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熱狂の復習―5月4日(土)その1|ぐらぐら煮えるよホットミルク。

c0060659_20495474.jpg【234】5/4 1630-1715 B5〈ミシア・セール〉
<フォーレ「夜想曲」全曲演奏その1>
●夜想曲第1番変ホ短調 op.33-1
●夜想曲第2番ロ長調 op.33-2
●夜想曲第3番変イ長調 op.33-3
●夜想曲第4番変ホ長調 op.36
●夜想曲第5番変ロ長調 op.37
●夜想曲第6番変ニ長調 op.63


【235】5/4 1815-1900 B5〈ミシア・セール〉
<フォーレ「夜想曲」全曲演奏その2>
●夜想曲第7番嬰ハ短調 op.74
●夜想曲第8番変ニ長調 op.84-8
●夜想曲第9番ロ短調 op.97
●夜想曲第10番ホ短調 op.99
●夜想曲第11番嬰ヘ短調 op.104-1
●夜想曲第12番ホ短調 op.107
●夜想曲第13番ロ短調 op.119

⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


今年のLFJでこの2コマをどうしても取りたかったのには理由があって、2010年9月にマルタンが東京と名古屋で開催した「パリ・至福の時」のパイロット版、「ル・ジュルナル・ド・パリ」で聴いたペヌティエのフォーレがどうしても忘れられなかったからである。
当時の感想文にはこう書いてある。
◆夜想曲第11番を聴いて
ペヌティエのフォーレは何かの啓示だった。おじいさんと一緒にホットミルクを飲むみたいな。
手にしたマグの中身がホットミルクになるまで、何がしかの何かがあったのだろうけども、孫たる聴き手はビターな何かを感じても、その正体は掴めない。ペヌティエの静かな語り口は、そのようであった。

◆夜想曲第13番を聴いて
フォーレは、おじいさんのホットミルクが最後にもう一度だけマグの中でぐらぐらと煮え立つような、たいそう胸苦しい音楽であった。
いったいフォーレとは何者だったか。ペヌティエは自分で考えろと言った。
+ + +

ブラームスの晩年の作品が「男くさい諦念にあふれる」と評されることが多いこの世界で、フォーレに触れるひとは少なく、この作曲家は相変わらず孤高の存在のままである。
かくいう僕もフォーレのピアノソロ作品にあまり近寄らずに来たので、大きなことはまったく言えないのですけれど、ペヌティエの演奏を聴いていると、フォーレのなかにある諦観の実直さ、実直さゆえの自責のようなものを強く感じたのであった。

まさにそれこそが味わいなので、貶めるつもりは毛頭ないのですが、ブラームスは最後の薄皮一枚のところで「諦めてる俺(ちょっと)かっこいい…!」みたいな自尊心がひとつまみ分混入してるんだよね。
フォーレはこの「俺(ちょっと)かっこいい…!」がない代わりに、実直な回顧を続けるなかでふと、諦めてしまった過去の自分を責めるようにギリギリと奥歯を噛んだり、胸を掻きむしったりするような自傷っぽい痛みがあって、聴き手を何とも言えない気持ちにさせる。

ペヌティエのタッチは特段の快刀乱麻でもなければ怜悧な刃物でもない。でも彼のフレージングやペダリングによって、フォーレ特有の悔悟フレーズに付与されるエネルギー量は相当なもの。五線譜の行間がグラグラっと煮えたぎるような瞬間が確かにあるのだ。

作曲された順番にフォーレの手記を聴いていく。フォーレは全部で13曲のノクターンを残したのだが、第8番くらいまでは甘美なメロディを「悔い」が遮って、また甘美なメロディが戻るというような緩やかな三部形式構造になっている。形式を意識するのでそこに乗っかる荷物はまだ多くない。
ところが第9番以降、形式は感情の赴くままに乱れ、パッセージは複雑に入り組み、ノクターンは自責に苛まれ自傷を繰り返すような大質量の音楽に変容してゆく。特に第11番からの3曲は圧倒的に胸苦しい。聴いていてうなだれてしまう。そんな音楽。ペヌティエは第13番だけ暗譜だったが、抑制的な思弁が一度思うさま乱れればどうなるか、ということを示してくれた。丁寧なタッチは激しく乱れる。

フォーレはフォーレ以外とずいぶん違った音楽を書いたが、それは他の誰かから発したものでもなく、また、その後は他の誰にも伝わらなかった。それでよいのだし、僕はそういえば、そんなフォーレが大好きなのだった。
by Sonnenfleck | 2013-05-13 20:54 | 演奏会聴き語り

[感想文の古漬け]JFJ2012|やみのランプ→そしてスクリャービン伝説へ…(5/3)

書きかけのまま放っておいた感想文を、ぬか床から引っぱりあげる試み。

+ + +

その1(アレンスキー→シュニトケ→ペルト)その2(ラフマニノフ→チャイコフスキー→ラフマニノフ)からいちおう続いている。

c0060659_6123915.jpg【156】5/3 1945-2030 ホールD7〈パステルナーク〉
<クレール・オプスキュール>
●チャイコフスキー:《ドゥムカ》op.59
●プロコフィエフ:Pfソナタ第2番ニ短調 op.14~第3、4楽章
⇒イーゴリ・チェチュコフ(Pf)

●ムソルグスキー:《展覧会の絵》~プロムナード
●スクリャービン:前奏曲ホ長調 op.11-9
●同:前奏曲嬰ハ短調 op.11-10
●同:練習曲嬰ハ短調 op.2-1
●同:前奏曲ロ長調 op.16-1
●ムソルグスキー:《展覧会の絵》~プロムナード
●チャイコフスキー:《四季》op.37bis~6月〈舟歌〉
⇒シャニ・ディリュカ(Pf)

●ラフマニノフ:エレジー 変ホ短調 op.3-1
●バラキレフ:《イスラメイ》
⇒広瀬悦子(Pf)


数年前から始まって人気を博している「クレール・オプスキュール」を初体験。
ピアニストが誰だかわからないのはいいとして、演奏されている曲名だけはわかるものだと勝手に思ってたら、曲目リストも存在しなかった。真っ暗闇のなかで小一時間の「ひとり・様式判断大会」になってしまって少なからず消耗(笑)

チャイコフスキーの《ドゥムカ》をクープランだと思ってしまったのはかなり恥ずかしい…。音楽学的には聴取による様式判断はもっとも信頼できない判断手法なので、インクや楽譜の紙質で判断しなきゃいけないんだもんね!ふん!

プロコフィエフとバラキレフは大熱演でした。かっこいい。

【137】5/3 2200-2300 ホールB5〈ツルゲーネフ〉
<スクリャービン最後のリサイタル>
●前奏曲変ニ長調 op.35-1
●前奏曲変ロ長調 op.35-2
●4つの前奏曲 op.37
●前奏曲ト長調 op.39-3
●マズルカ ホ長調 op.25-4
●練習曲変ロ短調 op.8-7
●ワルツ 変イ長調 op.38
●Pfソナタ第3番嬰ヘ短調 op.23
●ニュアンス op.56-3
●やつれの舞曲 op.51-4
●前奏曲 op.74-4
●前奏曲 op.74-2
●前奏曲 op.74-1
●2つの舞曲 op.73
●不思議 op.63-2
●Pfソナタ第4番嬰ヘ長調 op.30
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


毎年のことながら22時台のコンサートは疲れてウトウトする確率が高まる。それでもチケットを買ってしまうのは、深い時間帯ならではの熱い聴衆がいるからである。

ペヌティエのスクリャービンは彼のフォーレと同じようにどこまでいっても端正で型崩れせず、しとやかで貴族的で、おじいさんと一緒に飲むホットミルクだった。折り返しとなる第3ソナタから先は僕自身の集中力が持たなかったので、後期スクリャービンですら貴族的世界に帰属することになっていたのかどうかは、残念ながらわからなかったけれども。ミルクは煮えていたか?

+ + +

今年のLFJは天候不順で、取り上げられた音楽も夏のネヴァ川のようにじめじめしたもの(想像)が多数を占め、地下2階の展示スペースにすらレールモントフ風のどんよりとした停滞感が溜まっていたが、これはこれでけっこう好みなのであった。

・映画《リア王》が観られなかったこと
・会場配布のプログラムの品質が急激に悪化したこと

の2点は残念だったこととして書いておく。
来年もこっそり参加することだろう。なにしろスペインだもの。
by Sonnenfleck | 2012-12-07 06:14 | 演奏会聴き語り

ル・ジュルナル・ド・パリ(9/20)

c0060659_21573915.jpg【公演9 2010年9月20日(月)14:00~15:00】
●ラヴェル:4手のための《マ・メール・ロワ》
⇒アンヌ・ケフェレック+児玉桃(Pf)
●ドビュッシー:《前奏曲集》第1巻より
 〈デルフォイの舞姫〉〈帆〉〈雪の上の足あと〉
 〈亜麻色の髪の乙女〉〈パックの踊り〉〈吟遊詩人〉
⇒クレール=マリー・ルゲ(Pf)
●同:《前奏曲集》第1巻より〈沈める寺〉
●同:《前奏曲集》第2巻より
 〈オンディーヌ〉〈月の光がそそぐテラス〉〈花火〉
⇒アンヌ・ケフェレック(Pf)


桃氏の柔らかい低音パートに、ケフェレックの怜悧な打鍵による高音が輪郭を施していく。《マ・メール・ロア》が理想的な名演奏だったなあ。この作品のまったき本来の姿である連弾版は、ライヴで出会うことが極端に少なく、千載一遇の好機を逃さずに済んだ。
〈美女と野獣〉の暖かさも格別だったけども、〈妖精の園〉の気高い佇まいには昇天の心地せり。じぃんと痺れて拍手もままならず。

ルゲ嬢の前奏曲は地上的にして生活的で、あれもドビュッシーの一側面かもしれなかった。大掴みの和音が逞しい。
かたやマダム・ケフェレックの前奏曲は、峻厳な居ずまいがどこまでも鋭く尖り、軽い疲労感を感ずるほどなのですな。〈花火〉は〈火花〉であった。

+ + +

【公演10 2010年9月20日(月)16:00~17:00】
●ドビュッシー:《前奏曲集》第2巻より
〈霧〉〈枯れ葉〉〈ヴィーノの門〉〈ヒースの草むら〉
〈風変わりなラヴィーヌ将軍〉〈ピックウィック卿をたたえて〉〈カノープ〉
⇒クレール=マリー・ルゲ(Pf)

●フォーレ:舟歌 第10番イ短調 op.104-2
●同:舟歌 第11番ト短調 op.105-1
●同:夜想曲 第11番嬰ヘ短調 op.104-1
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


ルゲ嬢のいくつかの前奏曲は(〈ラヴィーヌ将軍〉とか)、打鍵がきつすぎ、無理に自分を大きく見せようとしているみたいで少し居心地が悪かった。等身大でオーガニックな〈ヒース〉、とってもよかったのにな。

ペヌティエのフォーレは何かの啓示だった。おじいさんと一緒にホットミルクを飲むみたいな。
手にしたマグの中身がホットミルクになるまで、何がしかの何かがあったのだろうけども、孫たる聴き手はビターな何かを感じても、その正体は掴めない。ペヌティエの静かな語り口は、そのようであった。

+ + +

【公演11 2010年9月20日(月)18:00~19:00】
●フォーレ:即興曲 第6番変ニ長調 op.86
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)

●ドビュッシー:4手のための《古代のエピグラフ》
⇒児玉桃+クレール=マリー・ルゲ(Pf)
●同:《12の練習曲》第1巻より〈4度音程のための〉〈8度音程のための〉
●同:《12の練習曲》第2巻より〈半音階のための〉〈反復する音符のための〉
⇒アンヌ・ケフェレック(Pf)


《エピグラフ》まで睡魔強襲。個人的この夏のテーマソングだったので無念。

さてもマダム・ケフェレックの弾くエチュードの凄まじさよ。彼女のストイックさとドビュッシーが考えていたモダニズムが化学反応を起こして、厳しい「かたち」ができあがってきた。触れるものを拒む。聴き手は遠巻きに万雷の拍手。

+ + +

【公演12 2010年9月20日(月)20:00~21:00】
●ドビュッシー:語りとピアノのための《おもちゃ箱》
⇒石丸幹二(朗読)+児玉桃(Pf)

●フォーレ:夜想曲 第13番ロ短調 op.119
⇒ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)

●ラヴェル:VnとPfのための《フォーレの名による子守歌》
⇒フィリップ・ベルナール(Vn)+ジャン=クロード・ペヌティエ(Pf)


最終公演。入りは本日最多やも。
《おもちゃ箱》がちゃんとして上演されるのはそうそうないことだろうから、これも貴重な体験だった。兵士の物語に似た他愛ない筋だけど、ヴァイオリンを持った悪魔がぶち壊していかないのと、ドビュッシーの甘く冷ややかな音楽のために、後味悪からず。桃氏の柔らかい音もそれを手助けする。

そのあとのフォーレは、おじいさんのホットミルクが最後にもう一度だけマグの中でぐらぐらと煮え立つような、たいそう胸苦しい音楽であった。
いったいフォーレとは何者だったか。ペヌティエは自分で考えろと言った。

ラヴェルがエピローグを書く。じんわりとした小品だったけど、しかし決定的にラヴェル工房のクリスタル。ヴァイオリンとは不思議な音のするものよな。
by Sonnenfleck | 2010-09-22 22:29 | 演奏会聴き語り