることになる人心惑乱時間を想像していただろうか。 + + + ![]() ●ショパン:ノクターン第18番ホ長調 op.62-2 ●同:Pfソナタ第3番ロ短調 op.58 ●リスト:メフィスト・ワルツ第1番 ●ブラームス:間奏曲イ長調 op.118-2 ●シベリウス:《悲しきワルツ》 ●ラヴェル:《夜のガスパール》 ⇒イーヴォ・ポゴレリチ(Pf) 開場遅れること10分、開演遅れることさらに15分。 極端に照明を落とした暗い舞台に、急ぐでもなく悠々と歩み出てくるポゴさん。 前半のショパンとリストの80分間は、この二人の作品に縁遠い僕にとっては、まさしく気が遠くなるような時間でありました。 かの有名な停滞的テンポと極端に幅広のデュナーミクを全身に浴びることで、こちらの集中力は十数分で完全に切れ、幾度も短い眠りに落ち、目覚めてもまだ曲の終わりが来ない地獄。「吉田秀和 meets クナッパーツブッシュ」を追体験した。 プログラムに掲載された過去のインタビューで、こう語るポゴさん。 「私の音が長く続くのは、それが深い響きだからです。私はやたら速く弾くなどということを好みません。もちろん、非常に速く演奏することはできますよ。けれど、深い音には長い生命があるのですからね。響きを維持することを好み、2つの音を直ちにひとつの線に連結することは求めない。それよりも私は、虹のサウンドをみたいと思うのです。」(「ムジカノーヴァ」2006年1月号)ぶつかり合った音符が虹のように透き通って、人智を超えていた瞬間も多かったけれど、あるいは絶望的に混濁して、雨のアスファルトに滲んだガソリンの虹のように醜悪な瞬間も多かったのは事実。 + + + 後半、急に追加されたブラームス、それからシベリウスは、原曲を多少知っているために、前半に比べればまだポゴレリチの行為が追い易かったといえる。(プログラムの前半は、だからショパンをしっかりと知っている人なら、凄まじい感激に襲われたのかもしれなかった。) いま、比較の試みにアファナシエフのop.118-2を聴いてみました。 そうすると、アファナシエフがいかに遅いテンポを以て任ずるピアニストであったとしても、彼の咀嚼はあくまでも理知の辺縁に踏み止まっているのだということがよくわかる。つまり、シンプルに歩くのが遅い人と、意識の森林をさまよいながら足を前に運んでいるだけの人では、速度の意味が違いすぎるということ。 深い森や臭いのする沼地に変わってしまったブラームスのスコアは、拍動や旋律がばらばらにほどけて、和音の雰囲気だけがゆらっとたちこめる異様な空間として示されました。このやり方を、ポゴレリチはここまでのすべての作品に同じように適用するという本当に野蛮なことをしていたのだけど、作品側からの反応・照り返しが最も良かったのは、意外にもブラームスだったように思った。 + + + 《夜のガスパール》。これはたぶん、昔のポゴレリチの「かたち」が破壊されずに残っていた。 ピアノという黒い楽器の秘孔を突いてビーストモードに変えてしまうポゴさんの手腕は魔術的であったが、また同時に、この日唯一、自分がステージに立っている世界的ピアニストで、聴衆に囲まれていることを思い出した瞬間だったのではないかと思う。コンサート会場で聴くホロヴィッツというのは、こういう感じだったのではないかと、なんとなく想像する。 心胆コールド。しかし、久しぶりに、藝術行為を聴いたような気がします。 ▲
by Sonnenfleck
| 2010-05-22 11:33
| 演奏会聴き語り
【2009年3月30日 ブダペスト・バルトーク国立コンサートホール】
●ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90 ⇒ダニエル・ハーディング/マーラー室内管弦楽団 (2010年4月4日/NHK-FM) 全編にわたってリズムの取り扱いが衝撃的であった。 宇野功芳が例の新書で、ブラームスは魚座だからウジウジしててだめだ、とか書いてた遠い記憶があるんだけれども、ハーディングのブラームスは「今日の運勢、第1位は魚座のあなた!」みたいな爽快なかっとびセンスに溢れる。 それから、ブラームスが愛するシンコペーションを、あえてしんなりしたブラームスらしさの文脈から切り離すと、シューマンにそっくりの熱狂的な形をしているのがようくわかったですな。 たとえばボールトのブラームスを愛する方にとっては、このハーディングのブラームスは冒涜としか感じられないかもしれません(しかし一方で、この第3交響曲ならではの、後ろ髪を引かれるような終筆の美しさを失っていないのは素敵と言わざるを得ない)。この調子でいろいろ聴かせてほしい。新日でも。 + + + これだけ書いて本体だけで350字。twitteryな場所には入らない。 土曜朝に移動したNHK『世界遺産への招待状』、3日に放送されたモロッコ・マラケシュの回を見た。かつてのサハラウィ(砂漠の交易民の末裔)のキャンプが、住民たちの移住によってほとんど廃墟と化しているんだけど、まだキャンプに残って移住の是非を巡りあーだこーだと論争し続けているサハラウィもおり。 なんかな。今のクラブログ界隈を見ているようだったんですわ。面白いことを言っていた人たちはみーんなtwitterに行ってしまって、僕のようなうだうだ残留民もおり。この「普通ブログの過疎化」ってきっとクラ界隈だけの現象じゃないんだろうな。でも今さら、普通ブログは離れられ、ぬ。 ▲
by Sonnenfleck
| 2010-04-10 01:48
| on the air
金曜日お仕事@大阪→名古屋で会社同期と一席→名古屋泊→土曜お仕事@名古屋→名古屋で同僚たちと一席→土曜深夜帰京。名古屋でも雪が降るくらい寒かったこともあって今回は特に疲れたああ。
いろいろ行きたいコンサートもあれど、体力の乏しいリーマンは家で休養しなければならない。…って寝てたらもう夜だよ!午後のギーレン特集聴きたかったよ! 昼食だか夕食だかよくわからない食事を摂って、FMにかじりつく。 + + + ![]() <ブラームス> ●交響曲第1番ハ短調 op.68 ●交響曲第2番ニ長調 op.73 ⇒チョン・ミョンフン/東京フィルハーモニー交響楽団 (2010年2月7日/NHK-FM) 一時期どっぷりとはまっていたウェブラジオ。 2004年製のPCがそろそろ発熱を伴うようになってきて、負荷を掛けぬように最近はアクセス凍結中です。「on the air」カテゴリも久しぶりね。 久しぶりといえばチョンも東フィルもずいぶん久しぶり。いつごろからか東フィルの定期演奏会がほぼすべて平日に移行してしまったために、在京オケの中でも最もライヴで聴く機会の乏しいオケになってしまった(新国立劇場のピットに入っているときは別だけども)。久しぶりだ。どうだろうか。 いや、いいねえ。もんのすごくいい。 半ば強引に、音響をグイグイと前に持っていくチョンのスタイルは以前聴いていたまま、しかし東フィルがそれに応じる能力が着実に進化しているように思った。 チョン・ミョンフンの直截な音楽趣味を10年近くにわたって注ぎ込まれてきた結果なのかなあ。オケの側に、燃焼することに対する抵抗みたいなものがもう全然なくなってるんですよね(ノリのいい指揮者の下でもノリきれずにぶすぶすと不完全燃焼を起こされてしまうと、ノリの悪い指揮者と一緒にノリの悪い演奏をされるよりもなお、客としては空しい気持ちになる)。 ブラ1もブラ2も、ひたすらシンプルに、熱い音楽をやってやろうというスピリットを燃やして運転が行なわれている感。自分のキャラを把握した上での能天気や、逆に猜疑心を音に込めたような暗さばかりが悪目立ちする傾向にあって、これは貴重な記録だと思う。 しかしプロとしての大切な一線―アンサンブルの精度だったり、自分が和音の一部であることを忘れない節度だったりすると思うけど、それがないがしろにされていないのも驚き。こんな積載量のうえこんなスピードで突っ込んだらプロオケでも曲がり切れない!というようなヘアピンカーヴを、グンッ…とドライヴするチョンさんかっけえ。第1番の第4楽章は胸がすくようなパフォーマンスでございました。 一方、チョンさん(さん付け)の趣味も、強引niマイYeah~!という感じでなくなってきたのが興味深い。 第1番の第1楽章、そして第2番の第4楽章で聴かせてくれている「てろり」とした奥行きのある輝きは、この人の新たな境地としか思えない。アーティスティック何とかの任期は終わるかもしれないが、次にチョンさんが振りに来るときは、生を聴かねばならぬ。これでは。 ▲
by Sonnenfleck
| 2010-02-10 22:17
| on the air
![]() 目の前の庭に大きな柿の木が根を下ろしている。2008年の12月に引っ越してきたときには葉をすっかり落としていたから、このように見事に色づいた姿を目にするのは初めてなのだ。午後には、向かい合う僕の部屋の中が柿色に染まる。 ここのところ毎日、ヨゼフ・スークとヤン・パネンカが弾くブラームスのヴィオラ・ソナタに惹きつけられて仕方がない。なんて複雑な音楽なんだろうと思う。 それでもヘ短調の第1番のほうは、まだ幾分親しみやすさを感じさす。第1楽章の憂鬱で気高い主題に心を奪われない人はいないだろうし、すっきりとしたスケルツォに大管弦楽の残滓が窺われるのも素敵だ。桃色のカーディガンを身に着けたおじいさんのように、健やかでしかも少し翳りのある第4楽章が幕を引く。 ▲
by Sonnenfleck
| 2010-01-08 23:55
| 絵日記
![]() <2008年 独仏洪合作(原題"Geliebte Clara")> →マルティナ・ケデック(クララ・シューマン) パスカル・グレゴリー(ロベルト・シューマン) マリック・ジディ(ヨハネス・ブラームス) ⇒ヘルマ・サンダース=ブラームス(監督) Bunkamuraの客層ってちょっと不思議な感じよね。 さて。 こういう主題だから、クラヲタとしては「××は悪かったけど総じて良作だった」という感想に持っていきたいところなんだけど、今回は「○○はよかったけど総じて残念な出来だった」というところに落ち着いてしまうかなあ。せっかくの題材を全然活かし切れずに終わってしまった感アリアリ。 1850年、ロベルト・シューマンがデュッセルドルフの音楽監督に招かれたところから物語が始まる。交響曲第3番の作曲と初演、ロベルトのグロテスクな精神疾患、夫の病と音楽と生活に挟まれて身動きの取れないクララの心労、そこへ自信に満ちた若きブラームスの姿が加わります。やがてロベルトのラインへの投身、精神病院への入院、発狂と死へつながっていきますが、クララとブラームスの危うい関係はついに深い描写を経ず、ブラームスの第1Pf協奏曲をクララが弾いて、幕。なんだこりゃあ。 以下、鑑賞後に同行者と話し合った内容及び個人的補足。 ■プロットが弱々しく、結局何が主題だったのかよくわからない。常に3人の視点が混じり合って曖昧模糊としたせいで、せっかくの(多分この作品のクライマックスであった)クララとブラームスのラヴシーンも説得力がなく、かなり唐突な感じになってしまった。 ■尺の伸縮管理がいいかげんで、間延びしすぎたり急展開すぎたり。ラインに飛び込んで10分後に入院支度を済ませて自宅を出るロベルト早業。 ■ロベルトが《ライン》の第1楽章を指揮しながら第2楽章に侵蝕されていく演出はよかった。同様に、第2楽章のエピソードが狂ったようにリピートする演出もよかった。シューマン家の飯炊き婆さんが階上から聴こえてきた第2楽章に感涙するシーンもよかった。 ■ロベルト役の狂気の演技は粗野な方に傾きすぎ、知的な印象に欠ける。 ■クララ役が肝っ玉母さんすぎる。 ■ブラームス役の演技は野心的すぎ、繊細さに欠ける。 ■結局ブラームスの叔父の子孫のジコマンでは。 ■あれ?「Ich weiß...」じゃねえのか。 ■イソジン。 + + + お正月の「シャネル&ストラヴィンスキー」はかなりよさげ。 ▲
by Sonnenfleck
| 2009-11-22 10:50
| 演奏会聴き語り
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