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世界の中心でЯ настоящий русский!と叫んだけもの

c0060659_22403568.jpg【EMI(TOWER RECORD)/QIAG50084】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第13番変ロ短調 op.113《バービィ・ヤール》
→ディミテール・ペトコフ(Bs)
→リチャード・ヒコックス/ロンドン交響楽団合唱団
⇒アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団


武田泰淳の最後のエッセー集『目まいのする散歩』(中公文庫)を読んだ。最晩年のベートーヴェンのいくつかの作品のような、透徹したフモールが行間からこんこんと湧いていることに、僕たちは気づかされる。そしてやはりあの老楽聖と同じような、自分自身を含めたありとあらゆる事象を他人事として、「―でないものとして」眺める冷徹な視線(あるいは可笑し味)がこのエッセーの主成分なんである。

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プレヴィンは第1楽章をかぎりなく「モダン」に、メタリックに響かせる。このようなマチエールはたとえばハイティンクの録音とは微妙に異なるし、あるいはここ何年かウェブラジオで耳にする何例かのすっきりとしたライヴとも違っていて、コンドラシン(世界の中心で Я туточки!と叫んだけもの)のカウンターパートとしての西側録音の金字塔と言っていいのだろう。

この詩をものしたエフトゥシェンコは「ユダヤ人でない/ユダヤ人ではないがゆえにユダヤ人として反ユダヤ主義者に憎悪される」という視点からこの詩をものし得たのだから、ロシア人でない指揮者とオーケストラと合唱団によって紡ぎ出されるショスタコーヴィチはまさに、そのことによって強靱な価値を持っている。

第2楽章に漂うヒンデミットみたいな冷笑はとても不思議な感触だ。旅芸人のフルートに導かれてくるショスタコーヴィチらしいユニゾンも、なんだかセルフパロディみたいに薄膜が掛かって距離感がある。しかし、だからといって物足りないわけではないのだ。全力でスケルツォをやるソヴィエト流の演奏とは、ただ、全然違う。

そして第3楽章のあちこちで聴こえる花が咲いたような幸福な音響は、第4楽章で語られる【恐怖】を先取りしているようにしか思えない。このお花畑ふんわり感は【言いがたい恐怖】を表していないか?この第4楽章の背景処理の、ブリテンのように冷たく湿った様子は。
第5楽章でむしろ明るくなりすぎないのは予測通りで、希望のクスリで明るい未来を望みたいソヴィエトの指揮者たちはみなこの楽章を大切な孫娘のように優しく扱ったが、プレヴィンはちゃんと冷ややかな視線を忘れない。コーダに至る道筋に配された楽器たちはどこかよそよそしい。

全編にわたり、ソロのペトコフも男声合唱も、生真面目な歌唱を義務づけられている。それが全然おかしくない。

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武田泰淳の言い回しを借りれば、近年N響に来てモーツァルトなんかを震えながら振って帰っていく「半恍惚」状態のプレヴィンがプレヴィンの本質として人びとの記憶に残っていくのは、僕には無念だ。あの老人はかつて、こんなに強いエネルギーを放射して、冷徹にリズムを運び、そして「ソヴィエト製でないショスタコーヴィチ」をこんなに完璧に実現させていた指揮者だったのだ。
by Sonnenfleck | 2012-08-21 06:30 | パンケーキ(20)

プレヴィン/N響 第1710回定期@NHKホール(10/22)

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【2011年10月22日(土) 15:00~ NHKホール】
●メシアン:《トゥーランガリラ交響曲》
→児玉桃(Pf)、原田節(オンド・マルトノ)
⇒アンドレ・プレヴィン/NHK交響楽団


ほかの何でもなく、これは緩慢な愛の交響曲なのだなあ。
スリリングなリズムの饗宴、エロティックな音色の乱舞、そうした要素は結果として付加されうるだけで、本質ではなさそう。僕はこの日までその副次的要素をトゥーランガリラのお楽しみポイントだと思ってきたが、しかと覆された。そういったわけで10月22日はトゥーランガリラ記念日。

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ケント・ナガノのCDが好きな僕からすると、この日の演奏のあまりに悠然とした歩みが、まずたいへん強い違和感を催させたのは事実。(黒色の歩行補助カートを押しながらよろよろと袖から出てきたプレヴィンを見て、「ゆるふわ☆とぅーらんがりら」を覚悟したのは僕だけだったろうか?)
でもただの「ゆるふわ」じゃなかった。ちゃんと聴いていれば、その違和感の理由は単純に音楽の構えがかなり大きいせいなのだということがわかる。拍が整然と揃っているのは明白であって、緩慢ではあるが弛緩しているとは言い難い。目前の楽句に喰らいつくようにして前に進んでいく演奏ではないっつうこった。

あり得なくもなかったはずのことだけど、晩年のクレンペラーがトゥーランガリラを振っていたらどうだったろう。大質量の巨大な立方体がひたすら等速で、すー…っと滑っていくようなあの音楽、あそこからクレンペラーらしい頓狂な発声を無くし、アンサンブルが分離しすぎないよう念入りにブレンドすれば、この日のプレヴィンの曲作りに接近するんでは。

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実は、週日の疲れが出て、全曲の間で5、6回は眠りに落ちたのです。
それは音楽に慈しまれるような、たいへん心地よい眠りでした。

ふと眠りに落ちて、覚めてもまた同じ音型がふあふあしたタッチで続いている。音楽が倦怠と漸進の間の絶妙なバランスを保って、時間を統御しているんだな。
プレヴィンのこの日の音楽づくりを「とろい」と罵るのはとても容易いことだけど、トゥーランガリラ交響曲の本質は、こういう醒と睡のあわひ、停まった時間のなかの緩やかな愛にあるんじゃないかしら、ということを気づかされました。おしまい。
by Sonnenfleck | 2011-10-23 09:07 | 演奏会聴き語り

アリシアおばさんのビスケット

来月の名フィル定期、新しい親方のティエリー・フィッシャーが(ようやく!)登場。
でもそのプログラムが、ちょっと不気味なんですよ。
●ホリガー:《トーンシェルベン》(日本初演)
●ラフマニノフ:Pf協奏曲第3番ニ短調 op.30
●ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
これまでの3回の定期、すべて意味があってあのブッ飛んだ選曲になっていたというのがわかってきたんです。ならばこの組み合わせは?ホリガーとラフマニノフを並べる理由は?ラフマニノフからベルリオーズにつながる理由は?
…考えても今回は全然わからないので、とりあえずラフマニノフの予習しとこうか。

c0060659_814257.jpg【DECCA】 <ラフマニノフ>
●Pf協奏曲第3番ニ短調 op.30
→アリシア・デ・ラローチャ(Pf)
⇒アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団
●同第1番嬰ヘ短調 op.1
→ピーター・カティン(Pf)
⇒サー・エイドリアン・ボールト/
  ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

ラローチャには、2003年5月のフェアウェル・コンサートで(文字どおり)ぐずぐずに泣かされた思い出があります。あのときは確か紀尾井シンフォニエッタの定期に彼女が登場する形で、もともと前半に置かれていたモーツァルトの第23協奏曲が急遽後半に回されたように記憶している。紀尾井ホール全体が異様な雰囲気に包まれていて、隣の兄ちゃんも向こうのおばさんもみんな泣いていた。そんな記憶がラローチャに特別の思いを抱かせます。

この録音を誉めている文章は一度も見かけたことがないんですが、たぶんそれは、ラフマニノフの第3協奏曲に対してフツーの愛好家が期待する快刀乱麻の第3楽章が、まったく柔和な表情をしているからだと思う。僕が持っているこの協奏曲のCDはただこれ一枚きりなので比べようもないんだけども、アルゲリッチとかギレリスとか、バリバリ弾いてしまうであろう名人の演奏にはそんなに興味が湧かない。
ラローチャの演奏の、どこがどういいのか―。この長い録音を通して聴くと、第2楽章のほのかな甘みに惹きつけられるんです。バリバリ派の人々は物凄い量のホイップクリームでデコレーションしていそうな楽章ですけど、ラローチャはあくまで家庭的な微糖。サクサクしたビスケットの歯ざわりが感じられるような気持ちのよいタッチです。

第3楽章のコーダについても風呂敷が広がらない。抑制の効いたプレヴィンのセンスにラローチャの清廉な音が重なって、見栄っ張りにならずに気持ちよく終わってくれる。ロンドン響の音はあんまり魅力的ではないが、却って現実的だな。
by Sonnenfleck | 2008-06-21 08:16 | パンケーキ(20)

on the air:プレヴィン/N響の《ダフニスとクロエ》

c0060659_792374.jpg【2007年9月14日(土) 第1599回N響定期/NHKホール】
<オール・ラヴェル>
●組曲《マ・メール・ロア》
●Pf協奏曲ト長調
→ジャン・イヴ・ティボーデ(Pf)

●バレエ《ダフニスとクロエ》全曲
⇒アンドレ・プレヴィン/NHK交響楽団

もし、もうちょっとお金に余裕があったら、土曜日は名フィルをパスして東京に行き、N響定期を聴いていたかもしれない。しかし「みなさまのNHK」FMは僕らの指定席!ということで、金曜のライヴから後半のダフクロのみ録音して拝聴いたしやした。

これは「(鋭いリズムや鮮やかな分離感ではなく)ラヴェルが配合した完璧な響きの感触を楽しませる/またお客はそれを積極的に感じ取って楽しむべき」という演奏を志向しつつも、ライヴならではの制約からオケのメカニックが今一歩及ばず、結果としてあとちょっとだけ微妙に物足りないところに落ち着いてしまった、そんな感じの演奏なんじゃないでしょうか。。

第1部の冒頭、〈序奏と宗教的な踊り〉なんか、悩ましいくらい綺麗な音が出てますし、続く〈全員の踊り〉で聴かれる抑制された美しさは特筆すべき事項であります。いやそれどころか、(弦に限って言えば)全曲にわたって素晴らしく柔らかい音が連綿と放出されていて、デュトワ時代を彷彿とさせる。さすがN響、と書いてしまっていいと思う。
全然「グロテスク」に聴こえない〈ドルコンのグロテスクな踊り〉(爽快!)に至って、こちらはこの楚楚とした美しい響きがこの演奏の機軸だ、と思ってしまいます。事実、滑らかで落ち着いた素敵な音のブレンドが立ち上がってきている。。
そうなると、海賊が来る少し前、〈ダフニスの優美な踊り〉のあたりから綻びを見せ始める管楽器が物凄く目立つわけですね。客は―事実いい演奏を目の当たりにして―開始十数分で理想の展開を妄想し始めている。砂場に落ちている石ころと、シルクの上に落ちている石ころと、どちらが許せないかという話になってきます。

誤解しないでいただきたいんですけど、僕はここで管楽器のミスをなじりたいと思っているわけではないのです。期待するものが高いゆえの、N響ならもっとできただろうという残念な気持ち、そして全体の完成度の高さが、部分の瑕に焦点を合わせてしまう原因だと思う。
第2部は総じて完成度が高く、〈戦いの踊り〉が大変ノーブルな音楽になっていて驚きます。これはもうプレヴィンのセンス勝ちだよなあ。
第3部へはあっさり突入。〈夜明け〉の部分は相変わらずシルキーな手触りなのに、石ころがポツポツ落ちていて実に残念。実に惜しい。室内楽的な響きを残した繊細な〈無言劇〉を通り過ぎて(ここのパフォーマンスは細い旋律線が全体に少しずつ、美しく溶け合っていて、この日の演奏の中で最も素晴らしかった)、〈全員の踊り〉も興奮を抑えて◎。デュトワの鮮やかで官能的な(しかし十分に理知的な)演奏よりも、さらに理性と溶け合いと落ち着きを重視した和食系ラヴェル、とすれば座りがよいか。
by Sonnenfleck | 2007-09-19 07:13 | on the air

300km/hで疾走する薔薇

c0060659_102072.jpg九州から帰りの新幹線、iPodでプレヴィン/VPOのシュトラウスを聴いていました。と言ってもTELARCの交響詩ではなく、DGに録音された「組曲集」のほう。こちらも有名なCDですよね。

《薔薇の騎士》組曲ももちろんエレガントでセレブでラグジュアリーでいいんだけど、昨日は《インテルメッツォ》《カプリッチョ》の音楽が沁みました。この2作品の間には18年の歳月が横たわっていて、その間にシュトラウスのアクがどれくらい抜けてしまったかというのが残酷にもわかる仕組み。前者は才気煥発、ちょっと新古典的なリズム感が演奏でもよく表現されているのに対し、後者では抑制された夕映えの雰囲気をちゃんと表現しているのが憎たらしいです。ウィーン・フィルのマニアはこういうところに心惹かれるのでありましょう。

で、帰宅してからもう一度、今度は音量をかなり小さめに絞って聴いたら、さらに美しかった。
iPod難聴まっしぐらですね。気をつけよう。

(以下どうでもいい板ばさみ)
悪い冗談だと思っていたんですが、スカイ・クロラが本当に映画化されてしまうらしい。許諾した森博嗣に深く失望。スカイ・クロラは森の傑作、あれだけでとんでもなく洗練された自閉的世界だし(シリーズ化したのがそもそも失敗だろう)、だいたい原作もナ・バ・テアから急激に失速して、ダウン・ツ・ヘヴンは安い恋愛ものになっているのがまったく気に入らない。
…でも映画は見に行ってみたい何このジレンマ。
by Sonnenfleck | 2007-06-23 10:32 | パンケーキ(20)

あひるんるん、マシン、遠い春

アフラックの《アヒルのワルツ》が廻っている…ああいう簡単な有節歌曲は頭から消えるまで時間がかかるのです。。
CMだと宮崎あおいが歌ってるような感じがするんですが、ググったところマユミーヌという別の女性シンガーが歌っているらしい。耳に残る柔らかい声ですね。

c0060659_763728.jpg平生、何かテンパることがあると、プロコ5番の第4楽章コーダがループし始めることが多いのです(ウッドブロックが決め手か>脳内蓄積サンプルはたぶんセル/クリーヴランド)。簡単なリズム・オスティナート、簡単な旋律、最後の音符から最初の音符へ戻り易い、こういう条件が揃っているともうグルグルし始めて止まらない。
プレヴィンのプロコフィエフはエッジがふんわりと甘いせいか…微温的な姿勢を感じるので普段好んで聴くことはないんですが(録音もぼんやりしててマイナス)、うららかで暖かい日にはちょうどいいです。ちょうどいいのですが今年は春が来ません。。突然寒くなっちゃったなあ。
もうちょっと暖かくなったら《石の花》でも…。
by Sonnenfleck | 2007-03-14 07:09 | パンケーキ(20)

本日の雪もペザンテ

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昨日から実家に帰省してます。名古屋を出発する時点ですでに雪だったので(!)冬らしさは幾分新鮮味を欠きましたが、吹雪いてるときの風の独特の匂いはやはり田舎ならでは。

実家に帰ったときはCDじゃなく進んでLPを聴くんですけど、今日は何やらプレイヤーの様子がおかしく、ターンテーブルが回らない。。
寿命かなと思いながらも恐る恐るプレイヤーを開けて、テーブル下のゴムをいじること四半時…。いつも音盤の神様に多額の寄付をして功徳を積んでいるおかげでしょう(笑)無事に回転してくれまして、思わず嬉しくてプレヴィン+コステラネッツの《ラプソディ・イン・ブルー》をかけちゃいました。
この曲の刷り込み演奏、何度聴いてもプレヴィンの鋭いピアノとコステラネッツ楽団の洒落た音に惚れ惚れする。このセンスの前ではバーンスタインはどうしようもなくトロいし、プレヴィン本人の後年の再録音ですら霞む感じです。CD復刻はされてるのかしら…。

さて予告していた2006年回顧・DSCH編ですが、下書きを名古屋のPCに入れたまま秋田に帰ってきちゃいまして。再構成するのも面倒なので、作曲家生誕101年を間抜けに祝うエントリとして年明けにUPしようと思います。。

さーて今夜も飲むぞっ。
by Sonnenfleck | 2006-12-30 17:42 | 日記