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フィラデルフィアに雪が降る。

皆さん、この荒れた庭にまだ来ていただけている皆さん。あけましておめでとうございます。園丁はなんとか生きています。いまではTwitterの箱庭に引っ越して、毎日ちまちまと小さな鉢植えを並べて、元気に暮らしています。
最後にここの庭木を刈り込んだのは2年半以上前のことですが、今日、箱庭が狭いな、周りのひとたちが速く歩きすぎているな、と感じて、久しぶりに鍵を開けに戻ってきました。鍵の開け方も鋏の場所も忘れかけていたよ。

* * *
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フィラデルフィア管弦楽団公式サイトより。

【WINTERSTÜRME ! The Wagner Winter Storm Concert】
●ワーグナー:楽劇《タンホイザー》第2幕~
 ○〈崇高な殿堂よ〉
 ○〈おお、公女様!〉
 ○大行進曲
●ワーグナー:楽劇《ワルキューレ》第1幕
→デボラ・ヴォイト Deborah Voigt (Elisabeth/Sieglinde)
 ハイッキ・シウコラ Heikki Siukola (Tnnhauser/Siegmund)
 ルネ・パーペ Rene Pape (Landgraf/Hunding)
 ブライアン・フィップス? Brian Phipps? (Wolfram von Eschenbach)
⇒ヴォルフガング・サヴァリッシュ (Pf)

今日、さる方のご厚意で、サヴァリッシュ/フィラデルフィア管の1994年2月の "UNUSUAL concert" を聴かせてもらいました。
この日、フィラデルフィアは記録的な猛吹雪に見舞われ、オケメンバーは出勤できず、定期演奏会の開催が危ぶまれたそうです。しかし音楽監督のサヴァリッシュは近くのホテルに滞在していた数人の歌手と、急ごしらえの合唱団を呼び集め、なんと自らすべてピアノ伴奏でワーグナーをやるということを思いつき、実行しました(フィラデルフィア管のサヴァリッシュ追悼記事にもこのときの成功が書かれている)。

この晩、演奏されたのはタンホイザー第2幕の抜粋と、ワルキューレ第1幕。

サヴァリッシュはどうやらヴォーカルスコアではなくて、フルスコアからその場で音を拾っているようです(後でわかりますが、いくつかの楽器はピアノに置き換えにくいので少しだけカットする、とスピーチしてます)。もちろん僕はこれらの作品のピアノ伴奏用スコアを知っているわけではないけれど、分厚い和音とライトモティーフのさりげない/または非常に烈しい強調、なにより「ヴォーカルがない」部分のピアノパートの巨大な響きが、サヴァリッシュがその場で即興的に音を作っていることを物語っていると思います。
ここで聴かれる「ピアノ≒オーケストラ」のテクスチュアはなかなか文章に表現しきれないのですが、まるで指揮者の頭のなかをそのまま聴くような稀有の体験であるのは間違いない。ワルキューレの第1幕前奏曲の黒々とした嵐をサヴァリッシュはこういう和音の集合で考えている、「嵐の動機」の音型を引っ張りながら、上の声部をこう認識している、また〈君こそは春〉をこういう音の織物として捉えている、というのが如実にわかります。「ヴェルズングの愛の動機」の慈しむような演奏実践!彼が何十年もドイツのオペラハウスのカペルマイスターとしてやってきた蓄積と、ピアニストとしての高い技倆がまるでこの一晩に結晶している。

ヴォイトとパーペはこの状況でも超人的な安定感があって笑えてきます。シウコラというテノールは存じ上げないですが、甘い声でちょっと危ない雰囲気のあるジークムント。素敵ね。

さらに、聞き物なのは演奏実践だけではなく、ワルキューレを始める前の4分半にわたるサヴァリッシュの解説。わざとドイツ語を使ってくすぐってみたり、皆さんもジークムントとおんなじように猛烈な嵐に巻き込まれてますな…、とか言って笑わせてみたり、わかりやすい英語で機知に富んだスピーチをなさる。そして〈君こそは春〉のメロディはワーグナーが書いた最も素晴らしい旋律のひとつだよ、と。

大オーケストラのダイナミクスで轟々と、また甘く、また精妙にピアノがものがたりを紡いでいく。双子が駆けだしていく幕切れ、たくさんの楽器が鳴り響いて、彼の指揮したバイエルン国立歌劇場の幻覚が見えるようだぞよ。

大トラブルに巻き込まれて定期演奏会が開催できない夜に、いったい何人の指揮者がこんな離れ業をやってのけるだろうか?地味でつまらない職人肌?田舎の堅実な校長先生?なんという無知蒙昧!バイロイトの天才サヴァリッシュ!
ちょうどここ1年くらい、サヴァリッシュの「やばさ」をいろいろな録音から感じていたところではあったんだけれど、この特殊なライヴ録音を聴いてわたしは完全に惚れました。遺されたマエストロの録音をしっかり聴いていかねばならぬ。


by Sonnenfleck | 2019-01-13 22:18 | パンケーキ(19)

on the air:ラトル/OAEの《トリスタンとイゾルデ》第2幕が凄かった@プロムス

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【2010年8月1日 ロイヤル・アルバート・ホール】
●ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》第2幕
→ヴィオレッタ・ウルマーナ(S、イゾルデ)
  ベン・ヘップナー(T、トリスタン)
  フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(Bs、マルケ王)
  サラ・コノリー(MS、ブランゲーネ)
  ティモシー・ロビンソン(T、メロート)
  ヘンク・ネヴェン(Br、クルヴェナール)
⇒サイモン・ラトル/エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団
(2010年8月27日/NHK-FM)

啓蒙時代管が、野獣のような、物凄い音を出していた。

これは、ここを覗いていただけるような方は、きっと聴かれた方がいいと思います。プロムスだからウェブラジオにはたくさん流れるし、普通のコンサートのライヴよりも遭遇できる可能性が高いものね。

弦楽器が主役になる局面は、恐らく19世紀中頃の(あるいはその頃のレプリカの)楽器が使用されているだろうし、普通のモダンオケで聴くワーグナーとそう大差はない。音色の点では若干細身で薄化粧かな?という程度の違いしか感じ取れなかった。もちろん、アーティキュレーションは粘つくことなく爽快で、話し言葉のように自然な知性があるけれども、ノリントン/LCPのワーグナー演奏のように極端なストイックさを予想していると肩透かしにあう。

しかし。しかしながら。管楽のアンサンブルになると一気に雰囲気が生々しい。
美しく野生的な雑味の混じったこの響き!
この楽劇が作曲された19世紀の中頃まで、管楽器は現代と異なる様々な形を保っていたはずで、ラトルや啓蒙時代管がそのどれを選んだとしても、現代のフルモダンオケのように均質な音色になることはない。
オーボエ、クラリネットにフルート、ホルン、、ブランゲーネの夜警の歌に折り重なる木管楽器の複雑な風合い、そして冒頭の不吉な一発と、不倫バレの瞬間の禍々しい金管楽器の叫び。。このあたりはピリオド楽器の響きがまったく生きる。

ただ、マルケ王がっかり場の後半で前奏曲のテーマが再生されるけども、あの動機だけはモダンの肉厚な響きに慣れきっているためか、ちょっと物足りなさが先行した。これは一応書いておきたい。ピリオドの《トリスタンとイゾルデ》も万能とは思えず。素敵な部分はとても多いけどね。

+ + +

歌手は、奇しくも2年前の夏に聴いたセラーズ演出のパリ国立オペラと2人かぶる(ウルマーナとゼーリヒ)。ブランゲーネ役のコノリーも素敵でしたが、ヘップナーは少し調子が悪そうでした。オケとのバランスは、ちょっと声が強すぎる箇所が多かったように思うけど、これはマイクで拾われて調整されてるでしょうから、生で聴いたらどうだったろう。
by Sonnenfleck | 2010-09-16 23:04 | on the air

カラダにピースフル・ワーグナー

c0060659_7521847.jpg【DGG/474 377-2】
<ワーグナー>
●歌劇《タンホイザー》序曲
●舞台神聖祭典劇《パルジファル》
 第1幕への前奏曲、第3幕からの組曲(アバド編)
→スウェーデン放送合唱団
●楽劇《トリスタンとイゾルデ》第1幕への前奏曲、愛の死
⇒クラウディオ・アバド/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

先ごろ、熱烈にワーグナーが聴きたくなって自室のCDラックを見たのですが、全曲版を除くとクナッパーツブッシュ、クレンペラー、ゴロヴァーノフ、テンシュテット、、のラインナップにうんざりして、アバドのアルバムを買いに走ったのであります。

最初の《タンホイザー》序曲からしてそれはそれは涼やかな音響が聴こえてきて、これは間違いなく自分の心性に真っ直ぐヒットする感じでありました。クレンペラーなんか「上等々々、むしろ俺様が救済してやろっか」みたいな風だし、テンシュテットは重たくてエロだし、ゴロヴァーノフはCCCP金管がきつくてそれどころではないし。
ベルリン・フィルというハイパーオケを手にしつつ、決して力押しをしないので(アバドの他の録音も総じてこういうところがあるのですが>モーツァルトの交響曲集とか)この指揮者の呼吸に合わない人はたぶん何度繰り返し聴いても受け付けないと思う。HMVの評価が微妙なのもちょっとは頷けるところですが、この、乳白色と透明感の両方を実現する音響の心地よさはかけがえのないものです。まあつまり、夏休みに氷を浮かべた薄いカルピスみたいなね。

《パルジファル》からの抜粋はさらに素敵であります。
決定的に胡散臭いテキストを自分で書いて、あろうことか思い切り官能的な音楽を付けたワーグナーの「舞台神聖祝典劇」が、聖書正典に基づくフランツ・シュミットの超真面目なオラトリオよりもずっと真摯に聴こえるのはどうしてでしょうね。晴朗なアバドの音楽づくりがそのように思わせるのか。
〈第3幕からの組曲〉は、たとえば寝しなに《パルジファル》に浸ってみたいと思うときなどにぴったりですね。鐘の音が厳格に鳴る場面はあれども、基本的には一面に花が咲いたような清冽な音楽が拾い集められていますから、ベルリン・フィルの超絶技巧によりアバドの意図した透明感が構築されていく様子を知るにはちょうどいい。どんなに衆人がアバド+BPOを貶そうと、量感もありつつ清涼感のあった彼らの音楽に僕は強く惹かれます。

最後の2トラック《トリスタンとイゾルデ》は、いまだビル・ヴィオラの水イメージに心を囚われている自分としては、ノーコメントとしか。。
by Sonnenfleck | 2009-07-18 07:53 | パンケーキ(19)

そして時は動き出す

c0060659_7395590.jpgどんなに素晴らしかった音楽でも、その上に新しく別の音楽を重ねると簡単に色褪せ、おおよその枠組みだけ残して化石のように沈黙してしまう。その繰り返し。

だからカーステはミュート、帰宅してからも抜け殻のようにぼんやりとインターネット、ただしウェブラジオには絶対に接続しないし、CDにも手を伸ばさない。この1週間まったく音楽が聴けなかったのは、内的な欲求が全然盛り上がらなかったせいでもあるし、上述の「上書き保存」を恐れたためでもあります。

でも金曜の朝、ヤープ・テル・リンデンが弾いたバッハの無伴奏チェロ組曲をクルマの中で恐る恐るかけてみて、ああこれならもう大丈夫だなと思った。今や用心深くワーグナーのフォルダが形成されていて、その上に「名前を付けて保存」されている。

学生時代に《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲を分析させられて以来、ずっと感じていたこの作曲家への違和感、自分のものには到底なりそうもないという違和感も、どうやら拭われたようでした。あの響きは自分の中に組み込まれて、これからは自分の聴く耳の一部として機能してくれるように思います。
by Sonnenfleck | 2008-08-02 07:42 | 日記

パリ国立オペラ 《トリスタンとイゾルデ》 その2

c0060659_6275090.jpg【2008年7月27日(日)14:00~ オーチャードホール】
●ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》
⇒ピーター・セラーズ(演出)
⇒ビル・ヴィオラ(映像)
→クリフトン・フォービス(T/トリスタン)
  フランツ=ヨーゼフ・セリグ(Bs/マルケ王)
  ヴィオレッタ・ウルマーナ(S/イゾルデ)
  ボアズ・ダニエル(Br/クルヴェナール)
  エカテリーナ・グバノヴァ(S/ブランゲーネ)
  サムエル・ユン(Br/メロート)
  アレス・ブリシャイン(T/牧童・若い水夫・船乗り)
  ユリ・キッシン(Bs/舵手)
→アレッサンドロ・ディステファノ/パリ国立オペラ合唱団
→セミョン・ビシュコフ/パリ国立オペラ管弦楽団


続こう。

■うた
トリスタン役のクリフトン・フォービスが(ちょっと寂しい外見も含め)終始お疲れモードであったのを除けば、うたのアンサンブルは穴がないどころかきれいな球面で、ほとんど綻びが見当たらなかったです。しかしトリスタンが愛に悩み死を渇望する騎士だとしたら、そのフォービスのくぐもって客席へ届かない声も納得。

男声ではマルケ王役のフランツ=ヨーゼフ・セリグが貫禄たっぷりで、誰も彼も死んでしまった第3幕の悲しみを一身に受けていたし、クルヴェナール役のボアズ・ダニエルは若く丸っこい外見からして愛嬌たっぷり。第1幕のイゾルデ侮辱ソングの勝気な感じや、第3幕でトリスタンが昏睡状態から目覚めたのを見て嬉しがる様子なんか、思わずこちらの頬も緩んだです。
(トリスタンとクルヴェナールが並んでいると、ルックス的にはどっちが若い騎士でどっちが従者かわからん。)

このものがたりに2人しか出てこない女声は、どちらも格別に素晴らしかった。
ヴィオレッタ・ウルマーナのイゾルデはいかにも毅然として重く、場合によっては鈍い冷たささえ感じさせるほどだったんですけど、僕の心の中のイゾルデはビルギット・ニルソンだから、そのようなウルマーナの歌唱はいかにもタイプでありました。
少し魔女然とした第1幕が完璧だったのは言わずもがな、第2幕は毅然とした女性が乱れていく様子をビリビリと伝える。さらに第3幕では、ト書きの「気絶」をまったく無視した仁王立ちで愛の死をソリッドにキメてくれたわけですから、あの涙腺決壊は自分の中では当然。

そのイゾルデと対等に渡り合ったのが、ブランゲーネ役のエカテリーナ・グバノヴァ
彼女に会場中から物凄い大ブラヴァが飛んだのは納得せざるを得ません。この人、スリムな美しい外見でステージ映えする上に強靭な声の持ち主で、第1幕の最初にイゾルデの伝言を届けるシーンからして凛とした雰囲気に惹かれました。第2幕の見張りボイスも、その危急を告げる鋭さが、甘いエロの中の苦いアクセントになって素晴らしかったと思う。

■オケとビシュコフ
僕が座ったのは2階バルコニーの最前方、つまりオケピットのほぼ直上。
会場中で最もオケの存在感が強い一帯だったわけですが、いやー、、いいオケです。ぽってりと丸みのある音がずっと保たれているのが(あの至近距離からも)わかる。CbやTbは意外にゴリゴリと主張しているのに。
ピットを覗き込んでミクロ的に聴いてみても、ソロがたくさん回ってくる弦楽器各首席やOb・Fl・Cl、そしてコーラングレが高いレベルで色気を振りまいており、それが今回の激しい感動の原因のひとつであったのは間違いありません(たとえば第2幕後半で「憧憬の動機」が管楽器だけの曖昧な輝きで奏されるところ、たとえば第3幕で牧童の笛の旋律がオケピット内に受け継がれた瞬間の美しさ、、ああいったところの味わいは筆舌に尽くしがたい)。

親方ビシュコフはどうか?
ここはたぶん盛り上がる、っていうところを絶対に外さない安定感とケレン味は評価が分かれるところかもしれない(愛の死のクライマックスでべったべたにやってくれたのは、あらゆる法則から解放されたあの映像とのバランスを考えれば、けっして悪くなかったなあと思うのです)。でも第2幕でトリスタンが飛び込んでくる箇所なんかは変にあっさりしてて不思議。

■客席とその他
1階2階は妙に空席が目立つ。2階センターの最前列がごっそり空いていたので、もしや皇族系VIPがいらっしゃるのかと思ったけどそんなこともなく。逆に、本当に聴きたい人が大挙して押し寄せたと思われる3階はスシヅメギュウギュウな感じ。
関係者の間にS席が10K円で出回ったという嫌な噂も聞きましたが(真偽のほどは知らんけどさ)、直接的にはそんなに害を受けたわけではない。事前に覚悟していたよりは、本当に視たくて聴きたくて来たような雰囲気の人が多かったように思います。

ただし僕の隣には「私オペラって初めて観るんです♪」という(ような雰囲気に擬態してんじゃね?的な)ねえちゃんと、いかにも講釈好きなおっさんのペアが座ってて、休憩時間中はその会話を聞かないようにするのに苦労したのでした。
by Sonnenfleck | 2008-08-01 06:39 | 演奏会聴き語り

パリ国立オペラ 《トリスタンとイゾルデ》 その1

c0060659_6303781.jpg【2008年7月27日(日)14:00~ オーチャードホール】
●ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》
⇒ピーター・セラーズ(演出)
⇒ビル・ヴィオラ(映像)
→クリフトン・フォービス(T/トリスタン)
  フランツ=ヨーゼフ・セリグ(Bs/マルケ王)
  ヴィオレッタ・ウルマーナ(S/イゾルデ)
  ボアズ・ダニエル(Br/クルヴェナール)
  エカテリーナ・グバノヴァ(S/ブランゲーネ)
  サムエル・ユン(Br/メロート)
  アレス・ブリシャイン(T/牧童・若い水夫・船乗り)
  ユリ・キッシン(Bs/舵手)
→アレッサンドロ・ディステファノ/パリ国立オペラ合唱団
→セミョン・ビシュコフ/パリ国立オペラ管弦楽団


何から書いていいのかわかんないや。。整理しきれないのでそのまま字にしてしまいます。
今回ばっかりは自分のための記録を書くので、乱文ゴメンナサイ。

ずぶずぶぐずぐずに泣かされたという意味では、今回を上回る体験はこれまでない。
第3幕の最後の10分間はハンカチで口を押さえて嗚咽が漏れないようにするのに必死だったです。それは今回が人生初の生トリスタンだったせいもあるし、壮絶に美しいビル・ヴィオラの映像に酔ったせいもあるし、オケが色気のある音を放出していたせいでもあるし、ヴィオレッタ・ウルマーナのマジなイゾルデに動転したせいもあるだろう。

+ + +

■演出(セラーズ+ヴィオラ)
まさしくビル・ヴィオラによるトリスタン解釈のために用意された演出でした。

「舞台」と書くのが妥当なのかわからないくらい簡素な仕えで、キングサイズのベッド程度の黒い台がひとつふたつ存在するだけです。衣裳も黒い地味な作り、イゾルデが黒いドレスを着ているくらいで、トリスタンはそこらのおっさんのような化繊のジッパー付きコート(第3幕では病院着のような白装束)、クルヴェナールに至っては灰色のTシャツ+ジャージ。
演技なんかもごくあっさりしたもので、心情吐露は基本的に棒立ちなんですよ。魔酒の杯を飲み干すときも愛を為すときも剣で敵を刺すときも、やれやれどっこいしょ…ってな感じで最小限の仕草しかしない。

そのかわり、、後景を占有する巨大なスクリーンが世界のすべてを映し出すのです。

◆第1幕
1.前奏曲が終わって幕が上がると、荒れ狂う海、灰色の波しぶき。
2.同じ大きさの2つの額縁(中にはいかにも制作された広大無辺な空間が広がっているが、地平線に明かりを受けた点がそれぞれ見える)。
3.徐々に点が大きくなってゆき、それがこちらへゆっくりと歩いてくる男女だとわかる。
彼らは接近しきって額縁から飛び出す。
4.男女は別々の部屋に入り、東洋風のゆったりした服を脱ぎ始める。
それぞれの部屋には老人と老婆がいて、それを手伝う。
5.一糸まとわぬ全裸になると、彼らは流れ落ちる二本の水を手で結び、あるいは盥に張った水に顔を浸し、老人と老婆によって甕の水を頭から掛けられたり―要するに浄められる。
6.イゾルデがブランゲーネに薬酒の企みを明かすあたりから映像が一旦消える。
しかし2人が媚薬を飲み干した箇所のトリスタン和音に合わせてスクリーンが光り、男女が一緒に水へ飛び込む映像が「水底から捉えられる」。
7.コーンウォールへの到着とともに再びホワイトアウト。1階客席の最後列に合唱が一直線で並び、マルケ王が1階中央扉から入場、舞台のトリスタンとイゾルデを一瞥。暗転。
⇒当然だけど、音楽は映像に合わせて展開するのじゃなく、誰かが音楽の展開を耳にしてその場で映像を切り替えているようでした。スコアも台本も完璧に読み込まないとこんな映像は作れないし操れないだろう。
愛の薬酒が体を巡って、トリスタン和音が鳴った瞬間に男女が水へ飛び込む。ぞっとさせられる。これ以降は暗い水中のお話なのだ!ただし秘教的な浄めの映像については少し疑問が残ります。「水中」を予感させる仕立てにしては具象的すぎて、音楽の領域を侵していたようにも思えました。
◆第2幕
1.黄昏の森。日はすぐに落ち、森は幾本ものサーチライトで探索される。
2.燃え盛る巨大な火柱。
3.暗い背景からゆっくりと近づく男。やがて火柱に辿り着き、薪を蹴飛ばしながら通過。
4.無数に並ぶ燭台のひとつひとつへ火を点す女。
5.見つめ合う男女。そこで赤外線カメラのような粗い映像へ切り替わり、ぼやけ、曖昧にされ、きっと音楽と同じものが映像でも展開される。
6.浜辺から入水する男女。
7.月明かりと夜の森
8.クルヴェナールの叫びとともに不気味な暁闇の森の遠景へ。メロートの告発とマルケ王の独白とともに夜は白々と明けてゆき、朝焼けに巨樹が黒く浮かび上がる。
9.明るすぎる陽光の下で刺されるトリスタン。暗転。
⇒当初、火に対する男と女の違い(3. 4.)。
トリスタンは「今」激しい衝動に駆られていたし、イゾルデは「これから」どうしていけばいいのかという点に関して心を整理しようと試みていたと思うのです。しかし音楽の昂ぶりとともに男女の考えは融合し、映像でも身体と空間が溶け合って「水中のように」判別がつかず、時間の反復や省略が起こる(5. 6.)。そして夜明けにより現実が侵入してくると、太陽の昇り方からして、この時間は収縮することなく流れる(8. 9.)。
◆第3幕
1.これまで横長だったスクリーンが縦長に。
2.灰色の海、冬枯れの木立、ぼやけて曖昧な城や領地。
3.前二幕ではなかった赤い水の映像が頻繁に流れる。藻、着衣のまま泳ぐ女の姿。
4.陽炎の立つ、明るく暑い大地の向こうから、だんだんと近づくヴェールの女。女はイゾルデの到着とともに高い火柱を背にして鮮明に立ちはだかり、そして倒れる。
5.トリスタンが事切れると、黒い台座に横たわる男の映像に切り替わる。メロートの死も、クルヴェナールの死も、映像はついぞ関知しない。
6.「愛の死」とともにもはや何もないはずの男の体から水泡が立ち昇り、それは徐々に流れとなって上昇を始める(ここは水中だったのだ!)。呆然とスクリーンを見上げるしかないマルケ王とブランゲーネ。イゾルデのクライマックスとともに激しい水流が男の体を持ち上げ、遥かに高いところまで持ち上げていく。水面を抜け、夜空まで。暗転。
「みなさんには見えないのですか」というイゾルデの言葉、これが楽劇《トリスタンとイゾルデ》を、最後の最後で額縁から解放するわけです。
(ここで初めて、それまでスクリーンの存在を完全に無視してきたマルケ王とブランゲーネが映像を凝視する。でも、ここで言う「みなさん」が彼ら登場人物だけを示しているのではないというのは、愛の死を歌うイゾルデをまっすぐ客席の方を向かせて直立不動にしたことからも十分に窺い知れる。)
ものがたりの額縁から音楽がするりと抜け出てくる瞬間を、ビル・ヴィオラはあえて見えるようにした。「野蛮な」視覚を経由してもなお美しい音楽。

+ + +

続く、かなあ。
by Sonnenfleck | 2008-07-29 07:06 | 演奏会聴き語り

夜が明ける昼が来る

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―Muß ich wachen?
―Nie erwachen!

昨日、ピーター・セラーズとビル・ヴィオラの《トリスタンとイゾルデ》を渋谷へ聴きにいきましたが、いまだ何も言葉にならず、映像と音楽が頭の中で渦巻いています。
感想文なんて書けるんだろうか?いつか?
by Sonnenfleck | 2008-07-28 07:06 | 日記

そして、、そしてしまいに求めるもの。

トリスタン、遠きにありてビル・ヴィオラ、そして、、

一旦、名古屋フィルの話なんですけどね。
■T. フィッシャー 常任指揮者就任披露公演(7/4,5)→欠席。
■T. フィッシャー 名フィル創立記念日コンサート(7/10)→行かれないのが正式決定。

ここまで名フィルを追いかけてきたのに、この仕打ちはなかろう。。
特にこの金・土の就任披露公演は、各ブログさんのエントリによるとユニークな熱演だったらしいですね。悲しいですね。スケジュールの隙間には悪魔が棲んでるんだわさ。。

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俺は我慢するのをやめるぞ!モルティエーッ!! ジャーン!!(ヘ、ロ、嬰ニ、嬰ト)
ということで7月27日は渋谷で《トリスタンとイゾルデ》視てきます。
翌週は使い物にならんなー。財布的な意味でもー。
by Sonnenfleck | 2008-07-09 06:14 | 日記

トリスタン、遠きにありてビル・ヴィオラ、そして、、

c0060659_719179.jpg7月です。

目下、パリ国立オペラの《トリスタンとイゾルデ》のチケットを買ってしまおうかどうか、死ぬほど迷ってるんです。あああ。何しろビル・ヴィオラがこのピーター・セラーズ演出のためだけに制作した映像が、トリスタン和音と一緒にホールを占領するのだ。あああ。
視てみたい聴いてみたい浴びてみたい。

20日の兵庫公演は用事があって行けないので、買うとしたら27日のオーチャード公演なのだけど、58000円のS席しか残っていないのと、終演後の名古屋着が22時半ぐらいというのがネックになって踏み出せません(気持ちのノリがまったく違うので、日曜夕方の公演はできれば行きたくないというのが本音)。
誰か背中を押してくだせぃ。

踏み出せなくてふらふらしていたら、19日のびわ湖ホール《フィガロの結婚》を見落としていたことに気がつきます。パリの10分の1の値段だしなと思った瞬間、血液がぎゅぎゅと右手に流れ込んで、いつの間にかマウスの左ボタンが押されていたのでありました。

びわ湖ホールのサイトによると、フィガロを演出する岩田達宗氏は「行列の出来る演出家」らしい。このまえ来日したスロヴァキア交響楽団の「中欧のカリスマオーケストラ」ってのもなかなかだったけど、これもすっげー。
by Sonnenfleck | 2008-07-03 07:21 | 日記

名古屋フィル 第348回定演

【2008年6月7日(土)16:00~ 第348回定期/愛知県芸術劇場】
<ツァラトゥストラ3―大いなる憧れ>
●ワーグナー:舞台神聖祝典劇《パルジファル》 第1幕への前奏曲
●デュティユー:Vn協奏曲《夢の木》
→堀米ゆず子(Vn)
●ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(コールス校訂版)
⇒マイケル・クリスティ/名古屋フィルハーモニー交響楽団


《パルジファル》の4時間半を100分に凝縮してみせたのかもしれない。このプログラム。

指揮のマイケル・クリスティは1974年生まれのアメリカ人で、04年までオーストラリアのクインズランド管の首席指揮者をやり、現在はアリゾナのフェニックス響とニューヨークのブルックリン・フィルの音楽監督を務めているらしい。02年のアジア・オーケストラ・ウィークでクイーンズランド管と来日してるみたいだけど、それ以外は日本語でググってもほぼまったく情報の見つからない指揮者なので、ドキドキします。

+ + +

《パルジファル》第1幕への前奏曲は朴訥とした大きな流れが作られている一方で、叙情味のある楽句への繊細なこだわりも聴かれ、コンサート前の現実と音楽を隔てるには十分合格点。定期に訪れる聴衆のマナーがここ数ヶ月で飛躍的に向上してきていることもあり、ホールの残響を聴き取ったナチュラルなゲネラルパウゼがいい感じ。

さても「前奏曲」からデュティユー《夢の木》への遷移は見事なものでありました。前回前々回のようにアタッカでこそなかったけれども、こうした食前酒と前菜の不思議な対置/融合によって、それこそ毎月毎月新しい発見が得られていますもの。幸せだ。
聖にも俗にも傾かない浮遊感のある曲調。各所に心地よい旋律の残り香があるし、快速な部分では打楽器が拍子を彩るのでミヨーやルーセルの残像が見える。しかし冒頭、堀米さんが奏でる甘い旋律が、どうしてかわからないのだけど《パルジファル》の〈聖餐の動機〉を髣髴とさせるんですよ。これにはまったく驚いた。分析したら理由がわかるのかなあ。

堀米さんの音を生で聴いたのはこれが初めてですが、温かく包み込まれるようでいて、妖艶な湿り気もある。冒頭書いたようにこれが《パルジファル》仕立てだとしたら、クンドリの誘惑と嘆きをイメージせずにはおれないのです。左肩故障で来日できなくなった当初のソロ、ペッカ・クーシストで聴いていたら、同じ印象を受けただろうか?
クリスティの指示は非常に的確に見えました。全体を大づかみで捉えながら要所ではその要所たる部分をはっきりとオケに示しているので、オケはやり易いと思われます。おどけたパッセージが真面目君になっちゃうのは2月のブラッハーとか4月のツィンマーマンとかでも見られた傾向ですが、コバケンに毒された鍛えられた名フィルであれば、表現する潜在能力は備わっていると思うので、もっとぶつかってきてほしいな。

さてブル9。「コールス校訂版」って最新のクリティカル版のことみたいです。
第1・第2楽章は、、それぞれ音価を切り詰めてたいそう速い。びっくり。
前者は冒頭のホルン隊、後者は43小節目(?)に変わったアクセントを置いてオケがコケるアクシデントがあったんですが、特に第2楽章は聴いたことがないくらいダンサブルな仕上げになってて…うきうきしてしまったのでした。マリオが(ルイージでもいいけど)等間隔に並ぶブロックをぽーんぽーんぽーんっと飛んでいくように、拍がぽーんぽーんと後ろに遠ざかっていく。荒削りだったけどやりたいことやってるなあという感じで、僕は積極的に評価したいです。朝比奈隆みたいなブル9を期待した人は噴飯ものだったかもしれないが。

第3楽章はしっとり。ここは名フィルの健闘を讃えたいです。
冒頭短9度の跳躍、よく合わせたなあ。下品にならないちょっとしたポルタメントを付けて、なかなか厚みのある響きで統一されている。コラールの中のTpがちょっと弱々しくて心残りだったけど、<ツァラトゥストラ>シリーズに入ってから続いていた「メインでスタミナ尽きました」という傾向が、今回についてはほとんど当てはまらなかったのが嬉しい点です。
コーダはもっともっと音量を落としてもよかったけど、聴き手に爽快な疲労感と達成感をもたらして、クリスティが手を下ろしきるまで拍手をさせなかったのは、最後まで持続したオケの緊張感に因るところ大でありましょう。アンフォルタスもクンドリも救済された。かな。
by Sonnenfleck | 2008-06-09 06:46 | 演奏会聴き語り