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on the air:【必聴】1984年のブリュッヘン+ビルスマ+レオンハルト@シャンゼリゼ【オンデマンド】

【1984年10月6日 シャンゼリゼ劇場】
<France Musique rend hommage à Gustav Leonhardt>
●デュパール:組曲第4番ロ短調
●フォルクレ:組曲第1番ニ短調~la Laborde, la Forqueray, la Bellmont, la Portugaise
●コレッリ:《ラ・フォリア》
●ウッチェッリーニ:?
●バルトロメオ・デ・セルマ:カンツォーナ
●フレスコバルディ:Vcと通奏低音のためのカンツォーナ
●フォンターナ:ソナタ第2番
●ルイジ・ロッシ:トッカータ
●カステッロ:ソナタ第2番
⇒フランス・ブリュッヘン(Rec)
 アンナー・ビルスマ(Vc)
 グスタフ・レオンハルト(Cem)
(2012年1月29日/France Musique オンデマンド)


フランス国営放送から、レオンハルト追悼企画として28年前のライヴ音源が蔵出しになった。バロックのソロソナタ編成を、ステージと客席に段差のないホールの最前列に座って聴くとちょうどこんな感じですね。生々しい音質が嬉しい。

+ + +

番組表だとテキトーな記述なんで、聞き取れた範囲で曲目も書いた。ご覧のように夢のような豪華なプログラムなんだけど、最初の1曲目はシャルル・デュパール Charles Dieupart (1667?-1740?) の第4組曲です。

ねばねばしたアルマンドの歩みに、また、烈しいジーグの跳躍に(本当に烈しいのです…)、われわれが彼の的確な通奏低音魂を聴かなくてどうする。ブリュッヘンは笛吹きキャリアの最後期でも相変わらず獅子王だし、ビルスマも思いっきり見得を張るし。名曲の名演奏としか言いようがない。

続いてフォルクレのニ短調の組曲からの抜粋を、レオンハルトのソロで。
もしレオンハルトのことを「無味乾燥な教条主義者」だと思っている方がおられたら、この演奏だけでも聴いていただかなければ困る。このフォルクレを聴いてもなおそのように思われるなら、僕が諦めることにしよう。
前に「フォルクレは女神転生」と書いたことがあるけれど、その表現を完全に満たす演奏が実現されている。驚いた。悪魔のような演奏(魔神クリシュナ LV57…)。チェンバロが破滅的に囂囂と鳴っている。センペやアンタイはお師匠さんのこういう側面をしっかり受け継いでいるんだな。

いっぽう、コレッリ《ラ・フォリア》には、脂が乗りきったおっさんたちのダンディズムが平らかに薫る。彼らの若いころの録音と違って、スリルではなくコレッリのコレッリ性をこそ追求してる、というか。
ブリュッヘンとビルスマに見せ場がたくさんあるのは変わりないので、レオンハルトは完璧な通奏低音者に徹することにしているようだ。

+ + +

続く17世紀作品たちだが、上の3曲から続く一夜のコンサートなのかどうか、自信がない。録音状態もまちまちなので、もしかしたら別日程を組み合わせて放送してるのかもしれん(フランス語よくわからないんで…)。

こちらのリンクから、たぶん来月17日までオンデマンドで聴くことができる。
by Sonnenfleck | 2012-01-29 10:11 | on the air

グスタフ・レオンハルトの死/永訣の朝

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出張先でレオンハルトの訃報を知ることになった。
ああ。
昨年12月の演奏活動引退の報せに接し、文章を書こうとしても思うように書けないでいたところへこの訃報であった。彼は死期を悟っていたのかも知れない。

およそバロクーのなかでレオンハルトに導かれなかった者がいるだろうか(硬質なスタイルはときに反発をも呼んだが、それはただ、父親的存在への反感だったのではなかったか)。偉大な藝術家を僕らは永遠に喪った。

+ + +

2004年にソロチェンバロを、2011年にオルガンを、それぞれ一度だけ聴くことができたのは僕の大切な経験だ。特に、明治学院大学チャペルのオルガンを弾くレオンハルトの姿と、形づくられてゆく音楽の強度、空気の震動や湿度を忘れることはないだろう。

叶わなかったこともある。一度でよいから、レオンハルトが通奏低音を弾くアンサンブルを生で聴いてみたかったんだ。
彼がブリュッヘンやビルスマと録れたテレマンのトリオ・ソナタを、今ホテルの部屋でぼんやり聴いている。そろそろ支度をしなきゃいけないけれど。iPodに詰めた僕の夢だった。

R.I.P.
by Sonnenfleck | 2012-01-18 07:14 | 日記

グスタフ・レオンハルト オルガン・リサイタル@明治学院チャペル(5/29)

c0060659_2132583.jpg【2011年5月29日(日) 15:00~ 明治学院チャペル】
●スウェーリンク:プレルーディウム
●シャイデマン:プレルーディウム(1637)
●アラウホ:ティエント第54番
●ラインケン:トッカータ ト短調
●フィッシャー:シャコンヌ ヘ長調
●ブロウ:3つのヴォランタリー
●ケルクホーフェン:ファンタジア第131・132・129番
●パーセル:ヴォランタリー ト長調
●ベーム:コラール前奏曲《キリストは死の絆につかせたまえり》
○アンコール フィッシャー:《音楽のパルナッソス山》~組曲《メルポメネ》のシャコンヌ イ短調
⇒グスタフ・レオンハルト(Org *ヘンク・ファン・エーケン(2009))


今日30日はレオンハルトの83歳の誕生日とのことだ。めでたい。

前にレオンハルトを生で聴いたのはこのブログを始める前の2004年6月であるから、実に7年ぶりということになる。そのときの感想メモを読み返すと「ベームとヴェックマンがすごかったです」と書いてあるのだが、前回は本人を目の当たりにするだけで感激してしまったので、内容に関してしっかりとした記憶があるわけではない。

+ + +

雨脚が弱まらない中、白金台の駅から傘を差して日吉坂を下る。明治学院大学に立ち入るのは初めてですが、きれいなところですね。晴れた日に来てみたかったな。
チャペルは入り口が狭く、また雨も降っていることから、開場してからも長い長い行列に。並んでいると雅明氏の姿を発見。行列もみんな古楽好きなものだからその辺は心得ていて、みんなニコニコして氏を眺めるの巻。

客席から演奏台が見えないのをいいことにどうやらずいぶん前からスタンバってたレオ爺、入場の儀もなくいきなりのスウェーリンク。電撃的。いくぶんの揺れやふらつきもなくはないが、タッチの鮮やかさは83歳とは思えないね。

さて、シャイデマンの古色蒼然としたストップによる分厚いブレンドから、アラウホの最初の一音で一気に、赤っ茶けて乾いた空気が空間を充たしたのは驚愕であった。これが巨匠の技か。乾いた真夏の強い日差しのような音の線が、見えないけれども確かに、チャペル内部の湿った木組みを貫いていた。完全に残響なしの明治学院チャペルの特性も、音の追い易さに寄与したようだった。

フィッシャーは個人的萌え曲なので、公正公平には聴けませんでしたけどね。
アラウホからさらに一歩進めて鋭く尖ったラインケンでのストップ捌きから、今度はすっと方向を変えて、フィッシャーでは軽く鼻に掛かって掠れたようなブレンドが用いられた。アーティキュレーションも素朴で可愛らしくて思わず涙ぐんでしまう。でも、フォルムが絶対に壊れず、低音が着実に推進しているのは、やっぱりレオ爺の通奏低音魂のゆえだろう。いまだ衰えぬ推進力。

ブロウの3つのヴォランタリーは、2曲目のストップが実に刺々しく、またタッチもたいへん攻撃的でちょっとびっくり。でも3曲目で、今度はあっと思わされるくらい香りの薄いブレンドが用いられて、その落差設計に舌を巻くという結末。

重たく輝かしいベームが終わると、前方の客席からいいタイミングで拍手が巻き起こる。オルガン直下の住人は上を見上げるしかなかったが、ちょうどバルコニーから顔を出して下を覗き込んだレオ爺と目が合ってハッピー。妄想じゃないぜ。絶対目が合ったぜ。
アンコールに、まさかのもう一丁フィッシャー。今度は短調のシャコンヌ。フィッシャーが最強に輝くのは、このリュリ風のシャコンヌなんである。ストップはまたぽそぽそしたブレンドに調合されていた。幸福のきわみ(聴いたことある、、と思って帰宅して調べてみると《メルポメネ》のシャコンヌであった)

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↑レオ爺はこのバルコニーからひょいと顔を覗かせた。直上と直下の出会いさ。


+ + +

昔、といってもそんなに昔じゃないが、山之口洋『オルガニスト』というSF小説があってですな。僕は今でも好きなんだけどね。
グールドみたいな演奏をする天才オルガン科学生が、ヴァルヒャとレオンハルトを足して3倍したようなギチギチの超マエストロ師匠と対立して、学生君のほうが失踪したと思ったら、超マエストロがオルガン演奏中にいきなり爆死(文字通り)して、返す刀で怪しい組織が登場し、いつしかお話はSFの高みへ、というぶっ飛んだ話。

『オルガニスト』は、いかにオルガンがメカであり、また音楽そのものであり、人間はメカと音楽に思いを寄せながら、果たしてその合一は図られるか?という切ない主題をも扱っている。この日、レオンハルトのオルガンを聴いていて、僕はこのSF小説の終結部を思い出していた。もしカーテンコール(と呼んでいいものなのかわからないが)でレオンハルトが姿を見せなかったら、あれはオルガンそのものが何らかの意思を得て自ら鳴っていたと錯覚するところだったのね。

奏者を見えないようにして音楽を神化する教会建築の狡猾さを実感するのと同時に、奏者も聴衆が見えないのだから、弾いているうちにオルガンや音楽との合一感が高まってくるものなのかなとも思う。不思議な楽器だ。

+ + +

オルガンの音が消滅すると、その隙間を雨音のホワイトノイズが埋める。またオルガンが鳴り出し、止み、雨だれ。深呼吸すると、古い木造建築が湿ったときの懐かしい香り。これらがあの濃密な一時間の世界のすべてであった。
by Sonnenfleck | 2011-05-30 21:43 | 演奏会聴き語り

僕のガラテーア・プロジェクト

c0060659_639541.jpg【DHM/88697 281822-40】
●ラモー:1幕のバレ付きオペラ《ピグマリオン》
→ジョン・エルウィス(T/ピグマリオン)
  ミケ・ファン・デア・スルイス(S/セフィーズ)
  フランソワ・ヴァンヘッケ(S/石像)
  ラシェル・ヤーカー(S/アモール)
→ヘレヴェッヘ/シャペル・ロワイヤル
⇒グスタフ・レオンハルト/ラ・プティット・バンド

棚で十分に熟成させてあったDHM50周年箱から。確かに手持ちとのダブりもあったのですが、まだまだ未聴のディスクも多く含まれるので、頑張って聴いていこうと思う。このレオンハルトの《ピグマリオン》も、高名な録音ながら、レオンハルトのラモーはきっと自分の好みのラモーから微妙に外れているに違いないと踏んで聴いてこなかったもの。

序曲第4場以降に散りばめられた舞曲について言うと、その「自分の好みのラモーとは合わない傾向」が強い。拍の取り方が整然としすぎていて「遊び」の部分がなく、自在な伸縮が起こらない構造になっているものだから、聴いていて息苦しさを感じます。たとえばバッハは「遊び」があってもなくても、どちらのアプローチでもちゃんとバッハの像を結ぶのに対し、ラモーはそうもいかないんだよなあ。さすがのレオ師も2009年にあっては旗色悪し。。

で、この録音で息を飲んだのは、第3場、ピグマリオンが石像の美を讃え愛を告白する場面のねっとりとした美しさなのでありました。
ここぞ、というこの場面で、レオンハルトが拍を引き締める手綱をぐぐっと緩めているのがわかる。指揮をするときは基本的には拍の清潔な秩序で聴かせる人ですから、このように拍の揺らしにかかるのは珍しいことのように思われますし、こうなると控え目な和音の盛り方が却って活きてきますね。
中間部のゲネラルパウゼのあと、折り重なるバソンとフラウトトラヴェルソに導かれて痛切な願望が唱えられる。ここから先の時間は、お一人様ピグマリオンの脳がお花畑になってしまったあとの幻影かもしれません。幻影の入口ならこれほど美しくできているのも納得。
序曲から全開で遊びまくってきた演奏には不可能なこの技。なのです。

+ + +

これって、フィギュア萌えにすべてを捧げる高度なヲタクに幸福がもたらされるお話なんだよなあ。自分のことが好きな女子を振って2.5次元に耽溺していたら、フィギュアのキャラクタが生身の女子になっちゃって(あるいはヲタクの脳がそのように変容してしまって)、自分だけの幸せな世界に閉じこもると。フィギュアを「変身」させる「アモール」はニコニコ動画のクリップに読み換えちゃうとかしてさ。
この演出が恐ろしいリアルさを伴ってラモーの音楽で実現するのは、今の日本以外にないんじゃないでしょうか。第4場以降の演奏が明るければ明るいほど悲惨さが増すような演出、北とぴあとかでやってくれないかなあ(笑)
by Sonnenfleck | 2009-07-31 06:41 | パンケーキ(18)

←400年サルベージ

c0060659_6413575.jpg【PHILIPS/UCCP3467】
<エリザベス王朝のヴァージナル音楽>
●バード:パヴァン〈Ph. トレジャン〉とガリヤード
●同:ネヴィル夫人のグラウンド
●ジョンソン:アルマン
●フィリップス:パッサメッゾ・パヴァーナとガリアルダ・パッサメッゾ
●モーリー:ファンタジア
●ブル:ブルンスウィック公爵夫人のトイ *
●同:ブルンスウィック公爵のアルマン *
●同:ラムレー卿のパヴァンとガリヤード
●同:ファンタジア
●ランドル/ダウランド:ガリヤード《わたしの罪をあの女は許してくれる?》
●ファーナビー:トイ
●ギボンズ:ファンタジア
●トムキンズ:3声部のパヴァンとガリヤード
●ギボンズ:ファンタジア
●ファーナビー:ファンタジア
⇒グスタフ・レオンハルト(Cem&Vrg*)

一旦モンポウまで行ってしまった後に何を聴くか?これは大きな問題。

僕が普段楽しんで聴いているバロック音楽はせいぜい上限がリュリ(とリュリの影響を受けた作曲家たち)くらいなもので、案外狭い範囲なのです。そこを出て遡ると一気に楽しみ方が難しくなって、フローベルガーやフレスコバルディになると震えが走り、3Sになると冷や汗が出て、モンテヴェルディではもうついていけなくなってしまう。完全なる食わず嫌いなので、そのうち開拓していかにゃならんなと思ってはおりますが…。

従ってパーセル以前の、1600年を跨ぐイングランドの作曲家たちのストイックな作品はなかなか馴染めなくて、このディスクも手に入れて一回聴いてから放っておいたのでした。

しかしあのモンポウの後に聴くと、なんと華やかで饒舌なことか!
「何を聴いても同じように聴こえる」というのは、昔まだ後期バロックのよさがわからなかったころと同じ症状で、これは聴き込んでいけばそのうち解消される症状だということもわかってる。当然、まだそれぞれの差異がはっきりと楽しめる段階じゃないけども、レオンハルトの丁寧な加工によって古雅な輝きを得ているんだなというぐらいはわかるようになった気がする。しかし逆に、この禁欲的な作品たちに装飾をジャラジャラぶら下げたらどのように聴こえるのか、それも気になります(作品の様式的にOKなのかわかりませんが)。

バードはなんとなく大人な余裕があって、ギボンズは端麗辛口。
唯一ヴァージナルが使われるジョン・ブルの2作品はどちらも親しみやすいメロディ。
フィリップスのパッサメッゾ・パヴァーナとガリアルダ・パッサメッゾだけは、このアルバムの中では異色のバッハみたいな真面目な曲調で、レオンハルトの端正なタッチが活きます。
by Sonnenfleck | 2008-08-07 06:51 | パンケーキ(17)

くつろいで

c0060659_849550.jpg【Alpha/Alpha 118】
<バッハ:いとも豪奢なる世俗カンタータ2編>
●カンタータ《楽しきヴィーダーアウ》 BWV30a
●カンタータ《相和する弦の音よ》 BWV207
→モニカ・フリンマー(S)、ロビン・ブレイズ(A)
  マルクス・シェファー(T)、ステファン・マクレオー(Bs)
  ヴェルサイユ・バロック音楽センター合唱団
⇒グスタフ・レオンハルト/カフェ・ツィマーマン

レオンハルトが指揮に戻ってきました。いいなーやっぱりいいなー。

多くの人に等しくこれをお薦めしようとは思いません。
指揮をしていなかった間もやはりレオンハルトはレオンハルトのままで、今でもその根底にあるのは、昔どおりの通奏低音至上主義とでも言うべきがっしりした構築感だからです。最近の主流であるラテン系の横に向かって流麗な古楽が好きなバロクーの皆さんには(いや僕だってあれは好きなんだけど)、この演奏は硬直しているように聴こえるかもしれない。

でも、通奏低音が縦方向に支配したアンサンブルが最新録音で聴きたいというのであれば、目下これ以上堅い演奏はないんじゃないかな。レオ師が昔からアンサンブルでやっていた堅牢な古楽は、今や進歩的古楽主義者から冷たい目で見られているのかもしれない。凄腕カフェ・ツィマーマンも聴きようによっては萎縮と捉えられないこともない。けど僕は、久しぶりにこういう堅い演奏が聴けて幸せです。すっかり通奏低音に聴き入ってしまった。

どうです。BWV30aの最初のバスのアリア〈ようこそ康らかなところへ、ようこそ喜びのもとへ〉。足の裏で土を踏みしめるようなこの堂々としたリズム。
続くアルトのアリア〈魂を喜ばせうるもの、楽しく、かけがえのないものはみな〉のゆったりとした歩みは絶妙の一言です。ロビン・ブレイズなのでちょっとBCJっぽいんだけど、彼のやや湿っぽい声もこの器の中では生きるなあ。
ソプラノのモニカ・フリンマーは、この堅牢な建築の中でぱっと映える柱頭装飾のようです。レチタティーヴォ〈わたしも、たまには不実と親しく懇ろながら〉で、少年のようにしか聴こえない素晴らしいハスキーボイスを披露。アリア〈いそげ、汝、時間よ、汝の臨むままに〉も器には華美なところがなくてくつろいだ気分にさせられるけど、彼女の不思議な声に追いかけるうちにどんどん音楽の中へ引きずり込まれます。ちなみに、最後のレチタティーヴォ〈ゆえに、いとしきヴィーダーアウよ〉にレオンハルトが仕掛けた遊びが1個だけ紛れ込んでます。ここでも遊んでくれるのはフリンマー。

BWV207は冒頭合唱でブラ1の第3楽章が転用されていて、壮麗な美しさに満ちています。
きっと今レオンハルトがブランデンブルクを指揮したら、こういう透き通った安らぎが主役になるんだなあ、、という妄想を許す素敵なカンタータ。

指揮に戻ってきてくれた。次は一度だけでいい、トリオソナタの演奏が聴きたい。
by Sonnenfleck | 2008-01-10 07:10 | パンケーキ(18)

モンテヴェルディ暑気払い

c0060659_6464113.jpgこのエントリで書いたように、最近レオンハルトのPHILIPS録音がまとまって再発売されたんですが、同じころ発売されていたもののなかでもなぜか覆刻されることのなかった謎のCDがありまして。
それが―クラウディオ・モンテヴェルディの《洗礼者聖ヨハネの晩課》。といっても現存する作品ではなくて、どうやらFrits Noske(フリッツ・ノスケ?)という音楽学者が再構成したものらしい。

ノスケの手になるライナーノーツを斜め読み。
1620年にヴェネツィアを訪れたアマチュア作曲家の日記に、「モンテヴェルディの《洗礼者聖ヨハネの晩課》を聴いたよ最高だったよ」という記述があるんです。でも今そんな曲残ってないじゃんね。で、当時のヴェネツィアの晩課の様式を踏まえて、モンテヴェルディ自身の《倫理的宗教的な森》、あとカステッロとかガブリエリの作品からいかにもそれっぽいのを選んで構成してみたッス、ということらしいです。へー。

当ブログでモンテヴェルディの名前が登場するのは、たぶんこれが初めてであります。
…モンテヴェルディって、難しい(-_-;;)
僕にとってはフレスコバルディやスウェーリンクが難しいのとだいたい同じ文脈。「刺激が強い」ヘンデルやラモーとは明らかに違う、別の種類の刺激がたっぷり、なのはなんとなくわかるんだけど、受容器が未熟で十分に感知できません。。しばらく「後期バロック絶ち」するか、ジョスカン漬けにでもなったりすれば、一気にパッと理解できるような気もするんですが。

アンサンブルを指揮しているレオンハルトが真面目なのか曲がもともと真面目に作ってあるのか判別できないんですけど、冒頭から響きが緊張して常に張り詰めた空気が伝わってきます。しかしたとえばサバールやヤーコプスなんかがやったら、もっと蛇がのたくったような展開になりそうではあるんですよね。強烈な不協和音が聴かれる曲が多いです。特にモンテヴェルディ部分。
まー難しいことは抜きにして聞き流しましょう!暑いし!
by Sonnenfleck | 2007-08-16 06:50 | パンケーキ(17)

暗ヴィコードで世界中ロマンティック

c0060659_6453863.jpgレオンハルトが80年代の終わりから90年代にかけてPHILIPSに録音した一連のハイセンスな録音群が、このたびの来日を記念して1500円の廉価再発。初出から15年以上経って盤面の劣化が恐ろしく(目には見えないんだけど)、この際ということで7枚すべて買い換えました。愛だね。

これはその中の一枚、「レオンハルト/クラヴィコード・リサイタル」でありまして、実は物凄い愛聴盤だったりします。他の雑音に一切邪魔されずクラヴィコードだけに耳を傾けてうっとりするなんていうのは幻想にすぎませんが、この録音はそんな望みを叶えてくれるのです。まさに隠れ名盤の名にふさわしい。

●クリスティアン・リッター:組曲嬰へ短調
●JSB:《幻想曲とフーガ》イ短調 BWV904
●同:《フランス組曲第2番》ハ短調 BWV813
●フリーデマン・バッハ:《ポロネーズ》変ホ短調、ホ短調、ヘ短調
●エマヌエル・バッハ:ソナタト短調 Wq51-6、ニ短調 Wq51-4、ロ短調 Wq63-4

楽器の特性上、クラヴィコードには情感がこもりやすい(と僕は認識しています。チェンバロ音なのに自在なデュナーミクがつくなんてずるい楽器)。したがって、ここでのレオ師はいつもの仙人ではなく、楽器も壊れよと言わんばかりの暗い自我をババンと発散してるんですよ。
それでも、長男バッハと次男バッハは曲が変態すぎるので、この録音における猟奇的な様子もまだ理解できる(中でもフリーデマンの変ホ短調ポロネーズは、バロックを遥かに超えてベルクのように妖艶な美を纏っており、それがレオ師の重みのあるタッチで紡がれていくのだからたまらない)。

でも《フランス組曲》の表出性は不思議です。レオ師自身のチェンバロ録音とはかなり趣きが異なっていて、柔らかくしなったり、急激に硬くなったり、変幻自在のスタイル。こんな浪漫性を内に秘めてるからこそ、あんなゴルトベルクやあんなフローベルガーが生まれるんですかね。彼の厖大な録音の中でも一二を争うロマンティックな演奏じゃないだろうか(サラバンド!)。もしレオンハルトがピアノ弾きだったら…なんていう過激な妄想に浸ることもできます。
by Sonnenfleck | 2007-08-02 06:46 | パンケーキ(18)

豪華、見逃しテレマン

c0060659_842595.jpg【VIVARTE/SRCR1998-2000】
●テレマン:パリ四重奏曲全集
⇒バルトルド・クイケン(Ft)
  シギスヴァルト・クイケン(Vn)
  ヴィーラント・クイケン(VGam)
  グスタフ・レオンハルト(Cem)
  (録音:1996-1997

せっかく来日したガッティもレオンハルトも聴きに行けず、鬱々とした梅雨を送っていましたが、おなじみ今池のピーカンファッヂでこの3枚組ディスクを見つけてびっくり。
この豪華すぎる顔ぶれ的にはどう見ても70年代なので、新装再発売かなと一瞬思ったんですが、クレジットを見ると確かに録音年は最近。うおーなんで見逃してたんだー。

パリ四重奏曲については最近触れたばかりですが、テレマンの最高傑作を、当時円熟の極みであった10年前のオランダ勢のアンサンブルで聴く、これ以上の贅沢があるだろうか。。このあとレオンハルトはアンサンブルを録音しなくなって仙人化するし、クイケン兄弟はシギスヴァルトの衰えがひどい(2年前、最後に聴いたクイケン・アンサンブルは、穏やかではあったがちょっと悲しかった)。何年も保存したワインを開けるのってこういう気分でしょうか。

演奏についてひとことで言ってしまうとすると、ずばり「大人」ですかね。
何十年も一緒にやってきた、気心知れた仲間の語らい。その飾らない交流の楽しみを、聴き手はちょっとだけわけてもらう。過剰な装飾、無駄な緊迫感、互いに食ってかかろうとする危うさ、それらがないだけで新鮮な印象を得るのは、最近の派手バロに毒されすぎてるせいかな。互いにさりげなく補完し合って、でもそれは彼らの中では当然のことで…。こんなに心穏やかで余裕のあるアンサンブルってそうは聴けませんよ。素敵だなあ。。
第1番のプレリュード冒頭、8分音符で軽やかに動き回るバルトルドの下で、シギスヴァルトとヴィーラントを従えて拍を引き締めるレオンハルトの自然な威厳。第2番のクーラントで聴かせる円やかな変奏は絶品としか言いようがないですし(ヴィーラントのソロからバルトルドとシギスヴァルトの重奏にかけても伸びやかになりすぎず、憂鬱質を引きずるのがいい…)。

ここで、僕なんかはレオンハルトを聴こう聴こうと思ってチェンバロに耳を傾けるんですが、耳の焦点はいつのまにかクイケン兄弟にいってしまう。チェンバロが引っ込んでいるわけでも、他の3つの楽器が飛び出ているわけでもないのに。つまり、レオ師がソロで聴かせる深く沈滞した音楽世界はここでは遠慮されて、リズムを完璧に支配する通奏低音超エリートとしての顔が表に出ているんですね。来てほしい拍の頭すべてに、当然のように来てくれるというのは(あるいは行くべき拍の頭すべてに、完璧に行くというのは)通奏低音芸術の基本であり、また同時に最終到達地点だと思うのです。神。
by Sonnenfleck | 2007-07-01 08:43 | パンケーキ(18)

カミサマを乗り越えることはできない

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レオンハルトの《イギリス組曲》(1984)。
…とにかく「完全体」なんですよね。いかなるフォローも要らない。

古楽の第一世代たちも、やはりセンスで勝負をしていたのだと思う。彼らが特殊な方法を取っていたがためにそのことは忘れられがちだけど、レオンハルトの録音に漂っている言葉にできないパッション、これはけっして楽器やスタイルだけを理由にしているのではない。彼がスタインウェイでシェーンベルクを弾いたって、その演奏には惹きつけられるはずなんです。うん。
by Sonnenfleck | 2006-06-09 23:34 | 絵日記