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晴読雨読:ルネ・マルタン+高野麻衣『フランス的クラシック生活』

この本でクラシックと出会うひとは幸せだと思います。何しろ、誰々のブルックナーなど聴きにいく方がわるい、とか、邪悪、とか、もうそういうのやめにしませんか、ということをきっぱりと示した、気高い本なものだから。
クラシックを聴こうとしているひとに、僕はこれから、この本をプレゼントすることにしたいと思う。そういう本が見つかってとても嬉しい。

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c0060659_8344393.jpgルネ・マルタン+高野麻衣『フランス的クラシック生活』、2011年、PHP新書。

「電車内読書のお供に」「5月、友だちを家に招いて」「秋、散る落ち葉を眺めながら」「つまらないデート、つまらないケンカ」「静かな夜の音楽」といったシチュエーションごとに、シチュエーションに寄り添う音楽をルネ・マルタンが薦め、それを受けた解説や、解説からの楽しい逸脱を含むエッセーを高野さんが記していくというスタイル。マルタンの名前が大きく出ているが、実際は半分以上のセンテンスを高野さんが担当しておられる。

この本の主役は、あなたです。洋服も、お茶の時間も、ちょっぴり物語を意識して演出してしまうようなあなたです。そうした方たちと、音楽についておしゃべりする―これがまさに、ルネに教えてもらったフランス語「partager(分かち合う)」だと思うのです。それは、
「美しい音楽を見つけたよ。この音楽の裏にはこんな物語がある。最高の演奏だから、君に聴いてほしい」
そんな、軽やかで自由な連帯感です。自由であるからには、「本物」を伝える責任が大前提としてあります。しかしそれは、知識をひけらかしたり、自分と違う聴き方を見下したり、好みでないものの悪口を言ったりする態度とは対極にあります。そこには本物の音楽の姿があると、私は信じています。

高野さんは、あとがきでこのように表明されている。

ルネ・マルタンはLFJで用意するプログラム・演奏家に関し、絶対に手を抜かない(今年はいろいろ不幸が重なったが)。たとえお客さんが、初めてクラシックに触れる子どもたちや家族連れであっても。2005年のベートーヴェンのときに僕がもっとも驚いたことのひとつは、そこなんだよね。
これまでのライトなクラシック入門書は、この点に関して圧倒的に弱かった。パッヘルベルのカノンに、モルダウに、花のワルツに。演奏はなに、全部カラヤンでいいや。初心者には初心者向けの音楽を当てとけ。。手加減と見下しは表裏一体。

そして、なお悪いことに、この次のステップにある数多のディスクガイド本が、知識をひけらかし、あるいは悪口を言うものばかりなのだな。ここに読者の背伸びが加わると、無知は恥だと、悪口は当然なのだと、そういうドロドロした流れができ、ほら、あっという間に一人前のクラヲタができあがる。

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マルタンも高野さんも、シチュエーションに合わせてクラシック音楽の「雰囲気」を楽しむ、ということを衒いなく勧めている(僕だって、クラシックを聴き始めたほんとうに最初のころはそうやって楽しんでたじゃないか!)。そしてシチュエーションのセレクトはひとつひとつ洒落ている。
もちろん、選曲や推薦する演奏に関して、マルタンはこの入門書でもまったく手加減していない。最初のシチュエーション「晴れた朝、窓を開けて」に対する選曲からして、ロドリーゴの《アンダルシア協奏曲》←アランフェスじゃないですからね。運命も未完成も新世界もなくて、その代わりにシューベルトのトリオやショスタコーヴィチのワルツが入っている。

ぼくの選曲は誰にも媚びない、ぼくだけのもの。麻衣さんのコラムだってそうだし、あなたもそうであっていい。それは洋服の着こなしといっしょで、真似をしながら、少しずつあなたのオリジナルになっていくものだ。
だからこそ分かち合おう。すてきなクラシックは、あなたのすぐ隣にある。

と、マルタンの言。いいこと言うじゃない?日本の音楽おじさんたちの中からついにこういう本が生まれなかったのは、残念だけども。

[参考リンク]乙女のクラシック | GIRLS GUIDE to Music, Movie & Books
by Sonnenfleck | 2011-05-08 08:41 | 晴読雨読

精神と時のお買い物XXV(ラフォルジュらない)

ゴールデンウィークが始まった。僕は暦通りに出勤するので、却って気負いもなく過ごしている。こんなに平穏なGWは久しぶりだ。

ラ・フォル・ジュルネそのもの、というより、キャンセルや払い戻し騒動を見ていて、「ラ・フォル・ジュルネを取り囲んで縛り上げている首都のクラヲタ的なもの(もちろん自分も含む)」から距離を置きたくなったので、今年は「本体」には一切参加しないことにした(今やB5の廊下で一歩ごとにHP-1の気分)
鳥栖とか金沢に出かければ、どくけしそうが手に入るんだろか。

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【disk UNION 吉祥寺店】
1 バッハ:鍵盤楽曲集(DENON) *フッソング
2 ドヴォルザーク:Pfトリオ全集(PHILIPS) *ボザール・トリオ
3 マーラー:Sym#1(EXTON) *ホーネック/ピッツバーグ響
4 ヒンデミット:室内音楽全集(EMI) *アバド/BPO

【HMV】
5 バッハ:ヨハネ受難曲(ZIG ZAG) *アレ/ラ・シャペル・レーナン
6 CPE. バッハ:Cem協奏曲集(HMF) *シュタイアー+ミュレヤンス/FBO
7 JC. バッハ:ソナタ集(Passacaille) *フィゲイレド
8 LvB:交響曲全集(naive) *クリヴィヌ/ラ・シャンブル・フィラルモニク
9 J. シュトラウス:こうもり(DGG) *C. クライバー/バイエルン国立O
10 タンスマン:鍵盤楽曲集(NAXOS) *レイエ
11 ショスタコ:Sym#3&10(MARIINSKY) *ゲルギエフ/マリインスキーO

【高田馬場 タイム】
12 コレッリ:トリオ・ソナタ集 op.3(Smithsonian Institution) *スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ

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⇒1。アコーディオンのバッハはなぜ好いか。
 このまえ聴いたショスタコで俄然注目するホーネックのマーラー、3。
 4。専らヒンデミットに、仕事帰りの荒れた心を慰められるようになっている。

⇒5はもう感想文書きました。息子さんたち6&7。
⇒8はね。けっこう期待してるんすよ。古楽器のLvB全集ってインマゼール/アニマ・エテルナで完成しちゃったと思うんだけど(極論かな)、クリヴィヌはそうじゃないものを追求してるんじゃないかという気がしてて。

⇒それから9。なんであんなにみんなクライバーってひとのことが好きなのか、あんまり実感が沸かないので、本腰入れて聴いてみることにした(単純に、活躍してるのを直接見聞きしたかどうかの違いのような気はするけど)

⇒11。これまで慎重に第10交響曲を避けてきたゲルギエフだが、ようやくの録音となった。果たして熟成が吉と出るか凶と出るか。

⇒ちょっと嬉しい12の発見。ユングヘーネルのテオルボがセクシー。
by Sonnenfleck | 2011-04-29 12:48 | 精神と時のお買い物

熱狂の復習―【178】ネムタヌ+ドマルケット+シャマユ(5/3)

ポゴさん@サントリーの感想文は、とりあえず措いといて。

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c0060659_23205550.jpg【178】5/3 2015-2100 G409〈グジマワ〉
●シューマン:Vnソナタ第1番イ短調 op.105
●メンデルスゾーン:Pf三重奏曲第1番ニ短調 op.49
⇒デボラ・ネムタヌ(Vn)
  +アンリ・ドマルケット(Vc)
  +ベルトラン・シャマユ(Pf)


5月3日の二公演め。
群衆の中で休息を取るのは非常に難しいということが過去5回分の経験からわかったので、朝一アンタイの後、すぐに会場を脱出して、近くの秘密の隠れ場所に潜伏。夕方からは友人たちと合流して、東京駅南のほうで寿司をつまんだり、ビックカメラで家電を見たりして、夜までの時間を消化する。(うわさの羽レス扇風機、一度見たほうがいいですよ。凄いですよ。)

さてこの公演のチケットは、正直に言ってしまうと、【183】アラ・ポロッカまでのつなぎのつもりで入手したものだったんです。奏者は全員知らないし、まあでもメントリ1番が聴けるんならいいなあ、というくらいで。
でも、これだからLFJは面白い。
5月3日に聴いた三公演の中で、この時間が最も濃密で、素晴らしかった。

まず、シューマンの第1ソナタ。この曲は実は初めて聴いたんだけども、馥郁たる浪漫が立ち昇るシューマンらしい(しかしそんなにビョーキっぽくない)音楽で、これまで知らずにいた贅沢を噛み締めるほかなし。
ネムタヌという若い女性ヴァイオリニストは、あの響かないGの空間でも柔らかい音を維持できる右腕の持ち主で、五月の薫風のように空間を撫でる。お菓子みたいな名前のシャマユというピアニストも、細心の注意を払って部屋の大きさに見合うアーティキュレーションを実現させる。第3楽章で冒頭から上昇しすぎた結果、終盤でそれ以上に持っていけなくなり、全般に少ーしだけ平板になってしまった以外は、とても素晴らしいライヴだったと言えるだろう。おしまいで第1楽章の主題が静かに戻ってきたときは、思わず泣けてしまった。

で、Vcのドマルケットが加わってメンデルスゾーンの第1トリオ
常設のトリオじゃないのに、リハも満足にできないと言われるLFJで、この完成度!両端楽章で登り詰めた高みは、メンデルスゾーンを軽んじる多くの日本人クラヲタにリピート再生を義務づけたいくらいだな。
全体に漂う重量感は、C線に独特のソリッド感があるドマルケットに理由が求められそうだけど、ここでは曲調の要請もあってシャマユのPfが表層に浮かび上がることも多く、彼の爽快な音質が全体を一段階上に掬い上げたのは間違いない。ネムタヌ嬢は重量を男二人に任せて、よりいっそう開放感のあるスタイルに移行する。

この公演はアーティストの立ち見がずいぶん多かったのも不思議で、彼らの歓呼も混じって万雷の拍手へ。本当にいいロマン派の音楽を聴いた。
by Sonnenfleck | 2010-05-07 23:24 | 演奏会聴き語り

熱狂の復習―【131】アンタイ 平均律クラヴィーア曲集アラカルト(5/3)

c0060659_8572157.jpg【131】5/3 945-1030 ホールB5〈ジョルジュ・サンド〉
●バッハ:平均律クラヴィーア曲集
⇒ピエール・アンタイ(Cem)


いやあやっぱりこの人、変だなあ。破調の美だなあ。
好き、ではない。自分とはまったく呼吸が合わない。
けれど心惹かれる。

日曜日の朝一番のライヴであるから、そのことを差し引いておくべきとは感ずるものの、何曲かは譜読みを並行させているとしか思えないような様子で、バッハのオテホンを聴きに来た小学生もたじろぐしかない。
しかしその一方で、掌中にあるらしい何曲かでは妖しく美しい「歪み」が発現しているんだよなあ。取り上げられるのが何巻の何調で、というのは終演後も発表されなかったし、僕も詳しくないのでわからなかった。残念。

いくつかのプレリュードはマックてりやきバーガーのように結合がゆるゆるで、今にも結合がほどけてしまいそうだったかと思えば、逆にいくつかのフーガは、小型火器のように硬く残忍なフォルムを保持している。
破調と日曜朝の摩訶不思議な合一、折悪しく鳴ってしまった携帯着信音を睨みつけるアンタイの死の視線、その後の仏頂面まで含めて、コンセプチュアル・アートのような45分間でしたな。

カーテンコール後、アンタイ目掛けて一目散に駆け寄るマルタン萌えす。
by Sonnenfleck | 2010-05-03 09:19 | 演奏会聴き語り

平成22年度熱狂計画

今年は本当に不参加のつもりだったんです。<ショパン>だからっていうよりも、とある(そして自分もその成員であるところの)層が家族連れに対して嫌な顔をしていたり、義務的にハシゴしていたりするのを目にするのがもう嫌で。要は「鏡を見たくない」っていうことだから、このワガママの唯一の解決方法は、自ら参加しないこと、なんだよね。
したがって有料公演スケジュールにも全然目を通してなかったんだけど、いざ近づいてくると、過去数年分の楽しかった思い出ばかりがすすすーっと脳裏に浮上するので、一日限定で足を運ぶことにした。ごめんなさい。なるべく迷惑を掛けないようにひっそり行動するので許してください。

◆5月2日(日)
・131 アンタイ 平均律クラヴィーア曲集アラカルト [B5]
・178 ネムタヌ他 シューマン+メンデルスゾーン [G409]
・183 リチェルカール・コンソート “アラ・ポラッカ”の夜 [みつを]

結果、チャーシューラーメンのチャーシュー抜き、なのです。
by Sonnenfleck | 2010-05-01 08:35 | 演奏会聴き語り

熱狂の復習―5月5日(火)

c0060659_8441950.jpgいよいよ最終日です。夜までもってほしかった天気、思いも空しく昼すぎからポツポツとし、夕方にはザーザー。

【351】5/5 1000-1045 ホールD7〈ミュールハウゼン〉
●ブクステフーデ:Vn+Gam+BCのためのソナタ ヘ長調 op.1-1 BuxWV252
●C.P.E. バッハ:6つのトリオ・ソナタ Wq.89~第2番
●ブクステフーデ:Vn+Gam+BCのためのソナタ ト長調 op.1-2 BuxWV253
●ゴルトベルク(伝バッハ):2つのVnとBCのためのソナタ ハ長調
⇒トリオ・ショーソン


こういうガチな作品をモダン楽器のモダン演奏で聴くのは、今回のLFJではこの公演だけに絞っていましてです。ヲタ的には面白い体験になりました。
トリオ・ショーソンは昨年のシューベルトのPfトリオの演奏ですっかりファンになったグループです。はっきりいってかなり優秀なアンサンブルなのですが(僕は彼らのショスタコーヴィチをぜひとも聴いてみたい)、メガネ男子3名が相変わらず楽しそうにアイコンタクトを交錯させながら、ブクステフーデもCPEもゴルトベルクも全部彼らの流儀で演奏してしまいます。

つまり、彼らはアーティキュレーションを無理にピリオド化しません。VnとVcはガンガンにヴィブラートを掛けるし、Pfは(多少の装飾は入れていそうなものの)表情の多くをデュナーミクやペダリングに拠っています。それが「大古楽祭り」の中では逆に新鮮で、彼らの流麗なスタイルによってたとえばブクステフーデの古雅なテクスチュアが再現されると、一気にシューマンみたいな翳りが現出。その空気の濃密さに変な汗が出る。
そろそろ一回転してこういうのを真面目にやる(そしてそれが大いに成功する)モダンのアンサンブルが出てくるんじゃないかと思ってるんですが、トリオ・ショーソンは自らこの企画を立てたのだろうか?それともマルタンの仕込み?

【322】5/5 1115-1200 ホールB7〈ケーテン〉
●ラインケン:トリオ・ソナタ集《音楽の園》~パルティータ第1番イ短調
●ブクステフーデ:2Vn+Gam+BCのためのソナタ ハ長調 BuxWV266
●バッハ:Gam+Cemソナタ ホ短調 BWV1023
●ゴルトベルク(伝バッハ):2つのVnとBCのためのソナタ ハ長調
⇒リチェルカール・コンソート
  フランソワ・フェルナンデス(Vn)、ソフィー・ジェント(Vn)
  フィリップ・ピエルロ(Gam)、エドゥアルド・エグエス(Lt)、フランソワ・ゲリエ(Cem)


同じようにトリオ・ショーソンからハシゴされた方、いらっしゃいますか。
偶然にもほぼ同じ編成の作品が並んだことから、この午前は「右の新星vs左の重鎮」みたいな構図になりました。左の重鎮さんたちは、ナチュラルに巧すぎてコメントのしようがない。今回のようにまとめていろんな古楽アンサンブルを聴くとそれぞれの個性が浮かび上がりますけど、ピエルロがガンバを弾いて参加するときのリチェルカール・コンソートは響きが適度に湿っていて、まさしく呼吸するように音楽を流します。
それから、右にも左にも柔軟に嵌り込むブクステフーデの奥深さに感激した。

+++

【343】5/5 1400-1445 ホールC〈ライプツィヒ〉
●バッハ:カンタータ第93番、第178番
⇒ピエール・アンタイ/ル・コンセール・フランセ


【344】5/5 1545-1645 ホールC〈ライプツィヒ〉
●J.L. バッハ:組曲 ト長調
●ペルゴレージ:《スターバト・マーテル》
⇒ヘンドリックス+テンスタム+ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル


【366】5/5 1730-1815 G402〈ヴァイマール〉
●W.F. バッハ:鍵盤作品
⇒モード・グラットン(Cem)


【336】5/5 1930-2015 ホールB5〈リューネブルク〉
●曲目不詳(どなたか教えてください)
⇒ヒューゴ・レーヌ(Ft)+ピエール・アンタイ(Cem)


体力的な問題も確かにあったけど、思うところあって友人にチケット譲る。

+++

【368】5/5 2045-2130 G402〈ヴァイマール〉
●マルシャン:前奏曲 ニ短調
●シャンボニエール:パヴァーヌ
●マルシャン:シャコンヌ ニ短調
●L. クープラン:組曲 ハ長調
  ~前奏曲、アルマンド、クーラント、サラバンド、パッサカリア
●ダングルベール:前奏曲
●シャンポニエール:サラバンド
●ロワイエ:組曲 ハ短調~アルマンド、〈スキタイ人の行進〉
 ○L. クープラン:組曲 ヘ長調~〈ブランクロシェ氏のトンボー〉
⇒スキップ・センペ(Cem)


雨の降りしきる中、またも有楽町駅に降り立って、ガラス棟のエレベータで4階へ。
開場まで時間があったので、昨年からの疑問を晴らすべく、Rakastavaのshuさんと思われる方に思い切って声をお掛けしました(実は4日のレツボールでもタイミングを見計らっておりました)。もし人違いであったらただの危ない人に終わる恐れもありましたが、、幸いにも予想的中。お会いできて嬉しかったです。ブログ名がセンテンスであり、おまけにHNも長いので、自己紹介がちょっと恥ずかしい(笑)
さて自分としては2009年のLFJにおける最大のイベントなので、期待も思い入れもヒトシオです。思えばフランソワ・クープランを取り上げて以降、このブログでもセンペを追ってきたわけですが、ようやくこの日、センペのソロと合間見えることとなりました。

ガラス棟402は100席程度の小部屋で、チェンバロを聴くには最高のロケーション。あの部屋に集まったお客さんたちも普通のリラックスしたLFJ民とは明らかに様相が違っていて、異様な緊張感が漂います。マジで聴きたい人しか来てない感じ。

ひとつひとつの感想を書くには力が不足しているので、1つの頂点について触れます。
それはルイ・クープランのハ長調の組曲の終曲・パッサカリア。かつて触れたルイ作品集(Alpha)の最終トラックに収まっている作品ですが、当夜はこれが言葉にならないほど強烈な演奏でありました。緩慢にして感傷的な主題が波のように押し寄せて、遠くへ行って、また戻ってくるたびに少し姿を変えて…この「パッサカリア萌え属性」を刺激する枠組みの中に、センペは一歩引いてスマートな装飾を入れてゆきます。装飾の輝きによって枠は若干の膨張を見せるものの、しかし枠が壊れるような「爆演」までは絶対にいかない。枠が壊れるのはルイ・クープランの古雅な様式に相応しくないから。
ところが、最後の変奏がやってくる。
憂鬱ながらも何かを決意したような長調でやってきたこのパッサカリアは、最後の最後で天地が逆転したかのような暗黒の短調に落ち込むんですよ。ここでついに、センペは猛烈なリタルダンドを掛けて枠を破壊します。感傷的主題の色味がすぅっと抜けて、空に灰色の雲がかかる様子を、目の前で体感してしまった。魔術的なシフトダウン―。

ロワイエの〈スキタイ人の行進〉は鉄板な超絶技巧ピースで、センペの「鬼才」タグを十分に満足させる内容でした。およそチェンバロからは聴こえてきたことのないような轟音で、まだ上に、まだ上がるのか、という。もう笑うしかなかったですよ。

アンコールでまたもルイ・クープランをやってくれたのが、個人的には大変嬉しかった。
この曲はやはり上に挙げた作品集に収録されてまして、しかしながら当夜の演奏はその録音よりもずっと横方向に強く引き伸ばされておりました(特に、恐らくトンボーゆえに頻出する問い掛け調のパッセージにおいてです)。深い時間のそれは強い酩酊感を伴う。

終演後には客席にいた曽根麻矢子さんからワインのボトルがプレゼントされ、上機嫌でした。この公演は伝説的だったかもしれない。また日本に来てくれるだろうか?センペ?

【369】5/5 2215-2330 G402〈ヴァイマール〉
●バッハ:《ゴルトベルク変奏曲》ト長調 BWV988
 ○同:コラール《イエス、わが信頼》BWV728
⇒小林道夫(Cem)


この曲で閉じたかった。
小林道夫氏のゴルトベルクをずっと聴いてみたかったんだけど、年末の公演は時期的に厳しくてずっと果たせずにいました。LFJの最終公演にそれが企画されているのを知って、あの雰囲気の中で聴くのはどうなのかなと思ったのは事実―。しかし実際のところ、コルボのマタイでもBCJのヨハネでもなく、あえてこの公演を最後に選んだことに意味を感じているお客さんがほとんどだったみたいで、とても静かな幕切れとなりました。

今年で76歳になんなんとする小林氏の技巧を、単純に1時間前のセンペと比べるのは意味がない。細かい16分音符は音の升目から溢れてしまうことが多くて、しかしそれを最も辛く思っていらっしゃるのは本人だというのが、時折浮ぶ苦悶の表情から窺われます。
しかしその一方で、老獪なアーティキュレーションもあちこちに現れるのです。昆布でダシをとったようなアリアの素朴な味わい(つまり、かなり決然と進行する)。第16変奏のわずかな華やぎ、第22変奏から一段階ボルテージを上げるも、痛切な第25変奏でリュートストップを用いてあちこちをスパークさせることにより時間が止まったような効果を生み出します。
そして第30変奏〈クォドリベット〉。飾り気のない語り口に胸が熱くなって、涙が出てくる。最後にアリアが帰ってくるところも同じで、大仰なテクニックのひけらかしも歌に関する熱いパッションも、特にこの作品の前ではあんまり役に立たない。

拍手に呼び出された小林氏。「アンコールにゴルトベルクを弾いたピアニストをご存知ですか。―ルドルフ・ゼルキン。終わったときには2人しか残っていなかった」とゆったりした笑いを誘い、「今日は数分の曲を弾きます」とおっしゃって、最後にコラール《イエス、わが信頼》を。
これは「バッハ、わが信頼」ではなかったか。
チェンバリストが最後に聴衆へ向かって一言、「おやすみなさい」。
by Sonnenfleck | 2009-05-10 08:55 | 演奏会聴き語り

熱狂の復習―5月4日(月)

c0060659_9233366.jpg前夜は早めに休み、満を持して2日目。

【231】5/4 0945-1030 ホールB5〈リューネブルク〉
<フランス風ソナタ&組曲>
●クープラン:4声のソナタ《スルタン妃》
●テレマン:Rec、弦楽と通奏低音のための組曲 イ短調
⇒スキップ・センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテ


この日を待ちに待ちました。ついに初の生センペ。

実際にこの才人たちのフランス・バロック(テレマンのあれはフランスのスタイル)を聴き、面白かったのは、センペのチェンバロがほとんど「通奏低音」らしくないというか、レオンハルトお師匠さんたちのような意味での通奏低音を選択しない、というやり口をこんなにうまく使うんだなあという点です。
アンサンブルのリズムを縦方向からカッチリと支配して、その次に自分の装飾を控え目に行なう、というのではなく、この日もアインザッツを取るのは1stVnのソフィー・ジェントであり、またリコーダーのマルタン君であり、センペはただアンサンブルの後ろで、羽毛のような装飾をいっぱいつけたパッセージを風のように流しているだけ。。ために、出来上がってくる響きの不思議な軽さ明るさには大変驚いた次第です。それを小さな部屋で聴ける幸せ!

それにしても、見事さはすでにCDでも発見されていたとはいえ、テレマンのプレイには心底惚れ惚れとしました。マルタン君の超絶技巧は言わずもがな、アンサンブル各員の声部が渾然一体として「練り」が生じる上に、センペの気まぐれな(しかし恐らく冷徹に計算され尽くした)羽毛パッセージがふんわりと乗っかる。2曲目の〈Le Plaisirs〉愉悦、喜悦は録音以上に繊細で清々しく、しかしその官能性のため臍下丹田に力がこもると言いますか、とにかく萌え転がるしかありませんでした。こういうレベルのテレマンの演奏をライヴで耳にする機会って、そんなに多くないんすよ。。ううう。。これからもついてゆきます。。

【281】5/4 1900-1945 相田みつを美術館〈アルンシュタット〉
●フローベルガー/エグエス:組曲第2番(1649年稿)
●ビーバー/エグエス:無伴奏Vnのためのパッサカリア
●バッハ/エグエス:無伴奏Vc組曲第3番ハ長調 BWV1009
 ○ヴァイス:曲名不詳
⇒エドゥアルド・エグエス(Lt)


初台から舞い戻って。レディ・マクベスの世界とはあんまりにも差がありますけど。
そもそもリュートという楽器が、100席程度の小部屋に向いているのだということを実感するの巻き。この楽器が急速に廃れた理由が改めて体感されます。逆に言えば、この箱の中において、リュートは王様のように響き渡るわけでして、たとえばビーバーのパッサカリアでは荘重さと哀しみが両立しているのがはっきりわかったし(隣に座った兄さんが彼女に向かって「この曲すげえぜ泣くぜ」って言ってたのは本当であった)、バッハのハ長調のVc組曲が自ら語り始める瞬間にも立ち会うことができました。
エグエスは知的で静かな雰囲気を漂わせた人で、そんな演奏家と対話するのに2000人のホールではやっぱり無理があるよね、と思った。

【282】5/4 2030-2115 相田みつを美術館〈アルンシュタット〉
●ヴェストホーフ:無伴奏Vn組曲第4番ハ長調
●ヴィルスマイヤー:無伴奏Vnパルティータ第3番ハ短調
●テレマン:無伴奏Vnのための幻想曲第7番変ホ長調
●バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番ハ長調 BWV1005
⇒グナール・レツボール(Vn)


あれっ...と思いました。絶賛の続くあのヴァイオリニストの演奏はこんな感じなのか、と。
さっきまで心地よくリュートが響いていたみつを空間に、ヴァイオリンの音が残酷なほど合わない。響かない。周囲の大喝采に比してこちらのハートは熱くならない。バッハの冒頭の重音なんか、隠匿されるべき神秘機械の回路がむき出しになっているみたいで、耳をそむけることができたらどんなにいいかと思いました。豊かな残響の中でのリベンジを決意。絶対決意。

【238】5/4 2230-2315 ホールB5〈リューネブルク〉
●クープラン:《王宮のコンセール》第2番~プレリュード、アルマンド
●同:《新しいコンセール》第4番~エール
●同:同第5番~サラバンド、メヌエット
●バッハ:Ft&Cemソナタ ホ長調 BWV1035
●同:同ロ短調 BWV1030
⇒マルク・アンタイ(Ft)+ピエール・アンタイ(Cem)


この日は朝に初センペ、夕に初アンタイというぐるぐるな一日でした。
アンタイ兄のほうはイメージどおりの偏屈なおっさんで、怖そうなメガネかけてるし、客席を見てもニコリともしないどころか逆に睨みつけてくるし、ピアノ椅子の後ろ脚に段ボールか何かを挟んで前傾姿勢で弾くし、不気味カワイイ。逆にアンタイ弟のほうは人懐こい感じです。

この深い時間帯の演奏が、極めて素晴らしかった。朝のセンペと甲乙つけがたい。
フランス・バロックというと、感覚的でふわふわとして形のないものと思われがちなのですが(自分だけの反イメージだろうか?)、実際のところ全然そんなことはなくて、舞曲の方向からにょろりと進化した独特のリズム-エモーションみたいなものがあり、その原理原則に従って粛々と音の流れができているのです。これは竹を割ったようなイタリア・バロックとはまったく違うし、独自の渋みを抱えたドイツ・バロックとも違うし、大変に説明しづらい種類のものなんだけど、たとえば、この夜の演奏はそれを十二分に果たしていた。あの場にいらっしゃって、ゆったりとした感銘を受けられたとしたら、「フランス・バロックってどんななん?」というこの先々の疑問に対して、あの時間を例に思い出していただいていいと思うのです。

アンタイ弟はリチェルカール・コンソートに乗っていたので、5/3にホールCで音を耳にしてはいます。そのときは眠気でぼんやりしながらも「この人は小会場向きかもなあ」と感じたんだけど、ホールB5で聴くとニュアンスの幅がかなり細かくコントロールされているのがわかって、あの漣状の伸縮を大会場で拡散させてしまうのはもったいないというリクツ。
クープランのコンセールはとにかく絶品!アンタイ兄も怒りゲージを抑えつつリズム-エモーションの保持に努めるし、たまに清楚な即興を入れたりするくらいで弟を立てていて、魅惑のアンサンブルだったことです。
by Sonnenfleck | 2009-05-09 09:25 | 演奏会聴き語り

熱狂の復習―5月3日(日)

c0060659_612667.jpgもう少しだけLFJモード続きます。振り返り。

【141】5/3 0945-1030 ホールC〈ライプツィヒ〉
<J. S. バッハの作品にもとづく即興演奏>
●Gam&Cemソナタ第3番ト短調 BWV1029
●インヴェンション第4番ニ短調 BWV775
●メヌエット
●平均律クラヴィーア曲集第1巻~第2番前奏曲ハ短調 BWV847
●管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068~エア
 ○モンティ:《チャルダーシュ》
⇒小曽根真(Pf)+中川英二郎(Tb)


考えてみたら、ジャズのライヴ(これをそのように呼んでいいのであれば)に接するのは初めての経験です。クラのように構造を大掴みにしつつ瞬間を楽しめばひとまずOKというわけでもなさそうだし、ジャズの聴き方ってイマイチわからなくってですよ。ああ、でもこれは、装飾の力を借りて主題と変奏を楽しむものなのかもしれないと実感した。
ガンバ・ソナタの第1楽章までは楽譜どおりのカッチリ演奏だったので、どうしたのかしらと逆に身構えましたが、第2楽章から急に奇矯なパッセージが挿入されたりして、文字通りアトモスフィアが変わります。こういうのって楽しいね。ラテンノリに変容したプレリュードは、この後に聴くことになるビオンディとは、そーんなに遠いところにあるわけではなかった。

【142】5/3 1130-1215 ホールC〈ライプツィヒ〉
<ヴィヴァルディ>
●シンフォニア ト長調 RV149(カンタータ《ミューズたちの合唱》序曲)
●VnとVcのための協奏曲変ロ長調 RV547
●《ラ・ストラヴァガンツァ》op.4-4 イ短調 RV357
●オペラ《テルモドンテのヘラクレス》RV710~シンフォニア
●セレナータ《セーヌ川の祝典》ハ長調 RV693~シンフォニア
 ○コレッリ:合奏協奏曲 op.6-4 ニ長調~第4楽章
⇒ファビオ・ビオンディ(Vn)/エウローパ・ガランテ


3年前の来日時に彼らの《四季》は聴いてしまったので、今回はそれ以外のプログラムをチョイス。にしてもちょっと渋すぎるような気がしないでもなくて、あえてこのプログラミングにした意図はあまり掴めなかったというのが正直なところです(ストラヴァガンツァにした理由なんか本当にわからない)。
ただ、《セーヌ川の祝典》のシンフォニアのように、ちょっとフランス趣味の入った作品をビオンディたちが料理するとどうなるかというのがわかったのは収穫(意外なくらい楚々としたアーティキュレーションを用いるんですよ)。彼らのことを語るのに何年も前に出た《四季》のCDだけを持ち出すのはもうやめにすべし。この話は彼らの夜公演にもつながってゆきます。

【174】5/3 1500-1545 G409〈ドレスデン〉
●バッハ:《イタリア協奏曲》ヘ長調 BWV971
●バッハ/リスト:Orgのための前奏曲とフーガ ハ長調 BWV545
●バルトーク:《ミクロコスモス》第3巻~2つの半音階的インヴェンション
●バッハ/バルトーク:Orgのためのソナタ ト長調 BWV530
●バッハ:《4つのデュエット》第1番ハ短調 BWV802(抜粋)
●ワイセンベルク/酒井茜:コメディ・ミュージカル《フーガ》~フーガ
●グルダ:前奏曲とフーガ (以上順不同)
⇒酒井茜(Pf)


このあたりから体調が急速に悪化し、集中するのが難しくなってしまいました。GW突入前の疲れが出た感じ(だといいなあと思っている)。
当日になって曲目や曲順が変更されていたみたいで、上に書いたとおりの順番ではありませんでしたが、グルダだろうなあと思われる曲がなかなか面白かったです(小曽根+中川で聴いた生ジャズをフリーズドライにしたみたいな)。他はちょっとミスタッチが目立って、シンケーシツな人間には辛いものがありました。

【145】5/3 1645-1745 ホールC〈ライプツィヒ〉
●バッハ:ミサ曲ト短調 BWV235(抜粋)
●同:マニフィカト ニ長調 BWV243
→マリア・ケオハネ(S)、サロメ・アレール(S)
  カルロス・メナ(C-T)、ハンス=イェルク・マンメル(T)
  ステファン・マクレオー(Bs)
⇒フィリップ・ピエルロ/リチェルカール・コンソート


カルロス・メナの美声に酔いながら、ほぼ全編にわたって沈没。。とてもいい演奏だったらしいのはなんとなく感覚的にわかるので、余計悔しい。

【126】5/3 1900-1945 ホールB7〈ケーテン〉
●ヴィヴァルディ:シンフォニア ト長調 RV149(カンタータ《ミューズたちの合唱》序曲)
●パーセル:劇付随音楽《アブデラザール、またはムーア人の復讐》
●ヴィヴァルディ:《ラ・ストラヴァガンツァ》op.4-4 イ短調 RV357
●コレッリ:合奏協奏曲 op.6-4 ニ長調
 ○テレマン:組曲ト長調《ドン・キホーテのブルレスカ》 TWV55~
        〈ロシナンテのギャロップ〉、〈ドンキホーテの眠り〉
⇒ファビオ・ビオンディ(Vn)/エウローパ・ガランテ


4作品のうち2作品を弾いたことがあり、こちらの耳も開きやすかったんでしょうが、アンサンブルのほうも昼間の公演に比べ数段パワーアップしています。印象に残る公演。

まず因縁のパーセル《アブデラザール》。こちらは作品の質自体がリュリから遠くないので、ビオンディたちにとってはアウェーなのかもしれませんが、いつもの彼ららしいキツい語り口を巧みに用いつつも、パーセル独特の線の細い華やぎをオーセンティックに演出します。
序曲前半の苛烈な付点リズム、後半の攻め立てるようなフーガ。ロンドでの前進するフレーズ感(ただしこういったところで通奏低音をむやみにゴリゴリさせないのは、ビオンディの好みが変容しつつあることの表れではないだろうか>これは第3エアでも同じ)。
いっぽうで第1エア第2エアホーンパイプの可憐な表情、メヌエットの自然なイネガル、ジグでの寂寥感あるテクスチュアの実現、終曲第4エアを「あえて盛り上げようとしない」ことで生じる豊かな余韻など、アダルトな魅力も満載で、、ブラヴォでした。

それから、こちらも因縁浅からざるコレッリのop.6-4
チケットを押さえたときも会場で配られたプログラムを見たときも、いずれも堂々と「op.6-6です」って書いてあったものですから、てっきりそのように思って気楽にしていたら、最初の和音がおかしくて、、はっっっと跳ね起きました。6-4じゃねえか。
コレッリのスコアって本当にシンプルで、しかしながらその隙間には、当然ながら装飾と推進機関が期待されているわけです。1995年のビオンディの正規録音は、勢いに頼る気配があるのに実際はあんまり前に進んでいないきらいがあったんですが、当夜の演奏はあれとは一味二味、三味も違って、豪奢な装飾を撒き散らしつつもガシガシ前に向かう、とっても素晴らしいものでありました。
第1楽章のアダージョ部からして、ビオンディ(1stVnコンチェルティーノ)と2ndVnコンチェルティーノ氏の強烈な絡み合いにより火花が飛び散ります。第2楽章はさらに哀しげに深化しているし、第3楽章は山と谷の高低差が強くなっているし、第4楽章はトゥッティの重量感を生かして強烈に前進してくるし。―ああ!これだ!これだ!

アンコールの後、花束を渡そうとする女性。それを無粋にも止めようとする係員男性に、猛烈なブーイング。結局渡すことのできた女性にワーという歓声。客席もラテンノリ。

+ + +

【127】5/3 2045-2130 ホールB7〈ケーテン〉
●テレマン、バッハ。
⇒ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル


【147】5/3 2200-2315 ホールC〈ライプツィヒ〉
●ブクステフーデ:我らがイエスの御体
⇒クラウディオ・カヴィーナ/ラ・ヴェネクシアーナ


友人にチケット譲る。
by Sonnenfleck | 2009-05-07 06:15 | 演奏会聴き語り

熱狂実況7

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おやすみなさい。
by Sonnenfleck | 2009-05-05 23:47 | 演奏会聴き語り

熱狂実況6

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アンタイ兄弟のプログラムがようやく確定していた。「木のフルートとチェンバロによる心地よい時間。夜遅くの典雅で感傷的な音楽のパーティ」とはいかにも。深い時間の会場は落ち着いてていいよね。
by Sonnenfleck | 2009-05-04 22:20 | 演奏会聴き語り